第26話 ハーリヤSIDE
ハーリヤはラジュルで平凡に暮らしていた。
暮らしは豊かではないけれど、家族の腹を満たす獲物を狩ってきてくれる父親と、その食材を美味しく調理してくれる母親。
「ハーリヤもそろそろ狩りについてくるか?」
「えー……俺はいいにゃー」
「あら、狩りができないと生きていけないわよ」
「めんどうくさいにゃー……」
平凡に……穏やかに暮らしていた。
けれどある日、父親が病によって亡くなってしまう。
そして……。
「うっ……」
「お母さん!? どうしたの?」
「な、なんでも……ないわ……」
すぐに母親も父親と同じ病に罹っていることが分かった。
母親は必死にそのことを隠そうとしたけれど、顔色から病であることは一目瞭然だった。
「助けて! お母さんが……!」
そして、ハーリヤが母親を心配する純粋な気持ちから、ラジュルの他の住人に助けを求めたことで、住人にも病のことが知れ渡ることになってしまった。
獣人は基本的には仲間思いな種族だ。
しかし仲間思いが故に、仲間を守るために狩りができないほど傷ついた者や病に罹った者は街を出ていってもらうことになっていた。
だから……当然のように、ハーリヤと母親はラジュルを追い出された。
「この子は病に罹っていません! どうかこの子だけでも街に残してください!」
「両親共に病に罹ったのであれば、その子供が病に罹るのも時間の問題だろう。それに子供一人残ったところで、狩りができなければ生き残れない」
「あぁ……ハーリヤ……」
族長に冷たくそう突き放され、母親はハーリヤを抱きしめて涙を流すことしかできなかった。
ハーリヤは……ただ静かに自分を捨てたラジュルという街を、獣人を、他者を、憎悪の炎で燃やし尽くさんばかりに睨みつけていた。
ラジュルを追い出されたハーリヤと母親は、なんとか他の街にと砂漠のようなラジュル近郊を歩き始めた。けれど、病に罹っている母親にそんな悪環境を歩き続ける体力など残っておらず、すぐに倒れて動けなくなってしまった。
「ハーリヤ……あなたは……生きて……」
「いやだにゃ……こんなせかい……いきていたってたのしくないにゃ……」
「いつか……きっと……楽しいことが……あ……る……。……」
ハーリヤは、息絶えた母親に寄り添うように横になり、このまま自分も死にゆくのだろうと思っていた。
「おいおい、大丈夫か?」
そんなハーリヤに、一人の男が声をかける。
「!? だれだ!?」
「俺か? 俺は魔王だ。よろしく。こっちは母親か? 息はあるのか?」
「お母さんにさわるな! 俺たちは病をもっているぞ! さわるとおまえにもうつるかもしれないぞ!」
ハーリヤは母親をかばうようにしながら、全身の毛を逆立てて懸命に魔王と名乗った男を威嚇する。
しかし魔王はハーリヤをじっと見つめたかと思うと、ニッと笑ってみせた。
「病に罹ってるなら、人間世界にいる聖女に治してもらいに行けば良いだけさ」
当然のことのようにそう言ってのけた。
誰もが見捨てたハーリヤと母親を、見ず知らずのこの男は見捨てる気などさらさらないことが伝わる。
「まぁ、グラーバにも多少の薬草は生えてるから、それで薬を作るって手もあるけどなー」
そう言いながら、魔王は母親の様子を再び確認しようとする。
ハーリヤは戸惑いながらも、今度は威嚇することはなかった。
そして魔王は母親が息絶えているのを確認すると、静かにハーリヤの頭を撫でる。
ハーリヤは泣きそうになりながらも、服の裾をぎゅっと強く握りしめて堪えた。
「……お前、行くところはあるのか?」
魔王の問いに、ハーリヤはふるふると首を左右に振る。
「よし、なら俺の城に来い。母親も連れて行って、埋葬してやろうな」
そう言って、その細身のどこにそんな力があるのかと思うほど、軽々と母親の遺体を担ぎ、ハーリヤを連れてワープで魔王城へと飛んだ。
突然獣人族の遺体と子供を連れ帰ったことで、魔王城にいたアランはひどく驚いた様子だったけれど、事情を聞いたら「魔王様らしいですね」と納得していた。
そして母親の遺体は魔王城の敷地内に埋葬され、ハーリヤはそこに魔王からもらった花を添えて、母親が天国へと旅立っていくのを静かに見送った。
「さて、母親との別れも済ましたことだし……まずは風呂だな」
「ふろ……?」
「お前、汚れてるからな。さっぱりしようぜ」
そして魔王はハーリヤを連れて風呂へと向かったのだけれど……。
「みぎゃー!!」
「お、おい。暴れるな! あぶなっ! ひっかくなって!」
獣人族は身体を軽く拭く程度で済ませる者が多く、水を浴びるという行為をしたことがないハーリヤはそれはそれは驚き、パニックを起こして暴れ出した。
「おーこわ。目だけは守れるように、サングラスしとこ」
そう言って、魔王は魔法で淡いカラーのサングラスをかけた。
それによって目は確かに守られたが、顔や身体は引っかき傷に噛み傷まみれになった。
なんとかハーリヤを洗い終え、ほかほかとしながら居間へ向かうと、お茶の準備をしていたアランが傷だらけの魔王を見て、卒倒しそうになったり、傷つけた主であるハーリヤに怒り狂ったりした。魔王はそれを宥め、ハーリヤはぷいっとそっぽを向いていた。
――そこから、ハーリヤは魔王城で暮らすことになった。
けれど話すことはほとんどなく、日がな一日、母親の墓のそばで座り込んでいた。
「おーい。遊ぼうぜー。それとも日向ぼっこでもするか?」
「獣人って動物状態にもなれるんだろ? 撫でさせてくれよ」
そんなハーリヤに、魔王は何度も何度も声を掛ける。
無視されても、引っ掻かれても……「グラサンで目は安全だもんねー」となぜか勝ち誇った顔をして、ハーリヤを構うのをやめなかった。
そんな日々がいくらか続いて……。
「おーい。ひなたぼっこしようぜ」
今日も魔王が飽きもせずに日向ぼっこに誘う。
そんな彼をちらりと見たハーリヤは、いつもだったらすぐにぷいっと視線を逸らすところを、珍しくじーっと魔王のことを見つめ続けていた。
「お? どうした。お前もついに俺と日向ぼっこを――」
「……お前じゃない。ハーリヤ。俺のなまえは、ハーリヤ」
唐突に名前を告げられ、魔王は目を瞬かせたけれど、すぐにニッといつもの笑みを浮かべて、ハーリヤの頭をぽふぽふと撫でる。
ハーリヤは引っ掻くことはせず、黙って撫でられている。
「……じゃあ改めて、ハーリヤ。俺と日向ぼっこしようぜ」
「……わかった」
そしてハーリヤは魔王と共に、居間の一角にあるクッションスペースに向かう。
そこで魔王はごろんっと横になり、だらだらとし始めたので、ハーリヤは少し考え込んでから、ねこの姿になって魔王のそばで横になる。
「お、その姿になったってことは、撫でていいってことか?」
「……」
「無言はOKととるぜ。ふふ……子猫だからふわふわだな」
ハーリヤを撫でる魔王の手つきは優しく、温かなものだった。
それは、ハーリヤにとって久しぶりに感じる穏やかな……幸せな時間だった。
泣いてしまいそうになるのをグッと我慢して、ハーリヤは久しぶりにあの頃の自分を思い出して口を開く。
「……あんたのそばにいれば、しあわせに生きられそうだにゃ。これからは、あんたのそばにいるにゃ」
「おう。ずっとそばにいろ。そんで、大きくなったらアランといっしょに側近として俺を支えてくれ」
「まかせるにゃ。獣人のせいちょうは早いから、あっという間だにゃ」
「はは! じゃあ、今は短い子猫時間を十分に楽しまなくちゃな」
そう言って、魔王はハーリヤを撫で続ける。
ハーリヤはずっと子猫でいたいような、早く大人になりたいような不思議な気持ちを感じながら、ただ魔王が撫でてくれる心地よさを堪能した。
***
「これで俺のお話おしまい。チャンチャン」
そう言うハーリヤは、いつもと変わらない調子だった。
「ハーリヤさんにそんな過去があるとは知らず、ラジュルの考え方も否定できないなんて軽々しく口にしてしまって、ごめんなさい」
「その正論とは別に、心の中で俺と同じ気持ちを持っていてくれてるなら、それで良いにゃ」
「……ありがとうございます。わたしも先代様のように思慮深い魔王にならなければなりませんね」
「……あいつに思慮深さなんてないにゃ。自分がそうしたいからした。きっとそれだけのことにゃ」
「あいつ呼ばわりは気に食わんが、確かに。私も先代様はしたいことをしていただけだと思います」
「そ、そうなんですか?」
「そうそう。そして、そういうところはリサちゃんにそっくりだにゃー」
「うむ。確かに」
「え……」
「ふふ……なんて顔してるにゃ。リサちゃんは、そのまま突き進めば良いってことだにゃ」
「は……はい」
そうしてハーリヤの昔話が終わって、その日は解散となった。
風呂を済ませて、自室に戻ったハーリヤは、サングラスを懐かしげに目を細めて見つめてから、大切そうにベッドサイドに置いて眠りにつく。
母親の墓参りが毎朝の日課な彼は、早起きをしなければならないから。




