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良い子遊園地  作者: 鳥藍
8/9

5日目 2 私の嫌いな遊園地


 薄暗い、鉄錆びの匂いがする通路を走り抜け、二人はまた、巨大な透明ケースに直面した。

 立ち止まり、そしてすぐに、方向転換する。


「……」


 直視できない。止まりそうな足を必死で動かし、手を引かれて、少年は走り続ける。


 ずっと、通路に沿って立ち並ぶ子供水槽は、少年の肺を握りつぶそうとする。

 そのたびに、少女の握力を感じては、非情な現実に引き戻される。その繰り返しだ。

 

 そんな状況下でも、少年の中の『良い子』は、冷静であり続けようとする。


 ガラスケースの中身は、それぞれ異なっていた。

 おもちゃ箱のようにぎちぎちに詰め込まれたケースがあれば、ひとりひとり丁寧に分けられているケースもある。

 

 何が違うんだろう、と湧き上がる好奇心に、少年は身震いした。

 少しずつ消えていく疑問に、安心を覚えて、また身震いした。


 貧血で倒れそうなときのように、視界に星空が散らばっている。

 目が覚めた直後のように、空想にぬれた声が耳の奥に浮かび上がってくる。


 少年はそれなりに体力がある。良い子でいるために、良い子になるために、鍛えたからだ。

 ではなぜ、今、倒れそうになっているのだろう。まだ、そんな遠くには行っていないのに。

 

「貴方、しっかり! いまは、ただ、ついてきて!」


 はっとして、少年は意識を呼び起こす。考えることをやめ、ただ走ることに集中する。

 なぜ走っているのかは、わからない。ただ、必死な表情をした少女に、ついていっているだけだ、と。


 

 ガラスケースの立ち並ぶ道を抜け、少年はどうにか呼吸を整えようとする。

 加速したがる心臓を落ち着かせ、焼け付く喉に唾を送り、笑う膝を震える腕で抑え込み。


 息も上げず、苦い微笑みを浮かべた少女は、眉をひそめて少年を見下ろしていた。

 

「は、速い、よ、ねえ……」


「……ごめんなさい。時間がないの」


 息を整えながら、少年は首を傾げた。少年が見上げると、頬を掻く少女と目が合った。


「……ですわ」


「?」


 少女が笑った。

 少年には、その笑みには影があるように見えた。

 

 木馬に跨り、メリーゴーラウンドを楽しむ、あの時の少女とは似ても似つかない笑顔だった。


「ふふふ。もう、『良い子』の振りはやめ。ここから先で、気づかれることはありませんわ」


「振り?」


「……ええ。貴方は、生粋の良い子なのね」


 訳が分からない、と腕を広げて見せる少年。

 そのままでいいよ、と囁き、少女は歩き出した。

 

 少年はただついていく。たったひとつの光を追いかけて。

 

 

 ガラスの向こうに広がる、広い空間。

 一見何もないように見えるその方向へ、少女が指をさした。


「これ、これが見せ……」


 少女が指さした先を覗き込むと……少年は絶句した。

 

「ごめんなさいね。本当は、見せたくなかったの」


 絶句した、が……少年には、何かよくわからない。

 ただ、少女の表情から、何か良くない物だとはわかる。

 

 少年が、説明がほしいと思っていると、ふたりのもとにひとりの大人が近づいてきた。


「やあやあ、こ~んにちは。鏡の娘さん。おやあ? ……後ろの子はだれだい?」


 少女と同じような、輝く目をした大人だった。

 

 少女は何も話さない。黙ったまま、少年を庇うように腕を横に出す。

 少年は息をのみ、少女の厚意に甘えた。


「睨まないでくれよ、君と私の仲だろう?」


「うるさい話しかけないで邪魔なのどっか行って、ねえ」


「あははは、ひどいな、同じ思想同士じゃないか~、仲良くしてほしいな~」


 少女の憎悪が、少年にまで伝わってくる。

 少年には、輝く目をした大人は、悪い人には見えなかった。


「うるさいのよ。結局何もやらなかった。それに、お父様と私を結びつけないで」


 これが反抗期という奴だろうか。少年の中の『良い子』は、そう、納得しようとする。

 少年は、汗を吹き出した。

 

「だから鏡と呼んでいるんだろう? そこの少年に伝わらないように」


 今は明るいのに、少女の表情はわからない。それでも、絶対に怒っていると、少年の肌がそう告げる。


 鏡とは何だろう、と考える少年がいる。

 同時に、鏡というものがあるんだろう、と納得しようとする『良い子』がいる。

 

 思考の放棄を、少年が思い描く良い子は許さない。


 話についていこうと、少年は必死で頭を回す。

 ガラスの向こうから浸透してくる、気持ちの悪い音に流されないよう、必死で。


「そんな気遣いいらないわ! 何もやらないくせに、馴れ馴れしく夢を偽って!」


「あははは、嫌われても仕方ないか。でもさ、」


 目を伏せた大人の瞳が、一瞬黒く濁った。少年には、そう見えた。


「この完璧で不完全な支配制度を、たった一人の非……子供、が変えようとする。そんな笑えない空想を、でも正しいと思える輝く夢を、諦めるのはおかしい事かな?」


「……もういい。私の邪魔はしないで」


 険悪な雰囲気の中。少年は、少女の服を引っ張った。


「ね、ねえ? 説明か解説が欲しいんだけど……」


 少女が振り返った。目を見開き、息を荒げている。


 深呼吸。


 大人はゆっくり通り過ぎていった。また、少女の息が上がった。


 深呼吸。


 落ち着きを取り戻そうとする様子に、少年は何も言えなかった。


「……ごめんなさいね。冷静さを欠いていましたわ」


 少女が微笑んだ。

 

「そ、そっか……」


 輝く目の奥には、どれだけの黒いものが隠れているのか。

 少年は、目を見て話すことすらできない。


「ごめんなさいね、邪魔が入ってしまいましたわ」


「そ、そっかぁ」


「もう、詳しく説明する時間はありませんの……」


「え、……うん」


「……すこし、恐ろしい話をしても、いい?」


 少女の瞳が、揺れていた。


 少年は迷わない。


「良い子関係なら、何でも」


「……ふ、ふふふ」


「えーと……」


「『良い子』って言うのは。従順に、疑問を持たず。私たち支配者に尽くす。作られた存在ですの」


 そう語る少女は。メリーゴーラウンドの木馬よりも、死んだ目をしている。


 少年はいまいち実感を持てなかった。

 少年は齢十歳。努力し続けてきたとはいえ、思春期すら来ていない。

 そんな少年に、小難しい支配体制の話は、通じるはずもなかった。

 

「……わからないのなら、分からないままでいいですわ。変わらず、私のお友達のままでいてくれたら」


 少女の笑顔を見るのは、久しぶりな気がした。


(わたくし)は、満足ですわ。ふふふ」


 

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