5日目 3 決断せよ、この良い子遊園地で
二人の姿は、ひとつの大きな扉の前にあった。
「ここが、私のお父様の待機部屋。さあ、行きましょうか」
「わ、わかった」
深呼吸の後、少女は扉に手をかけた。
……いつまで経っても、扉が開く気配はない。少年は首を傾げた。
「……扉、開けてくださる?」
重たいのかな、少年はそう思い、勢いよく扉を引く。
少年の想像の数倍軽い、見掛け倒しの扉は、勢い余った少年を突き飛ばした。
「いててて……軽いじゃ」
文句を言おうとしたその時、少女に口を抑えられ、少年ははっとした。
扉の向こうから、並々ならぬ気配がこちらを見ている。
それが少女の父だと、少年は直感した。
「ご、ごきげんよう、お父様」
スカートの裾をつまみ、優雅にお辞儀をする少女。
似合わないなと呟きながら、少年はぎこちなく真似をする。
なぜだろうか。少女が少年の足を踏んだ。
「うむ。娘よ、それがお前の従者かな?」
「は、はい。私の、最初の……」
少年は首を傾げようとした。しかし、『良い子』が邪魔をして、身動きひとつ取れなかった。
「そうか、そうか。ふむ、仲が良さそうで何よりだ。しかし」
声が変わった。物が壊れる音がした。
少女の父が机を叩いたのだ。
少年は身震いし、少女を横目に見る。青ざめる少女が、そこにはいた。
「なぜ、その非国民は、支配者の目をしている? なぜ、そんな奴を連れてきた? 答えよ、娘!」
「お、お父様! これは、何の教育も手術も受けずにチケットを5枚手に入れた、生粋の『良い子』なのです! だ、だから……」
「ふざけるな! だからどうした、この国の体制を崩すつもりか!?」
「ひっ、ち、違」
少年は、何も言えない。何の話をしているのかすら、しっかりとはわかっていない。
それでも、大人が怒っているのはわかる。
良い子でいれば怒られない。
いや、違う。良い子は、相手を怒らせてはいけない。
どうすれば良いのかは、理想の良い子が教えてくれる。
「あのー、少女様のお父様、はじめまして」
空気が凍った。
当たり前だ。
「……娘、それは、空気も読めないのか?」
「え、ええ、そう、そうですわ! 教育も手術も、もともと必要なかった、そんな物ですわ!」
「そうか」
少女の父が少年を睨む。
少年はまた、身震いした。余計に怒らせてしまったのではないか、と。
しかし、少女の父の怒気が少し弱まった、そんな感覚も、少年は感じている。
少し悩んだ末、少年は続行することにした。
イメージできる限りの、空気の読めない、従順な人形を。
「あの、ぼ、私は、どうすればいいのでしょうか」
「……」
「あ、あの、お父様」
「なんだね」
「実は、まだ説明が終わっていませんの。これが専用の教育を受けていないことを、失念していましたの」
「そうかい」
「ですから、そろそろ失礼しますわ、お父様」
「……」
「では」
少女が会釈をした。それに続いて、少年も頭を下げる。
そのまま、二人は扉から出ていった。
何も話さず、少女は進み続ける。
少年はただついていく。
少女の肩が、小刻みに震えている。
少年はただ、ついていく。
「ねえ、どこに向かうの?」
狭い道を進み続ける。抜け道だろうか、少年は体を横にむけてついていく。
壁に服を擦り、腕に傷ができても、ついていく。
「ねえ、どこに向かうの?」
少女は答えない。
「ね、ねえってば」
道の奥、行き止まりの少し広い場所に出た。
ついに、少女は立ち止まった。
「ね、ねえ?」
少年は気づいた。
「……泣いてるの?」
少女は振り返らない。
「こ、こわかった。私、こわかったの」
「お父さん?」
「貴方、が、無理矢理、連れて行かれちゃうんじゃ、って、そう思って、私、こわかったの」
「そ、そう」
少しだけ、世界から音が消えた。少年は、そんな錯覚に陥った。
荒い息と静寂を破ったのは、少女の震え声だった。
「ねえ、貴方。チケットを5枚手に入れて、私に気に入られた貴方は……私の、従者になることが決められているの」
「従者?」
「ええ。そういう制度なのよ」
「えー、それはちょっと……」
「拒否権はないわ。人権も、生き物でいるための最低限の権利さえも」
「……なにそれ?」
「貴方は、私の物になる……あなた達一般人は、支配者層の傀儡になる」
「難しい話?」
「……それが、この国のルール」
「えー?」
少年は困惑した。急に、ルールだ支配だ言われても、ピンとこない。
たったひとつの確かなのは、目の前で少女が泣いていること。
肩を震わして、声も震わして、一人暗闇の中でもがいていること。
「私、そんなの嫌なの」
少女が振り返った。輝く瞳の中に、少年だけがうつっている。
「だって、お友だちがいなくなっちゃう」
「え、あ、そっか」
「それに、沢山の犠牲の上で悠々自適に生きるなんて、耐えられないわ」
「そ、そういう、もん……か」
「ええ」
少年の中の『良い子』が、薄れていく。
「だ、だから……」
「だから?」
「だから、その……」
「?」
少女は俯いてしまった。少年の目には、なにか悩んでいるようにしかうつらない。
少女が何を躊躇っているのかは分からない。
分からないが……。
ただ純粋に、少年は、涙を流す少女を助けたいと、そう思った。
静かに、少女の声が響く。
「ね、ねえ、貴方。一緒に、逃げ出さない?」
「逃げる?」
「あ、いや、その……やっぱいい、帰ろっか」
良い子は、人が嫌がるであろうことをしてはいけない。
良い子は、身勝手に動き出そうとしてはいけない。
良い子は、良い子は、良い子は。
『良い子』は、従順でなければならない。
少年は、良い子でいなければならない。
嫌がられるだろう。怒られるだろう。勝手に動いてしまった、と後悔するだろう。
でも、いま動かなかったら。
果たしてそれは、良い子なのだろうか。
「ん」
少年は、少女の顔を覗き込んだ。
「やっぱいい、そんなわけないでしょ。いいよ。一緒に逃げよ?」
「で、でも、もし捕まったら……貴方は……」
「ずっとお友だちでいるって、約束したもんね」
少女の瞳に、小さな光が灯った。
「それに、泣いている子を無視するなんて、できないよ」
少年は、腕を上げて見せる。何の意味もない動きだが、それならばなにか意味をつければ良い。
「僕は、生粋の良い子だからね!」
「……ふふふ、ありがと」
「ほら、いこう?」
今度は、少年が手を引く番だ。
今度は、少年が。
「やっぱりか。嘘をついたな、この馬鹿娘が!」
狭い通路の向こうから、怒声がした。
気づいたときには、少年は動けなくなっていた。
「お父、様……? どうして……」
「黙れ、恥晒しが! ついてこい!」
少年には、何も見えない。
少年には、何も聞こえない。
暴れまわろうとした矢先、少年の意識は、闇に消えた。
次回、最終話。




