4.5日目 裏表のある遊園地
土砂降りの中、二人の姿はメリーゴーラウンドの前にあった。
少年は首を傾げた。良い子の基準に、何の関係があるのだろうか。
「どうしてここに?」
「ふふふ、見ていればわかりますわ……ちょっと持っていてくださる?」
「……わかった、待つよ」
少女の言葉に従い、少年は土砂降りの下、ふたつの傘を掲げる。
雨の中の良い子遊園地は新鮮で、その新鮮さを目に焼き付けるべく、少年はキョロキョロした。
雨音の中の、一瞬の静寂。少年は、良い子遊園地の変化を見つけた。ひとつ、ふたつ、そして……。
アトラクションの全てが動いていない、光っていない。それだけで大きな変化なのだが、少年が気づいた変化はそういった類のものではなかった。
一晩で姿を変えてしまったのだろうか。昨日まで煌びやかだったメリーゴーラウンドは、錆びつき、色褪せてしまっている。見ているだけで乗るのも不安になるほど、くたびれた姿をしている。
確かに、歴史ある良い子遊園地の遊具なのだから、おんぼろでもおかしくはない。だが、メリーゴーラウンドの変貌は、少年の心に深く刻み込まれた。
少年の良い子遊園地での思い出は、このメリーゴーランドから始まった。そういっても過言ではない。
それだけに、思い出を否定されたような気分になったのだ。
現実を許容できない。ひとつの木馬を何度も確認する少女を眺めながら、少年は少しずつ、記憶を整理する。書き換えていく。
記憶の限り、新品同様だったはずだが……。雰囲気に酔っていただけで、もともとおんぼろだったのだ、と少年は納得した。良い子は、起こった事に対してつべこべ言わない。
――少女を待つこと約五分、少年はしびれを切らした。
「今更なんだけどさ、何やってるの、それ」
「……ふふふ。答えは変わりませんわ。見ていれば、わかりますの」
見ていればわかると言われても、現に何も起きていないではないか。メリーゴーラウンドが動く様子もなければ、誰か管理人のような人が来そうな気配もない。
少年には、少女が何をするつもりなのか、皆目見当もつかない。
突然、少女はひとつの木馬に跨った。
「……あ、ありましたわ! こっちにきてくださる?」
少女に導かれるまま、少年は少女の元へ向かった。メリーゴーラウンドの床がぎしぎしと音を立て、少年の恐怖心を駆り立てる。
「あ、あったって、何が?」
目が合ったその時、少年の耳元で、大きな音が鳴った。
いや、実際には鳴っていない。ただ、衝撃が走ったのだ。
少女が、明らかに震えていた。
「……ねえ、貴方。ひとつ、いえ、ふたつ。確認してもよろしくて?」
「え?」
心音が加速する。体が震える。
少年に呼応しようと、メリーゴーラウンドがガタガタと音を立てる。
ボロボロの木馬の上から降ってくる、少女の輝く瞳に貫かれている。
そんな錯覚に囚われ、少年は息をのんだ。
緊張の最中、何を聞こうとしたのかも忘れてしまうほどに、少年の時間感覚は狂っていく。
「これは……これは、お友達としての忠告ですわ」
ゆっくりと、少女は話し始めた。
「ここから先へ行ったら、もう戻れませんの」
「……?」
柔らかく、でも自信満々な印象を与える少女。そんな少女の声が震えていることに、少年は気づいた。
「もしかしたら、いつかは行く事になるかもしれない場所ですわ。ですが……今じゃなくても、いい場所ですの」
「……まって」
何の話か、少年にはわからない。恐怖ではない。ただただ、困惑した。
「まだ、子供のままでいい。まだ、大人になる必要はないの」
「いやあの、だから、」
「まだ、良い子でいたいなら。ついてこないことを、何も知らないままでいることを、お勧めしますの」
「……良い子でいたいなら?」
少年の心の中から、少しの間忘れていた、忘れかけていた疑問が吹き出した。
――良い子って、なんだっけ。
「私の瞳にうつる貴方は、確かに良い子ですわ。私とは違う、純粋な良い子。貴方なら、一生、この先へ行かなくてもいいでしょう」
「……何の話かわかんないけど、僕、褒められてるの?」
「……ええ。その通りですわ」
少年は頭を掻いた。先程から、少女が何を言いたいのかわからない。
だが、謎の、そして劇的な感情の渦は、少年の心に届いている。
「この先へ行ったら、おそらく、いえ、確実に。貴方は、今の貴方ではいられなくなりますの」
「へ、へえー?」
「それでも……行きますの?」
少年は、悩むフリをした。
少女がこれだけ訴えかけてくれているのだ。内容がどんなものかわからなくても、しっかり考えなければならない。良い子として。
しかし、少年の答えは既に決まっていた。
「勿論。知りたいって、我儘を言ったのは僕だからね」
「……お友達がお友達じゃなくなるのは、私が耐えきれませんのに」
薄らと涙を浮かべる少女。
少年には、わからない。
「ごめんね、君の事まで考えてなかった。……でも。そうだとしても、僕は知りたい」
「……」
「ね、ねえ、お願い」
「……」
弱ったな、と少年は頭を抱えた。
友達など、百害あって一利なし。そう思って生きてきた少年には、友達がいる喜びも、友達を失う恐怖も知らなかった。
少女の言いたいことも、情報としてしか伝わらない。
「……ひとつ、約束してくださる?」
「え?」
「これからも、これからも……」
言い淀み、首を振る少女。黒い服のレースが、ひらひらと舞った
「これからもずっと、お友達で……」
少年は驚いた。何故そこまで友達の存在に執着するのか。
あたりが暗くなっていく。お互いの顔も、見えないほどに。
「……わかった。約束する」
約束などと、そう簡単に言ってはいけない。良い子は、約束を破らない。
だから少年は、約束を避けてきた。友達と同じように。
それは、本心からの、約束だった。
少女が微笑んだ、そんな気がした。
日が沈んでしまったのだろう。雨雲越しに薄らと照らしていた光も無くなり、あたり一面、真っ暗に染まった。
何も見えない。聞こえるのは、激しい雨が地面を叩く音だけ。
暗闇の中の浮遊感の中で、少年は手を掴まれた。
「え、え、だれ、」
「ふふふ。私ですわ。落ち着いてくださる?」
少年はほっとした。……ほっとした?
少年が疑問を持つ間もなく、少女の声が響いた。
「ふふふ。ちょっと揺れますわ」
間もなく、あたりが揺れ始めた。錆びた金属が悲鳴をあげて、上の方から警報が響く。
少年は、掴んでいる少女の手だけを信じて、揺れが収まるのを待った。
暗闇の中に、一筋の光が伸びた。光が溢れる隙間は徐々に広くなっていき、あたりを照らす。
揺れが収まる頃には、眩しいくらい光を放つ、エレベーターのような装置が、メリーゴーラウンドの真ん中の柱に現れていた。
「……ふふふ。行きましょうか、良い子遊園地の裏側へ」
少女に手を引かれるまま、少年はエレベーターに乗り込んだ。
ふたりを乗せたエレベーターは、ゆっくりと降下を始めた。




