4日目 良い子って、なんだっけ
体を揺らされ、少年は目を覚ました。
傍には、見たことのない大人。外はまだ暗く、雨が窓をたたいている。
「おはようございます、少年さん」
急に話し始めた大人に驚きながら、少年は答える。
良い子は動揺しない。良い子だから。少なくとも、人前では良い子でいなければならない。
「あ、おはよう……ございます。えーと、何の……」
「本日は、貴方を含めて三名しかいません。また、生憎の大雨です。そこで、特別なアトラクションをご用意いたします」
「は、はあ」
「ですので、昼頃まで、ここでお待ちください。暇つぶし、し、し、しししししししし!」
「……え、え、え!?」
少年は反射的に、壁に張り付いた。何か異常が起きている、ということしか少年にはわからなかった。
どれくらい震え続けただろうか。
布団にくるまって体を抱える少年は、異常な音が止んだことに気付いた。止まらない汗を手で拭い、音を立てないよう、ゆっくり布団から出る。
そしてすぐに、少年は、泡を吹いて倒れている大人を発見した。
助けないと、と叫ぶ良い子と、こんな怖い人には近づきたくない、という生物的な恐怖。それらが少年の中でぶつかり合う。
ごちゃごちゃした心のまま、少年は部屋を飛び出した。
「とりあえず、だれか大人を探そう」
少年の心の中で、良い子でいることを強制する人格が、そう言う。
「探しているふりして、逃げ出してしまおう」
少年の中で、少年が押しつぶしてきた悪い子が、少年を唆す。
「逃げるったって、どこに? 大雨で、外には行けないよ」
「大人を探したところで、さっきみたいに奇声をあげて倒れるかもしれないだろ?」
会話になっていない。しかし、そんなことに気を配っていられないほど、少年は冷静さを欠いている。
長い、長い廊下を走り抜ける。良い子遊園地の、一人一部屋の宿泊施設。視界がゆっくり流れていく。
「でも、良い子でいないと。良い子でいないといけないじゃないか! 人を見捨てるのは、悪い子がやることだ!」
「見捨てるわけじゃない! 怖い物から逃げるだけだ! それに、どうして良い子であることばっかりを気にするんだ!?」
「どうしてだろう?」
はっとして、少年は立ち止まった。
良い子でいなければならない。良い子は、こういう時、どうするのか。少年には、分からない。良い子は、分からないことがあったら、誰かに聞かなければならない。出来るようにしないといけない。
良い子と悪い子の、一方通行の話し合いは、どんどん激しくなっていく。
「良い子遊園地に行くため……?」
「今すでにいるじゃないか!」
「じゃ、じゃあ、良い子遊園地から追い出されないようにするため!」
「良い子遊園地は、そんなにいいものだったか?」
「楽しかったよ、楽しかった! 時間も忘れちゃうくらい、楽しんだじゃないか!」
「そうか。だったら、昨日感じた、あの何とも言えない物足りなさは何だったんだ?」
少年には、分からない。
頭を抱えることしかできない。
「そ、それは……そうだ、足りなかったんだ、何かが足りなかったんだ! そう、そうだよ、もっとやりたいって思って……」
「おかしいな、良い子は、欲しがらないんじゃなかったのか? 良い子良い子言い続けて、結局良い子じゃないじゃないか」
「で、でも……い、良い子でいないと……」
「良い子でいないと?」
「良い子でいないと……良い子で、良い子でいないと!」
少年は頭を抱えた。少年は、良い子でいるために、良い子に必要のないものを捨てたつもりだった。
良い子でいないといけないから、少年は人とのかかわりさえも捨てて、ここまで来た。良い子でいないと、消えてしまいそうで。
ぽつりと音になった言葉は、少年を少年たらしめるための、おまじないだった。
「良い子でいないといけないから。僕は、良い子だから……」
だから、良い子でいなきゃいけないんだ。
「理屈も、論理も、事実さえも関係ない。良い子でいるから、僕なんだ」
少年はゆっくり立ち上がった。そして、一歩一歩進んでいく。助けを呼ぶために。
大声をあげて誰かに気付いてもらうという、普段の少年ならすぐに思いつくであろう解決策は、今の少年には降りてこなかった。
昼頃。何とか大人を見つけ、倒れていた大人のことを任せた少年は、宿泊施設の出口付近の椅子に座り、一人頭を抱えていた。
ただひたすらに、少年は、良い子とは何かを考え続ける。良い子遊園地にきて、遊んで、少年は様々な良い子を見た。少年の理想とは違う、別の形の良い子達。少年は違和感を感じていた。
「チケットを配っているんだから、良い子にも、なにか基準があるはずだ」
良い子遊園地の入場チケットは、一年間良い子にしていた子供達に配られる。全員に配られるのではない。国に選ばれた、本当に良い子達だけが、チケットを手にすることができるのだ。
少年は、思い描く良い子を追いかけ続けてきた。しかし、その姿とはかけ離れた子も、この楽園に招待されていた。
例えば、あの少女。初対面で話しかけて会話を強制し、平気で人を連れまわし、場合によっては人を平気でクッションにする。
そんな少女が、五枚もチケットを持っているのだ。
「でも、基準がないと、チケット配れないもんね」
少年は考えた。考え続けた。
頭を抱えて唸っている少年の元に、ひとつの影が近づいてきた。
「あらら。ごきげんよう、考え事ですの?」
「え? あ……ああ、こんにちは。そう、考え事」
違和感の張本人が、少年に笑いかける。少年はまた、違和感を感じた。
「ふふふ。私でよければ、乗りますわよ、相談、お友達ですもの」
お友達、という単語が少年の耳に引っかかった。
首を振り、手を緩め、またとないチャンスだと確信した少年は、違和感を振りまく少女に向き合う。
大きな音を立てる心臓の鼓動が、少女のキラキラした瞳に吸い込まれないよう必死に抑えて、少年は表情を硬くした。
「……じゃ、じゃあさ、ひとつ聞かせてほしいんだけど……」
何も言わずに、首を傾げる少女。
「ええっと、君は、どうやってここに来たの?」
「ふふふ? バスで来ましたの」
「あ、いや、えーっと、チケット、良い子……」
「あらら? 言いたいことはわかりますわ。良い子に見えない私が、どうやってチケットを五枚も手に入れたのか」
「そ、そう」
どうしてわかったんだろう。少年はそう思った。
「ふふふ、単純な話ですわ。良い子だったから、それだけですの」
「そ、その良い子の、えーっと、基準がわからないんだよ!」
「……ふふふ。貴方、何も知らないのね。知りたいんですの?」
「え?」
少年が首を傾げると、少女は振り返った。黒い服が翻り、スカートの一部が少年の頭を掠めた。それを気にするだけの余裕は、少年にはなかったが。
「大雨ですが……行きましょうか、良い子遊園地の内側に」
「ちょ、ちょっと待って、話についていけないんだけど……」
「ふふふ。どちらにせよ、明日には連れていく予定でしたの。半日早くなった程度……いえ、結果も変わりそうですわ」
「だ、だから、何の話?」
何も答えず、少女は歩き出した。
少年は、ただついていくしかなかった。




