第77話 地下水路の迷宮と論理の欠陥。ポンコツAIと四人の花嫁
王都の地下に広がる巨大な水路は、本来であれば整備された石造りの通路が続いているはずだった。
だが、僕たちが足を踏み入れたその場所は、冷たい水音の代わりに不気味なノイズが反響する異空間へと変貌していた。
「管理者様」
僕の隣を歩くマシロが、青い瞳を微かに明滅させながら立ち止まった。
「空間座標に深刻なズレが発生しています」
彼女の無機質な声が、薄暗い地下道に響き渡る。
「旧システムの残滓がバグとして実体化し、この空間全体を迷宮へと書き換えているようです」
「迷宮化しているってことは、簡単には外に出られないってことか」
僕が左腕の天界の端末を起動すると、マップアプリの画面は激しい砂嵐のようなノイズに覆われていた。
「どうやらそのようだね」
僕が油断なく周囲を見渡すと、背後を歩いていたリズが剣の柄に手をかけた。
「アレン、気をつけて」
リズの黄金の闘気が、暗闇を薄っすらと照らし出す。
「なんだかすごく嫌な気配がするよ」
その直後だった。
ジジジッという耳障りな音と共に、僕たちの周囲の景色がドロドロと溶けるように歪み始めたのだ。
「なっ……!?」
サクラが驚きの声を上げ、刀を抜き放とうとする。
しかし、歪んだ空間から溢れ出した漆黒の霧が、あっという間に僕たち五人を包み込んでしまった。
視界が完全に奪われ、隣にいるはずの仲間の気配すら感じられなくなる。
「みんな、僕から離れないで!」
僕が叫んだ声は、深い霧の中に虚しく吸い込まれていった。
『警告』
僕の脳内に、マシロからの直接的な通信が響く。
『バグによる精神干渉プログラムの起動を検知しました』
『対象者の脳内に、最も強い恐怖やトラウマを幻影として投影し、精神を崩壊させるトラップです』
「トラウマの幻影だって!?」
僕は思わず息を呑んだ。
システムが歴史を強制修復しようとした時、彼女たちが見せられたあの絶望の記憶。
それが再び彼女たちを襲っているというのか。
霧がわずかに晴れ、僕の視界に信じられない光景が飛び込んできた。
少し離れた場所で、シャルロットが膝から崩れ落ちていた。
「お父様……嫌です、あの冷たい地下牢には戻りたくありませんわ」
彼女の虚ろな瞳には、政略結婚の果てに見捨てられた孤独な最期が映っているようだった。
その隣では、ベアトリスが両手で頭を抱えて震えている。
「借金……商会が崩壊していく……私の計算が、すべて間違っていたというのですか」
常に冷静な彼女の口から、悲痛な叫びが漏れる。
さらに奥では、サクラが何もない空間に向かって刀を振り回していた。
「主君……矢が、体が動かぬ……!お守りできず、無念……!」
かつて戦場で無数の矢を浴びた記憶が、彼女の誇り高き心を蝕んでいる。
そして、僕のすぐ目の前では、リズが涙を流しながら虚空に手を伸ばしていた。
「アレン!死なないで、私の身代わりに……!」
僕を庇って消滅したあの瞬間を繰り返し見せられ、彼女の心は悲しみで悲鳴を上げていた。
「ふざけるな……!」
僕は奥歯を強く噛み締め、怒りで目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
「彼女たちの心を、僕の大切な人たちの記憶を、これ以上もてあそぶな!」
僕は端末のインターフェースを力強く叩き込んだ。
「【精神防壁アプリ】広域展開!バグの幻影をすべて上書きしろ!」
僕の端末から放たれた純白の光が、地下水路を覆っていた漆黒の霧を吹き飛ばしていく。
光の波動が四人の乙女たちを包み込み、彼女たちの脳内に侵入していた悪意のプログラムを完全に消去した。
「はっ……!私、何を……」
シャルロットが我に返り、呆然と周囲を見渡す。
「アレン……!」
リズが涙目で僕の元へ駆け寄り、その腕に強くしがみついてきた。
「大丈夫だよ、リズ。ただの幻覚だ」
僕が彼女の背中を優しく撫でると、他の三人も僕の元へと集まってきた。
「アレン様、申し訳ありません。一瞬とはいえ、過去の恐怖に囚われてしまいましたわ」
ベアトリスが眼鏡を掛け直し、深く息を吐く。
「うむ……不覚であった。だが、主君の光で目が覚めたぞ!」
サクラが力強く頷き、再び刀を構える。
四人の心が再び一つに結束したことを確認し、僕は安堵の息を漏らした。
だが、危機は去っていなかった。
「管理者様、前方より複数の敵性反応が接近しています」
マシロの警告と共に、暗闇の奥から異形の化け物たちが姿を現した。
それは、スライムのように不定形でありながら、鋭い牙と爪を持つ黒いノイズの集合体だった。
バグが物理的な破壊力を持って、僕たちを排除しようと群れを成して押し寄せてきたのだ。
「数が多すぎるわね……でも、アレンには指一本触れさせない!」
リズが黄金の闘気を爆発させ、先頭のバグを両断する。
「私たちの絆を試した罪、極大の炎で贖っていただきますわ!」
シャルロットの炎が、地下水路を灼熱の空間へと変える。
だが、倒しても倒しても、壁のノイズから無限にバグが湧き出してくる。
「キリがありませんわね。このままでは魔力がジリ貧になりますわ」
ベアトリスが氷の防壁を展開しながら、冷静に状況を分析する。
「マシロ、何かバグの発生源を断つ方法はないのか!?」
僕が叫ぶと、マシロは無機質な瞳を前方へと向けた。
「計算終了。バグの増殖速度が私たちの殲滅速度を上回っています」
マシロは一切の感情を交えずに、絶望的な予測を口にした。
「現在の戦力で全員が生存する確率は、三パーセント未満です」
「三パーセント……!」
「最適解を提案します」
マシロは僕の前に歩み出ると、その白い両手を広げた。
「私のこのボディは、システム端末の仮の器に過ぎません。破壊されてもメインコアに致命的な影響はありません」
彼女のプラチナブロンドの髪が、魔力の奔流で大きく舞い上がる。
「私が自爆コードを起動し、周囲のバグを引きつけながら消滅します」
「なっ……!何を言ってるんだ、マシロ!」
「管理者様たちは、その間に後方へ退避してください。それが、最も論理的な生存ルートです」
マシロは迷うことなく、敵の大群のど真ん中へと足を踏み出そうとした。
自身の命を単なるデータの一部として扱い、囮になるという悲壮な決断。
だが、彼女が飛び出そうとしたその瞬間だった。
ガシッ!
「……え?」
マシロの右腕を、シャルロットが力強く掴んだ。
「何をしているのですか、ポンコツAI」
同時に、反対の左腕をベアトリスがガッチリとホールドする。
「あなたの計算式には、重大な欠陥がありますわよ」
さらに、マシロの正面にはサクラが立ち塞がり、行く手を完全に塞いだ。
「主君の家族を勝手に死なせるわけにはいかぬのだ!」
そして、マシロの背後からリズが近づき、彼女の頭をポンと軽く叩いた。
「マシロちゃんは、ちょっとお休みしてて」
四人の乙女たちは、物理的な力でマシロを強引に後方へと引きずり戻した。
「理解不能です」
マシロは青い瞳を瞬かせ、戸惑いの声を上げた。
「私のボディを犠牲にするのが、最も効率的な戦術です。なぜ妨害するのですか」
「何を計算しているのか知りませんけどね」
シャルロットが炎の杖を構え直し、呆れたようにため息をつく。
「可愛い妹を見捨てるような非論理的な選択、私たちがするはずありませんわ」
ベアトリスが扇子を開き、誇り高く微笑む。
「うむ!家族を全員守り抜くのが、ヤマトの武人の意地である!」
サクラが刀の切っ先をバグの群れへと向ける。
「そういうこと。アレンの大切な家族は、私たちのお姉ちゃんパワーで全部ぶっ飛ばしてあげるから!」
リズが剣を上段に構え、最強の剣聖としての覇気を放つ。
四人の花嫁たちは、一歩も引くことなくバグの群れへと突撃していった。
黄金の剣閃が闇を切り裂き、極大の炎と氷の嵐が迷宮を蹂躙する。
サクラの神速の抜刀術が、群れを成すノイズを塵一つ残さず粉砕していく。
「あ……」
その圧倒的で美しい戦いを後方から見つめながら、マシロの口から微かな声が漏れた。
彼女の胸の奥底で、プログラムには存在しないはずの『熱』が生まれていた。
「エラー……生体反応の異常な上昇を検知」
マシロは自分の胸に手を当て、戸惑うように僕を見上げた。
「論理的に説明できないこの現象は、一体何なのでしょうか。胸の奥が、ひどく熱くて……苦しいのに、不快ではありません」
僕は彼女の隣に並び立ち、優しく微笑みかけた。
「それが、温かさだよ」
僕はマシロの頭にそっと手を乗せた。
「家族の絆っていう、どんなスーパーコンピューターにも計算できない力なんだ」
「かぞくの、きずな……」
マシロは瞬きを繰り返し、戦う四人の背中を静かに見つめ続けていた。
その青い瞳には、システムAIとしての冷徹な光ではなく、一人の少女としての純粋な輝きが宿り始めていた。
冷たい地下水路の迷宮で、五人目の同居人は初めての『心』を知ろうとしていた。
僕たちの絆を試すようなバグとの死闘は、四人の花嫁たちによる圧倒的な防衛戦によって、完全なる勝利への道を切り開こうとしていたのだった。




