第76話 新しい名前と王都の怪異。マシロと名付けられた無垢なる人形
放課後の王立魔法学園から、シャルロットが手配してくれた王都の別邸へと僕たちは帰宅した。
王女の所有する別邸というだけあって、そこはちょっとしたお城のような豪邸だった。
広々としたリビングのふかふかとしたソファに腰を下ろすと、今日一日ずっと僕の背後にピタリと張り付いていた無機質な少女が、正面に立って深々と頭を下げた。
「管理者様。本日の学園における護衛任務を完了いたしました」
「お疲れ様。でも、別邸の中ではそんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
僕は苦笑いしながら、彼女のプラチナブロンドの髪を見つめた。
システムを統括するAIとしての機能を持ったまま、人間の少女の姿で受肉した彼女。
『マザー』という呼び名は、この世界を裏側から管理する絶対的な存在としての名前だ。
一人の女の子として僕たちと暮らしていくには、少し大げさすぎるし、何より温かみが足りない気がした。
「ねえ、君に新しい名前をプレゼントしてもいいかな」
「新しい名称、ですか」
彼女はサファイアのような青い瞳を瞬かせ、小首を傾げた。
「うん。マザーっていうのは役職名みたいなものだからね。これからは家族として一緒に暮らすんだし、もっと親しみやすい名前がいいと思うんだ」
僕は少しだけ考えてから、彼女の純白の髪と、これから色々な感情を学んでいく真っ白な心にぴったりの名前を提案した。
「『マシロ』なんてどうだろう。真っ白で無垢な君に、すごく似合っていると思うんだけど」
「マシロ……私の、新しい名前」
彼女は自分の口でその響きを何度か確かめるように呟いた。
その瞬間、彼女の白く滑らかな頬に、ほんのりと桜色のような赤みが差した。
「生体機能に異常な熱反応を検知。これが『嬉しい』という感情のシミュレーション結果……マシロという呼称、システムに正式登録いたします」
彼女は相変わらず抑揚のない無機質な声だったが、その表情には確かに微かな喜びの色が浮かんでいた。
「……っ!」
その様子を少し離れた場所から警戒しながら見ていた四人の花嫁候補たちが、一斉に息を呑む音が聞こえた。
「な、なんて愛らしいのでしょう……!あの無表情からの少しだけ頬を染めるギャップ、私の母性本能にクリティカルヒットですわ!」
シャルロットが両手で顔を覆い、身悶えするように叫んだ。
「計算外の破壊力ですわ。先ほどまでの冷徹なシステムAIという認識が、急速に『庇護すべき可愛い妹』というフォルダへと上書きされていきます」
ベアトリスが眼鏡を輝かせ、マシロを食い入るように見つめている。
「うむ!これほど小さくて真っ白な生き物、ヤマトの武人として放っておくわけにはいかぬ!まずは美味しいお茶菓子を食べさせてやらねば!」
サクラが慌てて厨房の方へと駆け出していく。
「もう、アレンったら。また無自覚に女の子を口説いてるんだから。でも……うん、マシロちゃん、すっごく可愛いね」
リズが苦笑いしながら歩み寄り、マシロの頭を優しく撫でた。
「生体接触を確認。リズ様、これはどういった意図の行動でしょうか」
「ふふっ、お姉ちゃんからの撫で撫でだよ。これからよろしくね、マシロちゃん」
「おねえ、ちゃん……」
マシロの瞳がパチパチと瞬き、不思議そうにリズを見上げている。
どうやら、四人の花嫁候補たちによるマシロへの警戒心は、彼女のあまりの可愛らしさと純粋な反応によって、あっさりと霧散してしまったようだ。
僕の心配は杞憂に終わり、王都の別邸には賑やかで温かい家族の笑い声が響き渡ったのだった。
夜も更け、王都の街並みが静寂に包まれる頃。
僕は自分の寝室の大きなベッドに入り、これからの学生生活に思いを馳せていた。
運命の強制力という世界の危機を乗り越え、愛する花嫁たちと過ごす平和な日々。
明日もまた、他愛のないことで笑い合える幸せな一日が始まるはずだ。
そう思ってまどろみの中に沈みかけた、その時だった。
ガチャリと、寝室のドアが静かに開く音がした。
「……誰だい?」
僕が身を起こすと、暗闇の中にプラチナブロンドの髪を揺らすマシロが立っていた。
彼女は薄いネグリジェ姿で、音もなく僕のベッドへと近づいてくる。
「マシロ?どうしたの、こんな夜更けに」
「管理者様。緊急の報告事項があります」
マシロは無表情のまま僕のベッドに潜り込み、ピタリと体を密着させてきた。
「ちょっ、マシロ!報告ならベッドの外で……!」
「生体リズムを安定させるための添い寝機能を実行しつつ、異常事態の報告を行います」
彼女のひんやりとした体温が伝わってくるが、今はその行動の意図よりも、彼女の報告内容の方が重要だった。
「異常事態って、何があったんだ?」
僕が真剣なトーンで問いかけると、マシロは空中に青白いホログラムモニターを展開した。
「私の広域魔力センサーが、王都の地下水路において未登録の魔力エラーを検知しました」
「エラー?魔族の残党はもういないはずだろう?」
「肯定します。これは魔族の反応ではありません。旧システムの残滓、あるいは何らかのバグが実体化したものと推測されます。放置すれば、王都全体に空間の歪みをもたらす危険性があります」
彼女の言葉に、僕の背筋が冷たくなる。
せっかく取り戻した平和な日常を、またしても未知の怪異が脅かそうとしているのか。
「分かった。すぐに調査に向かおう」
僕がベッドから出ようとした、まさにその瞬間だった。
バンッ!!
寝室のドアが勢いよく蹴り破られ、ものすごい剣幕の四人が雪崩れ込んできた。
「アレン様!夜這いの気配を察知して急行いたしましたわ!!」
シャルロットが炎の杖を構え、寝間着姿のまま突撃してくる。
「私の防衛網を潜り抜けてベッドに侵入するとは、さすがはシステムAIですわね。ですが、お姉様として厳しいお仕置きが必要ですわ」
ベアトリスが冷気を含んだ扇子を開き、マシロを睨みつける。
「主君の貞操は某が守る!マシロ殿、そこをどくのだ!」
サクラが木刀を構え、ベッドの横に陣取る。
「アレン、いくらマシロちゃんが可愛いからって、初日から手を出したらダメだからね!」
リズが僕をジト目で睨みつけてくる。
「誤解だよ!マシロは夜這いに来たわけじゃないんだ!」
僕は慌てて両手を振り、マシロが展開しているホログラムモニターを指差した。
「王都の地下水路で、未知の魔力エラーが発生しているらしいんだ。放置すれば街に被害が出るかもしれないから、今から調査に行こうとしていたところだよ」
僕の説明を聞いて、四人の表情が一瞬にして引き締まった。
恋する乙女の顔から、数々の死線を潜り抜けてきた最強の戦士たちの顔へと切り替わる。
「……なるほど。王都の平和を脅かす怪異というわけですわね。アレン様の新居周辺で好き勝手はさせませんわ」
シャルロットが杖を下ろし、ふわりと微笑む。
「深夜のデートコースとしては少しカビ臭いですが、お供いたしますわ」
ベアトリスが眼鏡を押し上げ、計算を始める。
「うむ!マシロ殿の初陣でもあるな!お姉ちゃんたちが良いところを見せてやろう!」
サクラが気合を入れ直し、力強く頷く。
「よーし、そうと決まればすぐに出発だね!マシロちゃん、私たちにしっかりついてきてね!」
リズがマシロの手を引き、頼もしい笑顔を見せた。
「……理解不能。危険なエラーの調査において、なぜ皆さんの心拍数と高揚感が上昇しているのでしょうか」
マシロが不思議そうに首を傾げる。
「それが、僕たちの家族の形だからだよ。みんなで一緒に、どんな困難も乗り越えていくんだ」
僕がそう言ってマシロの頭を撫でると、彼女は再び小さく頬を染めた。
左腕の端末を起動し、僕は静かに立ち上がる。
五人目の同居人を迎え、僕たちの王都での生活は、深夜の地下水路探索というミステリアスな波乱の幕開けを告げたのだった。




