第60話 両親との密約と、期待に満ちた最後の一年。英雄の帰還と春の決意
ログレー辺境伯領に、惜別の朝が訪れた。
数日間にわたる春休みは、文字通り激動という言葉にふさわしいものだった。
到着早々の大パレードに始まり、領地を脅かす上級魔族との死闘。
さらには、荒野を豊かな水田へと変える農業チートに、泥だらけの後の限界突破な混浴露天風呂。
どれか一つだけでも一生の思い出になるような出来事が、怒濤の勢いで過ぎ去っていった。
屋敷の前に用意された、王都へと向かう魔導馬車の傍らで、僕は父上と母上、そして兄上たちに最後の手短な挨拶を済ませていた。
「アレン、本当によくやってくれた。お前がこの領地を救い、さらに新しい希望である『コメ』を植えてくれたこと、ログレー家を代表して心から感謝する」
父上である辺境伯が、僕の肩を力強く叩いた。
その瞳には、かつて「魔法の使えない三男坊」として僕を見ていた頃の面影はなく、一人の英雄に対する敬意と、息子に対する深い愛情が同居していた。
「父上、僕はただ、自分の帰る場所を守りたかっただけですよ。秋の収穫の時期には、必ず美味しいお米を食べに帰ってきますから」
「ああ、約束だ。お前の部屋はいつでも空けてある。……それと、あのお嬢さんたちのことも、しっかりとな」
父上は僕の背後で馬車に荷物を積み込んでいる四人のヒロインたちに視線をやり、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
その時だった。
「さあ、お嬢さんたち。ちょっとこちらへ来てくださるかしら?」
母上が、シャルロット、ベアトリス、サクラ、そしてリズを呼び寄せた。
「は、はい、お義母様!」
リズが一番に、顔を真っ赤にしながら駆け寄る。
まだ正式に籍を入れたわけでもないのに「お義母様」と呼ぶあたり、この春休みで彼女たちの距離がどれほど縮まったかがよく分かる。
母上は、四人を屋敷の影になる場所へと連れて行き、何やら内緒話を始めた。
僕は左腕の【天界の端末】を無意識に起動させようとしたが、ふと思い直して止めた。
英雄としての力を使って、愛する彼女たちのプライベートな会話を盗み聞きするのは、さすがに無粋というものだ。
だが、僕の鍛え上げられた感覚は、望まずとも彼女たちの微かな声を拾ってしまう。
「いい、みんな。アレンはああ見えて、自分のことに関してはとても鈍感なの。だから、あなたたちがリードしてあげないとダメなのよ」
母上の、どこか楽しげで、それでいて力強い声が聞こえてくる。
「は、はい。ですが、私たちはまだ学生ですし……その、具体的にはどのような……?」
シャルロットの、少し戸惑いを含んだ、けれど期待に満ちた声。
「あら、簡単なことよ。まずは、三年生を卒業するまでに、既成事実を積み重ねてしまうこと。王都には別邸も用意してあげるし、住む場所なんて何ヶ所あってもいいのだから」
「……卒業したら、すぐに結婚、ということですわね?」
ベアトリスの、事務的でありながら情熱を隠しきれない鋭い声。
「ええ。子供の数だって、多い方が賑やかでいいわ。そうね、最低でも一人は産んでもらわないと、ログレー家の血が絶えてしまうもの」
「た、沢山産みますね……!某、アレン殿の世継ぎを産むためなら、どのような修行も厭わぬぞ!」
サクラの、武人らしい(?)極端な決意表明が聞こえてきて、僕は思わず空を見上げた。
「いい?あなたたち。あの子は平穏なスローライフを送りたいなんて言っているけれど、あんな才能を世界が放っておくはずがないわ。だからこそ、あなたがたちが彼を捕まえて、どこへも行けないように縛り付けておきなさい」
母上……。
自分の息子を、まるで獲物か何かのように扱うのは勘弁してほしい。
だが、四人の乙女たちの反応は、僕の予想を遥かに超えて熱狂的なものだった。
「はい!私、絶対にアレンを離しません!」
「アレン様との新婚生活、今から設計図を書き直しますわ!」
「冒険者としての活動と子育ての両立……シミュレーションは完璧ですわね」
「某も、ヤマトの母上に良い報告ができるよう、精進いたす!」
……ごにょごにょと聞こえてくる単語は、もはや「結婚」「子供」「定住先」「囲い込み」といった、穏やかではないものばかりだ。
僕はあえて、それらをすべて「春の風のいたずら」としてスルーすることに決めた。
今ここでツッコミを入れれば、それこそ収拾がつかなくなるのは目に見えている。
「アレン様、お待たせいたしましたわ!さあ、王都へ帰りましょう!」
数分後、母上との密談(あるいは密約)を終えた四人が、晴れやかな……というよりは、獲物を狙う猟師のような鋭い輝きを瞳に宿して戻ってきた。
「う、うん。みんな、準備はいいかい?」
「ばっちりだよ!私、なんだか三年生が楽しみになってきちゃった!」
リズが僕の右腕に絡みつき、その柔らかな感触を躊躇なく押し当ててくる。
「ええ。最後の一年間、悔いの残らないように……いえ、望むすべてを手に入れるために、全力で走り抜けますわ」
シャルロットも左腕を確保し、艶やかな笑みを浮かべる。
「……ねえ、みんな。なんだか気合が入りすぎてない?」
「当然ですわ。私たちは、あなたの『妻』の座を、より強固なものにする必要があるのですから」
ベアトリスが眼鏡をクイッと上げ、不敵に微笑む。
「某も、アレン殿を支える準備は万端だ!さあ、参ろうぞ!」
サクラが僕の背中を押し、五人は魔導馬車へと乗り込んだ。
ゆっくりと動き出す馬車。
窓の外には、僕たちが泥だらけになって植えたばかりの、小さな苗が並ぶ水田が広がっていた。
今はまだ頼りない緑の筋だが、秋にはきっと、僕の夢見た『黄金の稲穂』がこの地を埋め尽くすだろう。
炊きたての白いご飯に、新鮮な卵を落として食べる。
そんなささやかで、けれど至高の幸せを、この仲間たち全員と分かち合える日が来ることを僕は確信していた。
馬車がログレー領の境界線を越え、王都へと続く街道を走り始める。
「……最後の一年間、か」
僕は隣で幸せそうに眠り始めたリズの寝顔を見つめ、そっとその頬に触れた。
かつては魔法の使えない劣等生として、静かに消えていこうと思っていたこの世界。
それが今では、これほどまでに騒がしく、愛おしい人々に囲まれている。
魔族の暗躍、そして母上たちとの不穏な密約。
三年生になっても、僕の望む「平穏なスローライフ」は、まだしばらくはお預けのようだ。
だが、彼女たちの温もりを感じながら、僕は不思議と悪い気はしていなかった。
むしろ、これから始まる未知のトラブルや甘い日常が、楽しみですらある。
「最後の一年間も、きっと……いや、最高に楽しいものになるな」
僕は静かに目を閉じ、春の陽光に包まれながら、次なる舞台へと向かう馬車の揺れに身を任せた。
最強の裏方賢者と、四人の愛すべき花嫁候補たち。
僕たちの物語は、期待と波乱に満ちた「最後の一年」という、真のクライマックスへと向かって、再び力強く動き出したのだった。




