第58話 荒野を緑に変える農業チート。希望の種籾と、泥だらけの乙女たちが夢見る卵かけご飯
上級魔族ザガンと数万の魔物の大群を退けた翌日。
辺境伯領の国境防衛砦には、生き残った喜びと平和な空気が戻ってきていた。
しかし、砦の城壁から眼下に広がる景色を見下ろした父上、ログレー辺境伯の顔には、深い苦悩の皺が刻まれていた。
「魔物の脅威が去ったのは喜ばしいことだが……これでは今年の作付けは絶望的だな」
父上の視線の先には、昨日の激戦の爪痕が色濃く残る平原が広がっていた。
シャルロットの極大火炎魔法によって黒焦げになり、あるいはガラス化してしまった大地。
ベアトリスの絶対零度魔法によってカチコチに凍りつき、生命力を失ってしまった土壌。
もともと国境付近の平原は、辺境伯領の貴重な農地として開拓が進められていた場所だったのだ。
それが今や、草木一本生えない不毛の荒野へと姿を変えてしまっていた。
「領民たちの胃袋を満たすための麦畑が、完全に消し飛んでしまった。近隣の領地から食糧を買い付けるにしても、莫大な資金が必要になるぞ」
父上が深いため息を吐き、頭を抱え込む。
激しい戦闘においては仕方のない犠牲だったとはいえ、領主として領民の生活を守らなければならない父上にとって、これは死活問題だった。
「父上、心配はいりませんよ」
僕は父上の隣に並び、荒れ果てた大地を見下ろしながら力強く宣言した。
「戦闘は終わりましたが、僕たちの春休みはまだ始まったばかりです。領地の復興なら、僕たちに任せてください」
「アレン……?しかし、これほど広大な土地を元通りにするなど、何年かかるか分からんぞ」
「数分で終わらせてみせます。僕の、現代科学チートの力で」
僕は左腕の【天界の端末】を起動し、ホログラム画面を展開した。
このために僕は、前世の知識と魔法を掛け合わせて様々なアプリを開発してきたのだ。
破壊する力だけでなく、生み出し、育む力こそが、僕の理想とするスローライフには必要不可欠なのだから。
「【土壌改良アプリ】、最大出力で起動。地中のミネラルバランスを最適化し、微生物の活動を極限まで活性化させろ」
僕の端末から放たれた目に見えない緑色の光の波が、城壁から荒野全体へと広がっていく。
ゴゴゴゴゴゴッ……!
地鳴りにも似た低い音が響き渡ると、ガラス化していた地面がパウダー状の柔らかい土へと戻り、凍りついていた土壌が黒々とした肥沃な大地へと変貌し始めた。
「なっ……なんだこれは!土が、土が息を吹き返しているぞ!」
父上や周囲の騎士たちが、目を見開いて驚愕の声を上げる。
「まだまだ行きますよ。【天候操作アプリ】起動。局地的な降雨と、太陽光の最適化を実行」
僕が空に向かって指を弾くと、荒野の上空にだけポッカリと雨雲が形成され、恵みの雨が降り注ぎ始めた。
乾ききっていた大地が水分をたっぷりと吸い込み、生命を育むための完璧な土台が完成していく。
ほんの数分の間に、死の荒野は一面の豊かな黒土が広がる最高の農地へと生まれ変わってしまった。
「信じられん……!お前は、神の御業でも手に入れたというのか、アレン!」
父上が震える手で僕の肩を掴む。
「ただの科学と魔法の応用ですよ。さあ、土台はできました。次は種まきですね」
僕が振り返ると、後ろで控えていたサクラが一歩前に進み出た。
「アレン殿!某がヤマト国から大切に運んできた『希望の種』を蒔く時が来たようだな!」
サクラは背負っていた大きな布袋を大切そうに胸に抱きかかえ、満面の笑みを浮かべた。
その袋の中に入っているのは、僕がヤマト国へ遠征した際に、醤油や味噌と共に絶対に持ち帰ると決めていた、黄金色に輝く『コメの種籾』だった。
「ああ。この辺境領の豊かな水と大地があれば、最高の米が育つはずだ。大規模な水田作りを始めよう!」
僕の言葉に、リズ、シャルロット、ベアトリスの三人も楽しそうに顔を見合わせた。
「私も手伝う!剣を振るうのも好きだけど、こうやって土をいじるのも楽しいよね!」
リズが早々に動きやすい服に着替え、腕まくりをしている。
「泥で汚れるのは少し抵抗がありますけれど……アレン様との共同作業ですものね。王族としての新しい経験として、挑戦してみますわ」
シャルロットもドレスアーマーを脱ぎ、動きやすい村娘のような服装に着替えていた。
「効率的な農作業のシステム化。これからの領地経営と商会の発展において、非常に有意義なデータが取れそうですわ」
ベアトリスもどこから取り出したのか、麦わら帽子を被ってすっかり農家の娘のような出で立ちになっている。
僕たちは城壁を降り、再生したばかりの柔らかな土の上へと足を踏み入れた。
僕は端末で水路を瞬時に設計し、土を掘り起こして水を引く。
見渡す限りの広大な水田が、次々と完成していく。
「さあ、みんな!横一列に並んで、この種籾から育った苗を順番に植えていくんだ!」
僕がサクラから受け取った苗を配り、田植えのやり方を手本として見せる。
「こんな感じでいいのかな?えいっ!」
リズが泥の中に足を突っ込み、元気よく苗を植えていく。
「きゃっ!足が抜けませんわ!泥の感触が、なんだか不思議で……ふふっ、面白いですわね」
シャルロットがおっかなびっくり泥の中を進みながらも、楽しそうに笑い声を上げた。
「等間隔で正確に植え付けることが、今後の収穫量に直結しますわ。計算通りに……はい、完璧ですわね」
ベアトリスはまるで定規で測ったかのように、一切の乱れなく美しい苗の列を作り上げている。
「ヤマト国の民は、こうして大地と語り合いながら生きてきたのだ。某も、故郷の景色を思い出すぞ」
サクラが懐かしそうに目を細め、手際よく苗を植えていく。
みんなの顔には、昨日の激戦の緊張感など微塵も残っていなかった。
そこにあるのは、土と水に触れ、命を育むことへの純粋な喜びと、仲間たちと共に過ごす平和な時間だった。
「あははっ!リズ、顔に泥がついてるよ!」
「もう、アレンだって髪の毛が泥だらけじゃない!」
リズが僕の顔に泥をピチャッと跳ね返し、僕たちはお互いに泥をつけ合って笑い合った。
「あらあら、お二人とも。抜け駆けは許しませんわよ!えいっ!」
シャルロットも悪戯っぽく笑いながら、僕の背中に泥を投げてくる。
「ふふっ、実に非効率的なコミュニケーションですが……たまには悪くありませんわね」
ベアトリスも参戦し、サクラも「某も混ぜてくれ!」と飛び入り参加してくる。
広大な水田の中で、僕たちは泥まみれになりながら、ただの十七歳の少年少女としてキャッキャウフフと無邪気な時間を過ごした。
「……秋には、この苗が黄金色の稲穂に変わるんだ」
僕は一面に植え終わった苗を見渡し、その先に待つ輝かしい未来を想像してゴクリと喉を鳴らした。
「炊きたてのホカホカの白米。そこに新鮮な卵を落とし、サクラが持ってきてくれた最高級のヤマト醤油を垂らすんだ。そう、僕の夢見た究極のスローライフ飯、『卵かけご飯(TKG)』が食べられるぞ!」
僕が熱弁を振るうと、四人の乙女たちは顔を見合わせてクスクスと笑った。
「アレン様ったら、大魔王を倒した時よりも嬉しそうなお顔をされていますわ」
「アレンの作ってくれるお料理、すごく美味しいからね。秋の収穫が今から楽しみだよ!」
四人の泥だらけの笑顔に囲まれ、僕の胸の中は最高に温かい幸福感で満たされていた。
戦いのない平和な日常。
これこそが、僕がこの世界に転生してからずっと望んでいたものなのだ。
「おーい、アレン!お嬢さんたちも!本当にお疲れ様だったな!」
防衛砦の方から、父上が手を振りながら歩いてきた。
父上は一面の水田と、そこで泥だらけになって笑い合う僕たちの姿を見て、感極まったように何度も何度も頷いていた。
「領地の復興どころか、こんなにも立派な新しい農地を作り上げてくれるとは……。お前は本当に、我が領地の誇りだ」
父上が僕の泥だらけの肩を力強く叩く。
「これくらいの恩返しは当然ですよ。僕を育ててくれた、大切な故郷なんですから」
僕が胸を張って答えると、父上は豪快に笑い声を上げた。
「がはははっ!それにしても、未来の王女殿下や公爵令嬢まで泥だらけにしてしまうとはな!さあ、お前たち、すぐに屋敷に戻って体を洗うがいい」
父上が僕たちに背を向け、ニヤリと意味深な笑みを浮かべて振り返った。
「戦いの疲れと泥汚れを落とすには、我がログレー領が誇る『絶景の大露天風呂』が一番だろう。さあ、遠慮せずにみんなで入ってくるがいい!」
父上の「みんなで」という言葉の響きに、四人の乙女たちの肩がピクリと反応した。
「……絶景の大露天風呂、ですわね」
ベアトリスが泥だらけの顔のまま、眼鏡の奥をキラリと光らせた。
「ええ。アレン様のご実家で、アレン様と一緒にお風呂……これはもう、事実上の夫婦の契りも同然ですわね」
シャルロットの瞳に、農作業とは全く違う種類の、熱く危険な炎が灯る。
「うむ!背中を流すのは、正妻候補である某の役目だな!」
「ちょっとサクラ!私が一番最初なんだからね!」
泥だらけの四人の美少女たちが、恐ろしいほどの熱気と独占欲を立ち昇らせながら、僕をジリジリと取り囲んできた。
「えっと、みんな?お風呂くらい、一人ずつゆっくり入った方が疲れが取れると思うんだけど……」
僕が後ずさりしながら必死の提案をするが、当然のように却下された。
「アレン様と一緒に入ることが、最大の疲労回復なのですわ!」
「さあ、行きましょうアレン!実家のお風呂の洗いっこ、楽しみだね!」
かくして、僕の平和な農業スローライフのひとときは終わりを告げた。
泥だらけの四人の花嫁候補たちに文字通り捕獲され、僕は父親公認の限界突破な混浴露天風呂デートという、理性を試される新たなるサバイバルへと連行されていくのだった。




