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第33話 トクガ城の悲劇と月下の庭園。重圧に沈む姫君の涙と、賢者が差し出す温かな夜食と抱擁

サカエの港を無事に解放した僕たちは、休む間もなく街道を駆け抜け、ヤマト国の中心である『トクガ城』へと急いだ。

数日の厳しい旅程を経て到着した城下町は、活気ある王都とは全く異なり、戦を間近に控えた物々しく殺伐とした空気に包まれていた。


「サクラ姫様がお戻りになられたぞ!門を開けい!」


城門の警護にあたっていた武士たちが、サクラの姿を認めるなり安堵の声を上げて巨大な門を押し開いた。

しかし、城内に通された僕たちを出迎えたトクガ家の家臣たちの顔には、一様に深い絶望と疲労の色が濃く刻み込まれていた。


「爺、戻ったぞ。父上はどこにおられる?すぐに異国からの強力な助っ人を紹介せねばならぬのだ」


サクラが家老の老人に問いかけると、老人は痛ましく顔を歪め、重く首を横に振った。


「姫様……将軍様は、今や意識を失い、生死の境を彷徨っておられます」


「なんだと!?父上が、病に倒れられたというのか!」


サクラが血相を変え、僕たちを置いて城の奥へと駆け出した。

僕とリズ、シャルロット、ベアトリスも慌てて彼女の後を追う。

案内された厳重な警備の敷かれた寝所には、凄まじい瘴気が充満していた。


「父上……!」


サクラが悲痛な声を上げて駆け寄った布団の上には、頬がこけ、顔色の悪い初老の男が苦しげな呼吸を繰り返して横たわっていた。

その全身には、サカエの湊で見た魔族と同じ『黒い靄』が薄っすらと絡みつき、彼の生命力をじわじわと削り取っているのが視覚的にもはっきりと分かった。


「魔族の放った未知の呪毒です」


背後に追いついてきた家老が、絞り出すような声で説明を始めた。


「数日前、オダト家の放った刺客によって呪いを打ち込まれ、それ以来一度も目を覚ましておられませぬ。我が国最高の陰陽師たちを集めましたが、この呪いを祓う手立ては全く見つかっておりませぬ」


さらに、家老は追い打ちをかけるように絶望的な戦況を口にした。


「加えて、オダト家が率いる反乱軍の本隊、およそ数万の軍勢が、すでにこのトクガ城を目指して進軍を続けております。明日には、この城は完全に包囲されることでしょう」


「数万の軍勢……」


サクラの足が、恐怖と絶望にガクリと震えた。


「姫様!将軍様が倒れられた今、トクガ軍を率いて兵士たちの士気を鼓舞できるのは、直系の血を引く貴女様しかおられませぬ!どうか、どうか将軍代行として、我らを率いてくだされ!」


家臣たちが一斉に平伏し、サクラに国の存亡を託してくる。

サカエの湊で己の無力さを痛感し、僕たち異国の力に頼り切ってしまった彼女にとって、数万の軍勢の命運を背負うという重圧は、あまりにも巨大で残酷なものだった。


「某に……父上の代わりが、国を護る総大将が務まるというのか……」


サクラは震える手で自らの腕を抱きしめ、ただ立ち尽くすことしかできなかった。



その日の深夜。

トクガ城の奥にある美しく広大な日本庭園は、静かな月明かりに照らされていた。


澄んだ池の水面が銀色に輝き、竹の筒が石を叩く『ししおどし』の乾いたコーンという音が、一定の間隔で静寂を破っている。

サクラは一人、縁側に座り込んで膝を抱えていた。


将軍家の姫として、家臣たちの前では気丈に振る舞ってきた彼女だったが、誰もいないこの暗闇の中でだけは、張り詰めていた糸が完全に切れてしまっていた。


「父上……兄上……某は、怖いです……」


サクラの黒曜石の瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ち、袴の膝を黒く濡らしていく。


「夜風で冷えるよ、サクラ」


不意に背後から声が掛かり、サクラがビクッと肩を震わせて振り返った。


「アレン殿……」


そこには、お盆の上から湯気を立てるお茶と、二つの小さなおにぎりを持った僕が立っていた。

僕は彼女の隣の縁側に腰を下ろし、お盆を二人の間に置いた。


「某の情けない姿を、見ないでくれ……。主君に、このような顔を晒すなど……」


サクラが慌てて袖で涙を拭うが、次から次へと涙が溢れて止まらない。


「情けなくなんてないさ。誰だって、あんな重圧を急に背負わされたら逃げ出したくなる。泣きたい時は、無理に我慢しなくていいんだよ」


僕が優しく語りかけ、温かいお茶とおにぎりを彼女に差し出した。

「僕が【物質合成アプリ】で作った、梅干しと昆布のおにぎりだ。少し食べなよ。極度の緊張と恐怖は、エネルギーを大量に消費するからね」


サクラは震える両手でおにぎりを受け取り、小さく一口かじった。

ふっくらとした白米の甘みと、懐かしい梅干しの酸味。


故郷の味と僕の心遣いに触れた瞬間、彼女の心の防波堤が完全に決壊した。


「某は……弱くて、無力だ……!」


サクラがおにぎりを握りしめたまま、声を上げて泣きじゃくり始めた。


「サカエの港でも、アレン殿やリズ殿がいなければ、某はただ犬死にしていただけだ。それなのに、明日には数万の反乱軍を相手に、この城の全軍を指揮せねばならぬのだ……!」


サクラの嗚咽が、静かな庭園に響き渡る。


「某の采配一つで、数多の兵が死ぬ。民が傷つく。父上も目を覚まさぬ。怖い……恐ろしいのだ、アレン殿!」


彼女は両手で顔を覆い、子供のように泣き崩れた。

将軍家の姫という仮面の下に隠されていた、年相応の少女の等身大の恐怖と孤独。

僕は無言のまま彼女に近づき、震えるその華奢な肩を引き寄せ、自分の胸に強く抱きしめた。


「アレン殿……!?」


サクラが驚いて顔を上げる。


「今は将軍家の姫じゃなくていい。大和撫子として強がる必要もない。僕の前では、ただの『サクラ』でいいんだ。何も気にせず、泣きたいだけ泣けばいい」


僕の胸の中で、サクラの体が大きく跳ねた。

アレンの温かい体温と、一定のリズムを刻む優しい心臓の音。


その絶対的な安心感に包まれ、サクラは僕の服の胸元を力強く握りしめ、再び大声を上げて泣き続けた。

どれくらいの時間が経っただろうか。

涙を完全に流し尽くしたサクラは、僕の胸の中で小さく、しかしスッキリとした息を吐いた。


「……すまぬ。主君の胸を、某の涙と鼻水で汚してしまった」


サクラが少し照れくさそうに顔を離し、赤く腫れた目で僕を見上げた。

「構わないよ。これで少しは、胸のつかえが取れたかな?」

僕が優しく微笑みながら彼女の頭を撫でると、サクラはコクリと頷いた。


「うむ。不思議なものだな。貴殿の温もりに触れていると、胸の奥底から再び戦う力が、明日へ立ち向かう勇気が湧いてくるのだ」


サクラの黒曜石の瞳に、絶望の濁りはなく、将軍家の姫としての強い覚悟の光が戻っていた。


「君は一人じゃない。僕がいる。シャルロットも、ベアトリスも、リズもいる。オダト家の反乱軍が何万いようと、僕たちの現代科学チートと最強装備で全員ぶっ飛ばしてやるさ」


僕は立ち上がり、サクラに向かって力強く手を差し伸べた。


「君のお父さんの呪いだって、僕が絶対に解析して治してみせる。だから君は、ただ前だけを向いて、君のやるべきことだけに集中しろ」


僕の力強い言葉に、サクラは差し出された僕の手を両手でしっかりと握りしめ、力強く立ち上がった。


「アレン殿。貴殿の言葉を、貴殿の力を信じる」


サクラが僕の手を握ったまま、一歩だけ距離を詰め、熱を帯びた瞳で僕を真っ直ぐに見つめ返した。


「明日の防衛戦、某の背中を……いや、某に命を預けてくれ。必ずや、このトクガ城を守り抜き、父上とヤマトの民を救ってみせる!」


「ああ、頼りにしてるよ、サクラ将軍代行」


月明かりの下、僕たち二人の絆は、これ以上ないほどに深く、そして確かなものへと昇華していた。


そして翌朝。

朝靄に包まれたトクガ城の周囲を、黒い瘴気を纏った数万の反乱軍が完全に包囲し、地鳴りのような法螺貝の音が戦の始まりを告げた。


王国の最強パーティと将軍家の姫君による、絶望的な兵力差を覆すための『トクガ城絶対防衛戦』の幕が、ついに切って落とされたのである。

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