悪役令嬢の別荘で
というわけで、夏季休暇となった。
イヴェット様について別荘に行くため、夏期休暇が始まったその日のうちに、王都内の邸宅へと連れて行かれた。
そこで家政頭を任されているクレアさんを紹介され、出発までの五日間でパーティ準備の補佐の基本についてと上級使用人としての基本作法を詰め込まれることになった。
ちなみに、ド・アマンス家でのこの経験が身について合格点をもらえれば、メイドどころか侍女見習いとして他家へ紹介しても問題ないくらいだとか。
さすが侯爵家である。
学園で、くれぐれも行動に注意してしっかりと学ぶように諭されたのは、そのためだろう。平民でしかない私にとっての破格の経験となるからだ。
とはいえ、その経験を活かすも何も、無事魔女を倒したその先の話なのだが。
そして詰め込み教育も終わった五日後。基本事項のレクチャーでどうにか及第点を取れた私は、別荘地へと向かう馬車に、イヴェット様と同乗している。
たしかに学友かもしれないが、今は使用人として雇われて帯同しているはずだ。これでいいのだろうか。
「パーティでは、基本的に殿下やその側近となる方をはじめ、我が家と懇意にしている貴族家の次代の方々を招くことになるわ」
「そうなんですね」
「どうしてだかわかって?」
「ええと……王太子殿下が即位された後に殿下を支える立場になる予定の方々との、交流と親睦を深めるためですか」
「そう。今のうちからきちんと把握しておかなければならないからよ。もちろん、以前から機を見ては行っていることだけど」
別荘地のある地域のことやらパーティについての諸々やらを聞きつつ、車窓からちらりと外を眺める。すでに王都と周辺の都市部は抜けて、周囲に広がるのは麦やら何やらの畑ばかりだ。
そして、パーティには王太子殿下やその側近たちが来るというなら、攻略チャンスはあるのかもしれない。
悪役令嬢攻略も視野に入れつつこの夏をどうにか乗り切らねばならぬ――と、私は決意を新たにする。
「――今回滞在する別邸は、もともとは大伯母のものなの」
イヴェット様も外を眺めつつ、ぽつりと零す。
「けれど、昨年くらいから体調を崩してしまわれたので、今年は管理状況の確認も兼ねてお貸しいただくことになったのよ」
「イヴェット様の大伯母様、ですか」
「ええ。エメリーヌ・フィストロフ前侯爵夫人よ。前侯爵閣下が一昨年お亡くなりになって代替わりしてから、あまり外に出なくなってしまったのよね。わたくしも、最後にお会いしたのは昨年末かしら」
イヴェット様はちょっと物憂げに溜息を吐いた。大伯母にはよくしてもらったものだと言って。
「きっと、前侯爵閣下が身罷られて気落ちしてしまわれたのね。とても仲睦まじいご夫婦だったから」
「そうなんですね……」
イヴェット様は、何ともなしに大伯母様の話を続ける。
もともと、今の王様の叔父にあたる王子殿下と婚約を結んで愛情を育んでいたのだけど、その王子殿下は結婚前に夭逝してしまった。
当時、王子殿下を愛していた大伯母様は悲しみのあまり身体を壊してしまい、愛する王子殿下の後を追ってしまうのではないかと言われるほどだったとか。その大伯母様を慰め、悲しみを解きほぐし、妻として迎えて大切に慈しんだのが、前侯爵閣下らしい。
「――そんな話を読んだことがあるんですが」
「ええ。大伯母と前侯爵閣下をモデルにした物語があるのよ」
へえ、と私は目を丸くする。
私がどこかで目にしたのはその物語らしい。わかっちゃいたけど、この世界にもこの世界のお話があるんだなあと感心してしまう。
もし、ここが乙女ゲーム世界じゃなくて、魔女のことも遠い昔の伝説でしかなくて、私は単なる平民の突然変異で魔力が高かっただけで、運よくたまたま学園に入れられたのだとしたら、私は今頃いったい何をしていただろうか。
少なくとも、こんな風にイヴェット様に目を掛けていただくことはなかったんじゃないか。
「高貴な方々は政略で婚姻を結ぶことが多いから、愛情は二の次なんだとばかり思ってました。でも、イヴェット様の大伯母様みたいに物語になるような恋をする方もいらっしゃるなんて、素敵ですね」
イヴェット様は「そうね」と視線を外へ向けたまま、小さく頷いた。
どうしてだか……気に掛かる何かでもあるのか、イヴェット様の表情はイマイチさえないように見えて、私は少し不思議だった。
* * *
連れて来られた別荘地は、当然だが、上位貴族の別荘が点在する風光明媚な土地である。もちろん侯爵家別荘の近隣にあるのは王侯貴族たちの別荘だ。
ゆえに、この土地の治安は良く――とはいえ、盗賊や空き巣みたいな者も皆無とは言わないけれど、下手な都市部の城壁内よりずっと安全が保証されている。
警備兵だって巡回している。
夜の自主練は、当分、部屋の中でできそうなものだけになりそうだけど……早朝のランニングくらいなら大丈夫かな?
そしてこの夏の盛りという時期には、侯爵家ばかりではなく多くの貴族が避暑を兼ねてやってくるので、冬のパーティシーズンに負けず劣らずお付き合い、つまり社交が発生するのだそうだ。
イヴェット様が開くパーティというのも、冬ほど格式張ったものでなくとも、近隣に来ている主要な貴族たちの子女を中心に招くものとなるのだ。
「キトリー、お前が装飾文字を書けるなんてうれしい誤算だったわ」
細心の注意を払いながら宛名を書き終えた挨拶状を渡すと、その文面を満足そうに眺めながらイヴェット様が微笑んだ。
今日は少し汗ばむくらいの陽気なのに、きちんと夏向けのドレスを着込んだイヴェット様の顔は涼しげだ。動きやすく風通しのよいお仕着せを着ている私ですら暑いと感じる気温なのに、さすが貴族令嬢である。訓練されている。
「文字にはちょっとハマったことがありまして」
褒められたことが少々照れ臭く、てへへと笑う私に、イヴェット様が「はまる?」と問うような表情を浮かべる。
「あ、すみません。熱中するという意味の、庶民の言葉です」
「まあ、そうなのね」
「はい。伯爵閣下の書庫にある本の装飾文字がすごくきれいで、自分もそういうきれいな文字が書きたくて練習してるんです。最初は見よう見まねだったんですけど、学園の図書館に技法書があったので、それで」
この世界の貴族が持っているような高価な本は、基本、手書きである。
本文の文字はもちろん、ページを飾る文様やら装丁やら、すべて人の手によって作られたものだ。そういう本は、どれも当然ながらそれを専門にする書家の手による流麗な装飾文字、いわゆるカリグラフィーというやつで綴られている。
慣れないと読みづらいが、文字自体の美しさといったら溜息モノなのである。
もちろん、活版印刷のようなものもあるけれど、それは同じものがいくつも必要な――たとえば学園で使われる教科書みたいなものに限られている。
貴族が持つような格調高い「書物」は、欲した貴族自身が発注して作られたものが主流だ。きっと、世界に一冊しかないというステータスが重要なんだろう。
「たしかに、装飾文字が書ければ高級文官も夢ではないわね」
「そうなんですか?」
「ええ。高級文官でなくては扱えない文書も多いの。そういう文書を美しく清書するのも文官の仕事なのよ」
清書も仕事とは、世の中いろいろな仕事があるのだな。ほええと感心する私に、イヴェット様がくすりと笑った。
「さて、今日は午後からヴァレリー様がいらっしゃるわ。お前も同席しなさい」
「はい!」
「ド・オットンヴィル様、ド・ベルトリシャン様、シャンドゥレ様、サン・ベルヴィット様もよ」
「ええと、イヴェット様へのご機嫌伺いですか」
「これでも婚約者ですものね」
イヴェット様はふふふと笑う。
ヴァレリー王太子は物理にちょっと魔法も使えるタンクタイプの王道攻略ルート王子様、リシャール・ド・オットンヴィルは後方支援タイプの宰相子息、ユーグ・ド・ベルトリシャンは軍務省長官子息の脳筋騎士枠、フィリベール・シャンドゥレは実力でのし上がった魔法省長官の子息で魔法DPS、パスカル・サン・ベルヴィットは神祇省長官子息でヒーラー担当……と、攻略対象そろい踏みだ。
そして、王太子とイヴェット様は正式に婚約者だが、イヴェット様はゲーム本編のように王太子を熱烈に愛しちゃってるわけでもないようだった。
どちらかというと、政略の意味合いのほうが強くて、ふたりとも婚約者としてお互いを尊重し合いつつ、淡々と付き合いを重ねているようにも見える。
――そう。イヴェット様と王太子殿下の婚約は、つい先頃整ってしまった。
ヒロインの攻略が進まないと、こうも早く決まってしまうものなんだと、私はがっくりしてしまった。これで王太子攻略の道筋は消えてしまったな、と。
もちろん、ヒロインが横やり入れたうえの略奪愛というのもあるけれど、現状、王太子殿下からの好感度が低い私にその目はない。おまけに、そんなことしてド・アマンス侯爵家の恨みを買って抹殺されたくもない。
私の出る幕などないのだと突きつけられているようだ。
ヒロインなのは間違いないはず、なのに。
* * *
王太子たちを出迎えての歓談に、私も同席した。学友なのだしこのまま輪の中に加わりなさいと言われて同席している――そんな、微妙なポジションだ。
王太子の訪問は、イヴェット様がパーティで身につけるアクセサリーを贈るというのが目的だった。
ドレスは夏用のシンプルなものが、すでに届けられてある。今回はそれに合わせた首、耳、髪と三点セットのアクセサリーを持参したというわけだ。そんな三点セットのアクセサリーを何て呼ぶんだったか……なんて考えつつ、ケースを開けて確認するようすを横から眺める。
夏の太陽も裸足で逃げ出す黄金に涼やかな藍玉を合わせた王太子色とでも呼ぶべき宝飾品で、デザインもさすがという細やかさである。
イヴェット様は満足げに目を細めて「とても素敵ですわね」と微笑んだ。
猫みたいな微笑みだ。
王太子も、それを確認して表情をほんのりと緩める。
そんなふたりを、同席した攻略対象たちも微笑ましげに見守っている。
――攻略対象たちとは、イヴェット様につくようになって入学当時よりも若干距離は縮まっていると思ったけれど、やはり誰とも攻略が進んだようには感じない。
もう、このままイヴェット様の攻略を進め、腹心となったうえで、どうにかド・アマンス侯爵にも取り入って私兵やら借り受けて魔女戦を戦えばどうにか……勝てる気がしない。まったくしない。
いかに侯爵家の私兵は優秀といっても、結局はモブである。
シミュレーションゲーム世界であればちょっと性能がいいユニット扱いで消費される程度の戦力でしかない。
しかもここは乙女ゲーム。
モブなどという、ナレーションで「○人死んだ」だけで済まされるような存在が、魔女戦で役に立つとは思えない。
会話を重ね、交流を深めるイヴェット様と王太子、それから攻略対象の面々を眺めながら、私は小さく溜息を吐いた。
この中の誰でもいいから私と懇ろになってはくれないだろうか。
そうすれば、魔女戦のことをこんなに悩まなくても済むはずなのだ。
「アルザン嬢?」
「――あ、はい!」
「どうかしたのかい?」
呼ばれてハッと顔を上げると、注目を浴びていた。
首を傾げる王太子にじっと見られていて、私は慌てる。
「その……この宝飾に、殿下の思いがぎゅっと詰まっているようで、イヴェット様がうらやましいなと……」
「まあ、うらやましいの?」
「あ、あ、なんと言いますか、私にも、いつか誰かそんなお相手が現れてくれるだろうかなんて考えてしまったら、ちょっと遠い目になったといいますか、その」
しどろもどろに言いつくろう私に、プッとフィリベールが吹き出した。
今度は、DPS魔法使いにおもしれー女認定されたということだろうか。
「そういう予定がないもので、イヴェット様には王太子殿下がいらっしゃって良いなあと素直に思えたといいますか……」
焦れば焦るほど言葉は止まらず、ますます意味不明に弁解してしまう。
「まあ、キトリー。ではわたくしから将来有望な子息を紹介しましょうか?」
「え、そんな、恐れ多い」
ふふ、と微笑むイヴェット様は、本気に見える。
イヴェット様の知っている“将来有望な子息”は、ほぼ貴族で間違いない。ヘタするとド・アマンス侯爵家に縁づく高位貴族の可能性すらある。
だがそんな貴族の嫁になるのが、平民である私でいいわけがない。負担が重い。何より攻略対象でもない子息を相手にする余裕なんて、今の私にはない。
それに――
「あら、キトリーには誰か良いと思っている方でもいるの?」
「そんな方は……」
つい目を逸らしてしまった私に、イヴェット様が笑みを深くする。
「わたくしなら力になれると思うわよ?」
「いえ、そういう人なんて別にいませんから」
「そうかしら。とてもそうには見えなかったのだけど」
「イヴェット、アルザン嬢が困っているよ。そのくらいで勘弁しておあげ」
ぐるぐると視線をさまよわせる私に、王太子殿下が助け船を出す。
イヴェット様に尋ねられて浮かんだのは、なぜかイズミちゃんの顔だった。イズミちゃんは人間じゃなくて泉の精霊で、単なるサポキャラで、もちろん攻略ルートなんかなくて、ゲームが終わればまた姿を見せなくなってしまう――そういう、ゲームの背景にいるようなキャラなのに。
でも、夏休みで別荘に来てしまったから、毎晩会っていたイズミちゃんに会えないのはなんだか寂しくて……
「キトリー? なぜ泣いているの?」
「あ」
気づくと、頬を涙が伝っていた。王太子殿下はじめ攻略対象たちも、ぎょっとした顔で私を凝視していた。
慌てて乱暴に袖で拭った私は、ぶんぶんと頭を振る。
「お前……もしや苦しい恋でもしているのかしら? もし身分が問題だというなら、わたくしが手を貸すわよ? 後見がジャルニー伯で不足だというなら、わたくしから父に言って――」
「ちっ、違います! そうじゃありません!」
「本当に?」
「はい、本当です! 本当の、本当です! そういうのじゃありません!」
毎日会ってたのに急に会えなくなったから寂しいだけ――攻略対象でもないイズミちゃんに恋なんて、するわけがない。
「急にホームシックみたいな気持ちになっただけで、本当に大丈夫です」
「――ならいいのだけれど」
イヴェット様は解せぬという表情をちらりと浮かべたけれど、私がそれ以上のことを言わないのだからと無理矢理納得したようだった。





