何もない予定の夏休み……でした
入学から三ヶ月が過ぎると夏季休暇が来る。
はじめての夏休みというやつである。
元が乙女ゲーだけあって、この世界の学期制その他は前世の世界に準拠している。春入学の三学期制に夏休みがあって秋イベントがあって冬休みがあって――という具合に。
本来の想定通りにシナリオが進んでいれば、もちろん初の夏休みには攻略対象とあれこれイベントが起こっているはずだった。
しかし当然ながら、シナリオの始まっていない私に夏休みイベントなんて起ころうはずがない。避暑地へのご招待もドキドキワクワク海での水着イベントも夕涼みでムードがっつりも何も、すべて起こるわけがなかった。
ちなみにこの世界、乙女ゲームの都合上か水着もプールも海水浴もある。なんなら夕涼みだって肝試し的夜のドッキリだってある。
水辺でキャッキャも夏のホラーも学園ものの鉄板だからだ。
今の私には関係ないけど。
そんな、何も起こるはずのない夏季休暇目前の午後、学園の庭園にあるいつもの四阿でお茶を楽しみながら、イヴェット様が言った。
今日はいつものご友人たちは居らず、イヴェット様とその侍女たちだけである。
「キトリー。お前、夏季休暇中の予定は空いてるわね?」
「はい――でも、私、仕事を……」
「わたくしの別荘へ招待するわ。もちろん来るわね?」
驚きのあまりイヴェット様の顔を不躾に凝視してしまい、慌てて目を逸らす。
これといった予定もイベントの気配も何もかもがないので、私は学校から短期の仕事の斡旋を頼んでいた。
たしかに伯爵閣下から必要な学費の援助はある。だが、だからといって自由にできるお金まで潤沢にもらえるわけではない。あくまでも学園生活を送るために必須なものに限る最低限だし、使い道だってチェックされる。当然だ。
だから、自分が完全に自由にできるお金も少し稼いでおくつもりだったのだ。
主に、これから始まるはずの攻略に備えて。
もちろん、毎日の鍛錬も欠かさない予定だ。
「私、その、お金もなくて……」
「ああ、お前が仕事の斡旋を依頼しているという話は知っているわ」
「そうなんです。だから」
「別荘でわたくしのパーティを開く予定があるの。その手配をお前にも手伝ってもらうつもりよ。もちろん報酬を出すわ。どう?」
「え?」
「将来を考えたら、お前にとっても悪い経験ではないと思うのだけど」
扇を広げて、イヴェット様はふふっと笑う。
私はまたその顔を凝視してしまった。
「そうねえ……お前の働きぶりにもよるけれど、最低でも金貨で二枚は出すつもりよ。お前が遺憾なく能力を発揮すれば、その倍でも構わないわ」
「そんなに!? ほんとですか!? やります! よろしくお願いします、イヴェットお嬢様!」
「よい返事ね。わたくしはお前のことをとても買っているの。詳しくは後ほど、こちらの責任者に話をさせるわ」
「はい!」
ほとんど二つ返事で食いつく私に、イヴェット様はにっこりと微笑んだ。
学園から紹介される仕事では、休暇中、全部の日に何かしら入れて最大限稼いだところで、金貨一枚分に届くかどうかだろう。
つまりイヴェット様のパーティ手伝いで金貨二枚が保証されるのは破格だ。
めちゃくちゃ忙しいのかもしれないが、ド・アマンス侯爵家なら住み込みだからといってそこから食費を差っ引くようなみみっちいことはしないはずだ。
パーティ手伝いなら、拘束日数だって決まってるはずだ。
* * *
「ねえ、あなた。キトリー・アルザン様」
「え、はい!」
私を呼び止めたのは、イヴェット様の取り巻き……というかご友人というか、そんな令嬢だった。いつもの四阿のお茶に、私だけが呼ばれたことを気にしているのだろうか。
めずらしく、神妙な表情を浮かべている。
「今日はあなただけがイヴェット様に呼ばれたと聞いたのだけれど?」
「はい! 夏期休暇の間、お仕事をいただけることになりました!」
「まあ……お仕事、ですの? パーティの準備? たいへんなのねえ。でも、あなたはジャルニー伯爵閣下の後見を受けているのではなかったかしら?」
令嬢がちょっと驚いた顔になったのは、きっと「働く」という発想がなかったからだろう。しかも、貴族の後見があるのに働くとは? と不思議そうだ。
「学費や必要なものはジャルニー伯爵閣下から援助いただけるんですけど、私が個人的に欲しかったりするものまで閣下に出していただくのは違うと思うんです。だから、そのくらいは自力でどうにかしたくて」
「そうだったのね」
「学園から仕事を斡旋してもらう予定だったのですけど、それを知ったイヴェット様が、別荘でパーティを開くから準備を手伝えとおっしゃってくださったんです」
ご令嬢は、感じ入ったという表情で頷く。
「イヴェット様に呼び出されたと聞いたから、もしや何かあったかと心配したのよ。あなたは平民だけど、作法も学問もとてもがんばっているのは、わたくしも存じているから」
「え……あの、ありがとうございます」
「でも、無用な心配だったようね。パーティの準備のためだなんて、侍女か女官のような待遇じゃないの。あなたのことをとても買っているってことだわ。ご期待に応えて、その調子で精進なさい」
「はい!」
こんな風にわざわざ言われるなんて、私は意外に好かれているのだろうか。しかも悪役令嬢の友人から。
このご令嬢の言うとおりなら、うぬぼれてもよいのだろうか。
* * *
その夜も、私はイズミちゃんを訪れた。
イヴェット様に招待されたことと、だからしばらくここへ来れなくなるということを話すためにだ。
「そう、よかったね」
イズミちゃんはいつものように微笑んでくれた。
月が満ちているおかげか、イズミちゃんの姿はずいぶんはっきりしている。イズミちゃんの姿は、月の光が強いほどはっきり見える……気がする。
「うん――なんか、イヴェット様のお友達にも励まされて、私ってもしかして結経評判いいのかなって思った」
「目的はともかくとして、あなたががんばっているから認められたんだろうね。あとは、そのイヴェット嬢の人選と統率力もあるだろうけど」
「人選と統率力?」
私が首を傾げると、イズミちゃんは「そうだよ」と頷いた。
「同性とはいえ、高位貴族のご令嬢に近づく平民を『取り入るな』と排除するのではなく、きちんと努力を認めて許してくれているということじゃないか」
「でも、私が近づいたわけじゃなくて、イヴェット様から……」
「それでもだよ。普通は『生意気な平民が取り入った』と言われるのが常だ。イヴェット嬢の身分と立場がゆえに、貴族であっても早々近づかせてもらえないものだからね。
けれど、あなたについてはそんなこと一切ないんだろう? イヴェット嬢がきちんと対処しているからだろうね」
そういえば、たしかに、ゲームどおりに攻略が進んでいれば、誰それに近づくなんて身の程をわきまえろというつるし上げが始まる時期だ。
相手がイヴェット様で女同士とはいえ、そういうのが一切ないってことは、イヴェット様がそれをさせないように調整しているっていうことなのか……高位貴族令嬢の根回し、すごい。貴族社会こわい。
「じゃあ、やっぱりイヴェット様の好感度上がってるってこと? 結局ユーグの攻略の進みもイマイチだったし、なんかヒーローたちより悪役令嬢の好感度上げてるみたいで変だけど。悪役令嬢との友情エンドなんてあったかなあ」
首をひねる私に、イズミちゃんは肩を竦める。
「魔女のことを別にすれば、ド・アマンス侯爵家で働いた経験があるというのは、これ以上ない経歴だよ。たとえ数日としても、別荘へ招かれてパーティの手伝いを頼まれるなんて、信頼がなければ決してないことだ。
だから、あなたが信頼されていることは間違いないだろうね」
「そう……そうだよね」
このまま乙女ゲームが始まらなかったら、魔女戦がまずいことになる。
でも、このままイヴェット様と仲良くなれれば、イヴェット様にお願いしてド・アマンス家の御威光で兵を集めて戦うことも……って、あれ?
「イズミちゃん、今思いついたんだけど、私、もしかして悪役令嬢攻略してる?」
私は思いついたままのことをそのまま口にする。
イズミちゃんは「え?」と首を傾げた。
「乙女ゲームというのは、あなたの気に入った男性と恋仲になるためにあれこれ計略を巡らせつつ努力するものじゃなかった?」
「あ、うん、そうなんだけど、世の中にはイロモノ枠というのもあるから、もしかしたら隠しルートで悪役令嬢とのGL百合ルートとかあったかもしれないし?」
イズミちゃんが、なんとも言えない表情を浮かべる。
私だって、そんなものないだろうとは思っているけど……「想定通りゲームが始まっていない」のではなく、「ゲームは始まっているけど想定したルートではない」という可能性も考えた方がいいんじゃないだろうか。
今、私が進んでいるのが悪役令嬢ルートだとすれば、イヴェット様からの好感度がやけに高いと感じることの説明がつく。
「考えてみたら、イヴェット様だって能力的に王太子と遜色ない、攻撃寄り魔法DPSの才能あったはず……なら、私がタンク系物理と補助回復を頑張れば、イヴェット様との二人三脚で魔女戦いけるかも?」
「仮にも高位貴族のご令嬢が戦場に出てくるかどうかという問題はあるけど……彼女の家の私兵は王立騎士団についで高名だ。頼りにはなるだろうね」
可能性のありそうなことをあれこれ考えて思考が飛び回る私に、イズミちゃんはいつものように静かに笑っていた。





