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7.攻略対象と悪役令嬢とヒロイン

 連れて来られた別荘地は、当然だが、上位貴族の別荘が点在する風光明媚な土地である。もちろん侯爵家別荘の近隣にあるのは王侯貴族たちの別荘だ。

 ゆえに、この土地の治安は良く――とはいえ、盗賊や空き巣みたいな者も皆無とは言わないけれど、下手な都市部の城壁内よりずっと安全が保証されている。


 そしてこの夏の盛りという時期には侯爵家ばかりではなく、多くの貴族が避暑を兼ねてやってくるので、冬のパーティシーズンに負けず劣らずお付き合いが発生するのだそうだ。

 イヴェット様が開くパーティというのも、冬ほど格式張ったものではないけれど、近隣に来ている貴族たちの子女を招いたものになるということだ。




「キトリー、お前の文字がきれいでよかったわ」


 細心の注意を払いながら宛名を書き終えた挨拶状を渡すと、その文面を満足そうに眺めながらイヴェット様が微笑んだ。

 今日は少し汗ばむくらいの陽気なのに、きちんと夏向けのドレスを着込んだイヴェット様の顔は涼しげだ。動きやすく風通しのよいお仕着せを着ている私ですら暑いと感じる気温なのに、さすが貴族令嬢である。訓練されている。


「文字にはちょっとハマったことがありまして」


 褒められたことが少々照れ臭く、てへへと笑う私に、イヴェット様が「はまる?」と首を傾げる。


「あ、すみません。熱中するという意味の、庶民の言葉です」

「まあ、そうなのね」

「はい。伯爵閣下の書庫にある本の装飾文字がすごくきれいで、自分もそういうきれいな文字が書きたくて、見よう見まねで練習したことがあるんです」


 この世界の貴族が持っているような高価な本は、基本、手書きである。

 本文の文字はもちろん、ページを飾る文様やら装丁やら、すべて人の手によって作られたものだ。そういう本は、どれも当然ながらそれを専門にする書家の手による流麗な装飾文字、いわゆるカリグラフィーとかいうやつで綴られている。

 慣れないと読みづらいが、文字自体の美しさといったら溜息モノなのである。


 もちろん、活版印刷のようなものもあるけれど、それは同じものがいくつも必要な――たとえば学園で使われる教科書みたいなものに限られている。

 貴族が持つような格調高い「書物」は、欲した貴族自身が発注して作られたものが主流だ。きっと、世界に一冊しかないというステータスが重要なんだろう。


「たしかに、美しい文字が書ければ高級官僚も夢ではないわね」

「そうなんですか?」

「ええ。高級官僚でなくては扱えない文書も多いの。そういう文書を清書するのも文官の仕事なのよ」


 清書も仕事とは、世の中いろいろな仕事があるのだな。ほええと感心する私に、イヴェット様がくすりと笑った。


「さて、今日は午後からヴァレリー様がいらっしゃるわ。お前も同席しなさい」

「はい!」

「ド・オットンヴィル様、ド・ベルトリシャン様、シャンドゥレ様もよ」

「ええと、イヴェット様へのご機嫌伺いですか」

「これでも婚約者ですものね」


 イヴェット様はふふふと笑う。

 タンクタイプのヴァレリー王太子に、リシャール・ド・オットンヴィルは後方支援タイプの宰相子息、ユーグ・ド・ベルトリシャンは軍務省長官子息の脳筋騎士枠、フィリベール・シャンドゥレは実力でのし上がった魔法省長官の子息で魔法DPS……と、攻略対象そろい踏みだ。

 王太子とイヴェット様は婚約者だが、イヴェット様はゲーム本編のように王太子を熱烈に愛しちゃってるわけでもないようだった。

 どちらかというと、政略の意味合いのほうが強くて、ふたりとも婚約者としてお互いを尊重し合いつつ、淡々と付き合いを重ねているようにも見える。


 なんだか、私の出る幕などないのだと突きつけられているようだ。

 ヒロインなのは間違いないはず、なのに。



 * * *



 王太子の出迎えての歓談に、私も同席した。学友なのだしこのまま輪の中に加わりなさい――そんな、微妙なポジションだ。


 王太子の訪問は、イヴェット様がパーティで身につけるためのアクセサリーを贈るため、というものだった。

 ドレスは夏用のシンプルなものだが、すでに届けられてある。今回はそれに合わせた首、耳、髪と三点セットのアクセサリーを持参したというわけだ。そんな三点セットのアクセサリーを何て呼ぶんだったか……なんて考えつつ、ケースを開けて確認する様子を、横から眺める。

 夏の太陽も裸足で逃げ出す黄金に涼やかな藍玉(アクアマリン)を合わせた王太子色とでも呼ぶべきものだ。デザインもさすがという細やかさである。

 イヴェット様は満足げに目を細めて「とても素敵ですわね」を微笑んだ。

 猫みたいな表情だ。

 王太子も、それを確認して表情をほんのりと緩める。


 ――イヴェット様につくようになって、入学当時よりも若干距離は縮まっていると思ったけれど、やはり攻略が進んだようには感じない。


 もう、このままイヴェット様の攻略を進め、腹心となったうえで、どうにかド・アマンス侯爵にも取り入って私兵やら借り受けて魔女戦を戦えばどうにか……勝てる気がしない。まったくしない。

 いかに侯爵家の私兵は優秀といっても、結局はモブである。

 ここがシミュレーションゲーム世界とすれば、ちょっと性能がいいユニット扱いで消費される戦力でしかない。

 しかもここは乙女ゲーム。

 モブなどというナレーションで「○人死んだ」くらいで済まされるような存在が、魔女戦で役に立つとは思えない。


 交流を深めるイヴェット様と王太子、それから攻略対象の面々を眺めながら、私は小さく溜息を吐いた。

 この中の誰でもいいから私と懇ろになってはくれないだろうか。

 そうすれば、魔女戦のことをこんなに悩まなくても済むはずなのだ。


「アルザン嬢?」

「――あ、はい!」


 呼ばれてハッと顔を上げると、注目を浴びていた。


「どうかしたのかい?」


 王太子が首を傾げて、私は慌てる。


「その……この宝飾に、殿下の思いがぎゅっと詰まっているようで、イヴェット様がうらやましいなと……」

「まあ、うらやましいの?」

「あ、あ、なんと言いますか、私にも、いつか誰かそんなお相手が現れてくれるだろうかなんて考えてしまったら、ちょっと遠い目になったといいますか、その」


 しどろもどろに言いつくろう私に、プッとフィリベールが吹き出した。

 今度は、DPS魔法使いにおもしれー女認定されたということだろうか。


「いえ、そういう予定がないもので、イヴェット様には王太子殿下がいらっしゃって良いなあと素直に思えたといいますか……」


 焦れば焦るほど言葉は止まらず、ますます意味不明に弁明してしまう。


「まあ、キトリー。ではわたくしから将来有望な子息を紹介しましょうか?」

「え、そんな、恐れ多い」


 ふふ、と微笑むイヴェット様は、本気なのだろうか。

 イヴェット様の知っている“将来有望な子息”は、ほぼ貴族で間違いない。そんな貴族の嫁になるのが、平民である私でいいわけがない。

 何より、攻略対象でもない子息を相手にする暇なんて、今の私にはない。


 それに――


「あら、キトリーには誰か良いと思っている方でもいるの?」

「あ、そんな方は……」


 つい目を逸らしてしまった私に、イヴェット様が笑みを深くする。


「わたくしなら力になれると思うわよ?」

「いえ、そんな、そういう人なんて別にいませんから」

「そうかしら。とてもそうには見えなかったのだけど」

「イヴェット、アルザン嬢が困っているよ。そのくらいで勘弁しておあげ」


 ぐるぐると視線をさまよわせる私に、王太子殿下が助け船を出す。

 イヴェット様に尋ねられて浮かんだのは、なぜかイズミちゃんの顔だった。

 イズミちゃんは人間じゃなくて泉の精霊で、もちろん攻略ルートなんかなくて、ゲームが終わればまた姿を見せなくなってしまう――そういう、ゲームの背景にいるようなキャラなのに。

 そう考えて、でも、夏休みで別荘に連れて来られて、毎晩会っていたイズミちゃんに会えないのはなんだか寂しくて……


「キトリー? なぜ泣いているの?」

「え?」


 はっと気づくと、頬を涙が伝っていた。王太子殿下はじめ攻略対象たちも、ぎょっとした顔で私を凝視していた。

 慌てて袖で拭った私は、ぶんぶんと頭を振る。


「お前、もしや苦しい恋でもしているのかしら? もし相手との身分が問題でというなら、わたくしが手を貸すわよ?」

「あ、あの、違います! そうじゃありません!」

「本当に?」

「はい、本当です! 本当の、本当です!」


 毎日会ってたのに急に会えなくなったから寂しいだけだ。

 それに、攻略対象でもないイズミちゃんに恋なんて、するわけがない。


「その、急にホームシックみたいな気持ちになっただけで、本当に大丈夫です」

「ならいいけれど」


 イヴェット様は解せぬという表情をちらりと浮かべたけれど、私はそれ以上のことを言わないのだからと無理矢理納得したようだった。




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