帰還と再会
夏休みは終わった。
あれっきり魔物の襲撃はなく、概ね穏やかに過ごせた。
私も、高位貴族の侍女とかメイドとかのノウハウをみっちり教えてもらい、「来年もいらっしゃい」と家政頭から声を掛けてもらえるほどに修練を積めた。
さらに言うと、王太子殿下とユーグから、日々の鍛練メニューについての聞き取りもされた。王太子殿下は本気で騎士団の訓練メニューに組み入れる気なのだろうか。騎士団の皆さんが少しだけ心配である。
学園の寮に戻って私が最初にやったことは、もちろんイズミちゃんへの報告だ――いや、報告というか、夏休みにあった魔物襲撃事件のことばっかり話しただけで終わってしまった。フィストロフ前侯爵夫人とリュシアン王子殿下の話は、イズミちゃんには話せなかった。
そして、夏休みが明けて授業が再開したその日、イヴェット様は私に言った。
「大伯母様が、泉の精霊にお会いにいらっしゃるというの」
「えっ!?」
「三日後の夜は満月でしょう? その日の夜、学園の噴水にいらっしゃるらしいわ。だから、お前も予定を空けておくのよ」
本当に来ちゃうんだと呆然とする私を、イヴェット様が手の扇で軽く小突く。
「しっかりなさい」
「あっ、はい」
じゃあ、三日後の夜が、イズミちゃんとの最後の日になるのかな。
どうにももやもやとした割り切れない気持ちがわき上がる。この気持ちを、なんて呼べばいいのかがわからない。
イヴェット様が、困ったわねという目で私を見ている。
「もちろん護衛たちもいるけれど、噴水に近づくのは大伯母様とお付きの侍女だけにしていただいたわ。わたくしとお前が同席するのだから危険はないと納得していただいたの」
「それは、光栄です」
「だから、お前もしっかりと、信頼に応えてちょうだい」
「――もちろんです!」
* * *
「ねえイズミちゃん。もし、イズミちゃんが精霊じゃなくて、実は王子様だった……としたら、どうする?」
その夜、三日後に私のほかにも人が来るから、という話をしなきゃいけないと考えつつ、私はイズミちゃんに聞いてみた。
「急に、どうしたんだい?」
イズミちゃんは面食らったような表情になる。そういえば、はじめて会った時よりも、イズミちゃんは表情豊かになった気がする。
ただの印象だけど。
「ええと――」
返答を待つイズミちゃんに、何て説明したものかと私は逡巡してしまう。
本当に、何て説明したらいいんだろう。
「実は、イズミちゃんにそっくりな人がいたみたいで」
「僕にそっくりな人? 人間?」
私がこくりと頷くと、イズミちゃんは真剣な表情になる。
「つまり、僕にそっくりなのは、人間の王子様ってこと?」
私はやっぱりこくりと頷く。イズミちゃんは、私が考えていたよりもずっと真剣に受け止めているようだ。
「なら、僕は精霊ではないってことか」
「それは、まだ、わからなくって」
わからない。イズミちゃんが実は王子様でこの噴水の地縛霊なのか、それとも本当に泉の精霊なのかは、まだわからない……と思う。
「キトリーは、王子様だと考えているようだね」
けれど、とまどう私の表情から読み取ったのか、イズミちゃんはそう言って笑って頷いた。小さく溜息を吐く私に、イズミちゃんが「ちゃんと話してごらん」と言葉を促す。
「実は、夏休みに……」
観念した私は、別荘で見つけた王子様……国王陛下の弟であるリュシアン王弟殿下の肖像画の話と、その元婚約者であるエメリーヌ・フィストロフ前侯爵夫人の話をした。
三日後、その前侯爵夫人が、イズミちゃんを訪ねてここへ来ることも。
「僕が、その王弟殿下……リュシアン・デュ・ヴァルドヴィスかもしれないと、キトリーも考えているんだね」
「だって絵の王子様とイズミちゃんは何もかもがそっくりで……だから私が誤解してただけで、イズミちゃんは本当は迷える王子様で、泉の精霊はバグか何かで出てこなかったんだって……」
ぽそぽそと言い訳めいた言葉を述べる私に、イズミちゃんはくすりと笑って肩を竦める。「ピンとこないな」と呟いて。
「もし僕が王子だとして……王宮の中を彷徨っているならともかく、どうしてこんなところにいるのか、理由がわからない。単に僕がそっくりなだけで、その王子とは別人だと考えるほうが自然じゃないのかな」
「でも、ありえないくらい似てるのに?」
イズミちゃんはまた肩を竦める。
自分が誰なのか、イズミちゃんは気にならないのだろうか。もし私なら、何も覚えてない自分がこの国の王女そっくりだと言われたら、そのことに飛びついてしまうだろう。
「似ていることが本人である証拠にはならないんじゃないかな。すくなくとも僕が人間でない以上、たまたまその王子に似せた姿を取っただけだという可能性だってあるよ」
「でも……」
「僕自身が何も覚えていないんだ。僕が何者かを考えてもしかたないだろう? 僕が何者であるか判明するまで、僕は“イズミちゃん”でいいよ」
そういうものかなとうつむく私に、イズミちゃんはことさらに笑ってみせた。
* * *
そして三日後、約束の夜。
さすがに前であっても侯爵夫人に危険が及んではいけないと、噴水の周囲には護衛が置かれた。もちろん、王太子殿下も同席するからだけど。
いつもなら誰も居ない静かな夜の噴水が、今夜だけはどうにも落ち着かない雰囲気に満ちている。
私は約束の時間より少し早く着いてしまったけれど、イズミちゃんはまだ姿を見せていない。
周囲を取り囲む警備の騎士たちに軽くお辞儀をしながら、私は噴水のふちに腰を下ろして皆を待った。ちなみに、女性騎士に身体検査もされた。凶器持ち込みはやばいからね。
程なくして、お忍び用の小さな馬車がガラガラと音を立ててやって来た。私は慌てて立ち上がり、高位貴族に対する礼の姿勢を取る。
「キトリー、待たせたわね」
王太子殿下のエスコートで降りたイヴェット様が、私に声を掛ける。私は姿勢を崩さず「いえ、私も先ほど参ったばかりです」と応じる。
王太子殿下は周囲を確認すると、今度は前侯爵夫人に手を差し伸べて馬車を降りる夫人のエスコートをする。
「案内をありがとう、キトリー・アルザン嬢。楽にしてちょうだい」
そう言われて顔を上げる私にうなずくと、夫人はぐるりと周囲を見渡し、思い出を懐かしむかのように目を細めた。
「なつかしいわ……この噴水は昔から変わっていないのね。わたくしも、学生の頃にはよくこの噴水を眺めていたものだったわ」
夫人の言葉にドキリとする。つまり、イズミちゃん……リュシアン王子殿下との思い出が多い場所だから、イズミちゃんもここに地縛ったのだろうか。
「さて、キトリー。精霊様はどちらに?」
「はい、今……イズミちゃん、出てきてくれる?」
いつもなら、走りながら「イズミちゃん聞いて!」と呼びかけているのだけど、今日はどうにも勝手が違ってぎこちなくなってしまう。
それでも、煙のようにふわりと半透明のイズミちゃんが姿を顕すと、夫人もイヴェット様も王太子殿下も大きく目を見開いて息を呑んだ。
「僕が“イズミちゃん”こと泉の精霊……だよ。君たちが、キトリーの言っていた来訪者だね」
イズミちゃんはにこりと笑ってきれいに礼をする。完璧に作法に則った、身分の高い人たちに対する礼だった。
「――リュカ、様」
夫人が、絞り出すような声で呟く。その声は、わずかに湿り気を帯びているように感じられた。
夫人の呼びかけに、イズミちゃんは私の話を聞きながらいつもそうするように、小さく首を傾げた。夫人は、イズミちゃんのその仕草に、また「リュカ様だわ」と小さく呟く。
けれど、イズミちゃんはちょっと困ったように眉尻を下げるだけだ。何かを思い出した様子もない。
イヴェット様と王太子殿下……そして私は、そんなふたりに何か言葉を挟めるわけでもないまま、じっと行く末を見ているだけだった。
「お姿はもちろん、その仕草も声も表情も、あなたはわたくしの知るリュカ様に相違ありませんわ」
「ご夫人……申し訳ないのだけど、僕はあなたがわからない」
夫人はぽろりと涙をひと粒零す。けれど、イズミちゃんはやっぱり困った顔のまま、残念そうに夫人に告げる。これでイズミちゃんの記憶が戻ってしまうかもとずっと考えていた私は、酷いかもしれないけど、少しだけ安心した。
「キトリーから聞いているかもしれないけれど、僕は僕自身のことを何も覚えていない。あなたのことも、僕にはまったくわからないんだ」
「ええ、聞いておりますわ……けれど、わたくしの覚えている限り、あなたはわたくしの知るリュカ様そのものにしか見えません。
――あなたがこんなところに留まっていらっしゃるなんて、どうして」
そうか、とイズミちゃんは夫人の言葉を噛みしめるように呟いた。
「気づいたら……いや、キトリーの呼びかけが聞こえて、それに耳を傾けたらここにいた、というべきかな。僕にもなぜかはわからない」
「そうでしたの」
ふ、と夫人が笑みを浮かべた。なんというか、何かを振り切ったような、とても晴れやかな笑みだった。
「わたくし、リュカ様のことがほんとうに好きでした」
夫人は、あれこれを思い出すような表情で、イズミちゃんをじっと見つめる。
急な夫人の言葉に、イズミちゃんは少々面食らったような表情になった。
「いつものお茶会が終わって、いつものように屋敷に送ってくださって、またいつものように次のお茶会の話をして……そう、ずっといつものようにいつもの出来事が流れていくのだと信じておりましたのに、あなたは突然病にお倒れになってしまわれて――それきり会えないまま突然身罷られるなんて、想像もしておりませんでした。リュカ様を亡くして、わたくしは、もう生きていけないと思ってしまうくらい悲しかったのですよ」
「それは……申し訳なかった」
「だから、わたくしはずっと、あなたに恨み言を申し上げたかったの」
「え――」
夫人の言葉に、イズミちゃんは驚いたように目を瞠る。夫人はそんなイズミちゃんにくすくすと笑いながら続ける。
「この年まで生きた今だからこそ、あなたに言いたいことですのよ。本当ならわたくしが天に昇った後であなたに再会したら伝えようと、ずっと考えていたことでもありますけれど。
でも、あなたったら天ではなくてここにいらっしゃるなんて。危うく伝えられないところでしたわ」
しかたのない方ね、なんて夫人はやっぱり笑っている。
「――リュカ様、わたくしを置いて逝くなんてほんとうに酷い方。わたくし、泣いて泣いて……もう、目が溶けて流れてしまうくらい泣き暮らしましたの。それでも、あなたが好きでしたわ。
けれど」
神妙な顔で夫人の言葉を聞くイズミちゃんを、夫人は慈しむように……遠い昔に大好きだった何かを懐かしんでいる、そんな表情で見つめる。
「けれど、旦那様に会って、旦那様のおかげでわたくしはまた顔を上げることができて、幸せに生きてこれました。旦那様のおかげで、あなたとのことを大切な思い出に変えて生きてこれたのです。
あの頃、あなたを好きでよかったと……今ではそう思えるほどに。
わたくしは、だからリュカ様にずっと伝えたかったのです。あなたを思い続けられなくてごめんなさい、と」
イズミちゃんの表情が緩んで、小さな笑みに変わる。
「僕はあなたを覚えていない。けれど、もし僕がリュカだったとしたら……もしあなたまでが僕のせいで亡くなってしまったとしたら、きっと、リュカは彼自身を許せなくなっていただろうと、思うよ。
あなたを大切にしてくれる人と出会えて、あなたが幸せに生きてくれてよかったと……リュカならきっと、そう考えるだろうね」
「まあ。やはりあなたはリュカ様に間違いないわね。リュカ様なら、きっとそう言ってくださると、わたくしも思います」
夫人とイズミちゃんが笑い合う。
夫人は、イズミちゃんを相手にぽつりぽつりと思い出を語る。もしあの時いつもどおりに婚約者に会えていたら話したかっただろうことを、ぽつりぽつりと。
「――本当に叔父上なのか。でも、なぜ……」
夫人のイズミちゃんに対する態度をずっと見ていた王太子殿下が呟いた。イヴェット様も、ふたりをじっと見つめながら頷く。
「殿下。何か理由があるのだと思いますわ。故なくリュシアン殿下の魂がここに留まるとは考えにくいですもの。絶対に何かしらの理由があるはずですわ」
「調べてみよう。この場所と、叔父上のことを」
「――あの、私も、何か、お手伝いは……」
イヴェット様と王太子殿下に、私も……とおそるおそる申し出る。
「キトリーは、リュシアン殿下から話を聞きなさい。些細なことでも何でも、聞いたことを書き留めておくのよ」
「それだけでいいんですか?」
「ええ。今のところは」
「それでいい」
ふたりにそう断言されて、私は本当にそれだけでいいのかな、と疑問に思いつつも頷いてしまった。





