魔物の出没
パーティ当日、晴れ。
日差しは強いけれど、高原の避暑地らしい涼やかな風が吹き抜けるので、暑さはさほど厳しくない。
庭園の大きな木や天幕のつくる日陰にいれば、気持ちいいくらいだ。
今日のパーティは園遊会というやつである。このために庭園を整え、天幕を張り、テーブルを置いて……と、雨が降ったらいったいどうするつもりだったんだろう、というほどの準備だ。
案内されてきた貴族に礼をしながら、私はそんなことを考える。
私がイヴェット様の背後に控えつつ、共に招待客を出迎えているのは、「少し顔を売っておきなさい」というイヴェット様のはからいだった。
私を重用することで、身分ゆえに直接紹介はできないが「平民ながら学園でも優秀な成績を納め、イヴェット様も信頼を置いている」侍女のようなポジションであると知らしめているのだ。
「フィストロフ侯爵家、ご到着です」
フィストロフというのは、あの、イズミちゃん似の王子様の元婚約者の嫁ぎ先……と、私は思わずぎくりと身体をこわばらせた後、慌てて礼の姿勢を取った。顔はしっかりと下に向けたまま、下げた視線をちらりとだけ動かすと、侯爵閣下以外にも同行者がいるようだった。
すぐにイヴェット様が「まあ」とうれしそうな声をもらして、侯爵閣下の同行者に淑女の礼を取る。
「伯父様、お久しぶりです」
「イヴェット、招待ありがとう。君も元気そうで何よりだ」
少し離れてはいても親戚同士であるせいか、イヴェット様はにこやかに親しげに挨拶をする。
「それに、大伯母様……こちらに来られるなんて思っておりませんでした。お会いできてうれしいですわ。滞在は伯父様の別邸でしょうか?」
「ええ、そうなの。ここしばらく体調がよかったから、無理を言って来ることにしてしまったわ」
高齢の夫人が、年齢ゆえに少しだけしゃがれてしまった声で、朗らかに応えた。彼女がイヴェット様の話していた大伯母、エメリーヌ・フィストロフ前侯爵夫人なのだろう。
姿勢を戻していいとの合図を受けてゆっくり顔を上げると、夫人は庭園と本館をゆっくりと眺めつつ、懐かしそうに目を細めていた。
「わたくしももうだいぶ歳でしょう? どんどん身体も利かなくなるし、来れるうちに来たかったのよ」
「そんな……こんなにお元気なのですもの。また来年も来れますわ」
夫人は、少し遠い目をしながら庭園に視線を巡らせて、「少しだけ、あの方の思い出に浸りたくなってしまったのよね」と呟く。
「ここにはあの方の思い出が多いから、旦那様が健在な間はなかなか足を向ける気になれなかったの……旦那様ったらとってもやきもち焼きなのですもの」
夫人は、まるでいたずらっ子のような表情で、「ここに来る気になってしまったのも、旦那様がわたくしを置いてさっさと逝ってしまうからいけないのよ」とふふっと笑う。
夫人にとっては、もう五十年も前に亡くなってしまった、大好きだった婚約者の王子様。
もし、イズミちゃんが王子様で、まだ学園の噴水で迷っていると知ったら、夫人はどうするんだろう。
もし、イズミちゃんが精霊なんかじゃなくて、以前は自分が王子様だったことを思い出したらどうするんだろう。
「キトリー」
「――はい!」
「侯爵閣下と前侯爵夫人を、控えの間にご案内してさしあげて」
「はい。では、こちらへどうぞ」
あぶなく物思いにふけってしまうところを、イヴェット様の指示に意識を戻す。
あれこれ考えるのは、このパーティが終わってからだ。
イズミちゃんのことと王子様のことを考えるのは、もっと後だ。
* * *
今日はピーカンと言って良いほど雲がなく、太陽がまぶしい。
避暑地とはいえ、日差しが強いことには間違いないので、急遽天幕と椅子を増やし、招待客たちが心地よく過ごせるようにと、魔法が使える使用人が涼やかなそよ風で涼を呼ぶという対応も加わった。
当初、私も風起こしに入ろうとしたけれど、「涼やかな微風」というのは意外に制御が難しく……結局、大きめの氷の塊をいくつか作らされたくらいで、裏方はお役御免となってしまった。
簡単に細かな調整ができるほど私の魔力量は小さくなく、おまけに私自身、その方向では訓練不足なのだ。身体強化なら自分の身体の感覚でわかりやすいし、どかんと大きな魔法を使うのも簡単なんだけどな。
とにかく、イヴェット様について会場を歩きつつ、あれこれの采配がうまく回ってるかを観察する。
イヴェット様は王太子殿下と一緒に招待客からの挨拶を受けるのに忙しいから、なかなか会場全体に気を配ることが難しい……はずだ。
はずだけど、そんなことまったく感じさせないのは本当にすごい。
――と、何か違和感を感じた気がして、私は思わず空を仰いだ。
何が、とは言えないけど、何かを感じたのだ。
「キトリー?」
イヴェット様が咎めるような声で私を呼ぶ。目の前の客を放って他に気を逸らすのは使用人としていかがか……ということだけど、それでも私は空から視線を外せなかった。
「キトリー、何を……」
「あの、何か……何かが……!」
空を見つめたまま、イヴェット様に応えようとして、私は大きく目を見開いた。
空に小さな黒い点が現れ、それがどんどん大きくなっていく。すぐにそれは大きな鳥……いや、鳥型の魔物の姿へと変わっていった。
ガタリと大きな音を立てて誰かが立ち上がった。ひ、と息を呑む音もするが、誰もが呆然としているのか悲鳴はまだ上がらない。
「――魔物!」
誰かが声を上げる。それを合図に逃げだそうと立ち上がる客たちの間を縫って、会場外縁に待機していた騎士たちが走り出す。
でも、まずい。あの魔物は火を吐くはずだ。攻略本の、魔物データリストの内容を思い出しながら私も走り出す。
ようやく誰かが悲鳴を上げた時には魔物は間近に迫っていて、大きく口を開けていた。あれは火を吐く時の予備動作だ。攻略本に書いてあった。なら、耐火結界を使わないと、範囲攻撃を食らってしまう。
呆然としつつもそこまで考えて、私は片手を振り上げる。
【結界を! 火と衝撃に耐える結界をここに! 今すぐ守れ!】
キラキラと輝く魔力が放たれて、半透明の壁に変わる。魔物の吐いた渦巻く炎は結界の壁に阻まれて、地上には届かなかった。
まっすぐこちらへ降下していた魔物自身も、結界にぶち当たりそうになって、慌てて体勢を立て直そうと翼をはためかせる。
私は素早く周囲を見回し、すぐそばに駆けつけてきた騎士から剣を奪った。
イヴェット様の「キトリー!?」という声に構わず、さらに相手の騎士の膝を踏み台に空中に飛び上がる。もちろん、身体強化を使ってだ。
「あく!」
剣を片手に、もう片手をさらに閃かせてさらに結界を作ると、それを足場に魔物目指して上へと駆け上がる。
「そく!」
魔物はまだ翼をばたつかせている。体勢の整わない今がチャンスだ。
この魔物はたしか序盤で戦うそこそこの強さの魔物だったはず。
だけど、今、ひとりでこの魔物を倒せないようでは、万が一のソロ攻略を見据えて自分を鍛えているはずが、育成を失敗していることになる。
一撃必殺のつもりで倒さなきゃいけない。
「ざん!」
気合いを込めた声と共に、私は振り上げた剣を一閃する。
ぐらりと魔物の身体が揺れた。手応えあり……と満足して私は思わず笑みを浮かべる。
『そうか、お前がそうなのだな』
「――え?」
致命傷を受けたはずの魔物が喋った?
結界を伝って地上へ戻りながら振り返ると、魔物はすでに事切れていて、どさりと重たい音とともに地上に落ちるところだった。
やり切った。でも、私が“そうなのだな”って何のこと?
混乱しつつも私は警戒しつつぐるりと周囲を見回す――と、イヴェット様が唖然とした表情で……いや、イヴェット様だけではなく、この場にいる誰もが、目を丸くして私に注目していた。
「キトリー……あなた、いったい……」
これはもしかして「やらかした」というヤツだろうか。
てへへと笑ってみたけれど、イヴェット様の視線が厳しくなっただけだった。





