「盗聴器がほしい」
「盗聴器がほしい。切実に」
ユーリは天井裏でぼそりと呟いた。
あれから宣言通り、彼女は情報収集を開始した。
子どもに見える外見と十人並みの容姿、そして無害そうな笑顔は相手の警戒心を悉く取り去り、口が硬いはずの騎士団や商人からの話も聞き出した。
危険だからとゼン・ディールが同行しようとしたが、邪魔なので拒否した。二手に分かれたほうが効率が良いし、何よりも、どこからどう見ても冒険者のゴツい男が護衛ですとついてきたら、聞けるものも聞けなくなる。
もっとも、拒否された彼はストーカーのごとく、彼女を尾行していたのだが。
1日が終わって夕食時に情報を交換する。それを3日続けた。
ゼンは泊まっている隣の宿をすぐに引き払うのではなく、予定通り泊まって、そこでも情報を集めたようだ。というより、ユーリに付きまとっている彼が情報収集をしようとすれば、そこしかない。
他に彼女以上の成果をあげられるとすれば冒険者ギルドだ。
彼の情報入手先はその二つにほぼ限られた。
ユーリはといえば、ゼンの行動を読んでいたのか、冒険者ギルドには近寄らなかった。
彼女がロルの宿屋に泊まっている限り、ギルドでの行動に意味がないことも確かだ。
そうして集まった情報は。
セルディス・ルアンダはかなりの放蕩息子であり、貴族である親の権力と、副ギルドマスターという立場を笠に着てやりたい放題、あちこちから金を借りては踏み倒している。しかし、他人の感情に聡いというか、顔色を窺うのが上手いというか、貴族に対して相手が譲れるギリギリのところで引くらしい。
金を貸した商人に聞いてみたところ、「まぁ貴族様ですからねぇ、あれくらいの金額なら付け届けと思えば我慢できなくもないですしねぇ。あれ以上はちょっと困るので、出るとこへ出なくては、ですが」と口を揃えた。引き際の見極めが上手いのだろう。
また、ギルドの受付嬢が言っていたように、相当なイケメンのようだ。セルディスの話を持ち出した途端、ぽーっとなる女性の多いことといったら。商家の奥方(熟女)から料理店の看板娘(8歳)まで幅広い人気である。当然ながら男性陣の評価は低い。
ただし、特定の恋人はおらず、特別懇意にしている相手もいないらしい。
とはいえ、女性関係のトラブルは絶えず、彼の父親がフォローに奔走している。父親であるルアンダ伯爵は末っ子の彼を、目の中に入れても痛くないほどにかわいがっていて、想像を絶する甘やかしぶりだそうだ。
父親が仕事よりもセルディスを優先するせいか、兄と弟は仲が悪く、屋敷で会っても挨拶もしないとか。
彼らがセルディスに何事かを頼むということはなさそうである。話に全く出てこない母親は、セルディスが子どもの頃に病気で死去している。
一方で、商家に嫁いだ姉とはそれなりに交流があるが、関係は微妙らしい。
そもそも、貴族の彼女が商家に嫁ぐことが珍しい。あり得ないことではないが、少なくとも伯爵家以上ではほとんどないと言える。その彼女の結婚までの経緯は、一言で言えば金である。
彼女はセルディスの姉だけあって、かなりの美女であり、一目惚れした商人が大金を積んだのだ。
当時、セルディスが社交界、つまり貴族間で女性関係のトラブルを起こしており、その収拾に金が必要だった父親が承諾したということらしい。
セルディスのために売られたとも言える彼女が、弟を恨んでいないとも思えないが、弟は弟で姉に罪悪感を抱いているようで、彼女に便宜を図っている。
つまり、彼女は弟を利用して商家での立場を守っているわけだが、成功しているとは言い難く、嫁ぎ先で孤立化しているようだ。
貴族の傲慢さを持ったまま、客商売などできるはずがない。
彼女に一目惚れした商人自身も、その気位の高さに次第に辟易してきており、徐々に居場所が失われている。子どもが生まれれば状況は変わるのだろうが、いまだその兆しはない。
この姉ならば、弟に何かをさせるという可能性もありそうだ。
次に、姿の見えないギルドマスターだが、やはりここ数ヶ月は誰も会っていないらしい。
普通ならば生死を疑うところだが、彼に限っては疑う者はいなかった。
ギルドマスターが消えてから、セルディスの放蕩ぶりが増したため、一部で陰謀説が流れたが、セルディスがマスターをどうにかできるわけがないという結論になったらしい。マスターは元Aランク冒険者だったそうなので、その結論に至るのも納得である。AランクとBランクの間には超えられない『限界』という名の壁がある。
実際にはヒトゴロシの手段など五万とあるし、そこに冒険者のランクは関係がない。
結局のところ、なんとなく死んでいない気がする、殺しても死にそうにないという評価なのだろう。
なお、ギルドマスターを任命しているのは、ここサニエスタ王国ではなく、隣国のシルヴァスタ商業都市連合国にある冒険者ギルド本部である。
一方で、副ギルドマスターは、各支部のギルドマスターが指名する。副ギルドマスターの仕事は、ギルドマスターの補佐が主業務なので、ギルドマスターが信頼できる人物が良いだろう、という配慮である。
セルディス・ルアンダの指名は失敗だとしか思えないが、実際のところ、なぜギルドマスターがセルディスを副に任命したのか、誰にもわからないらしい。二人はどういう関係なのかを含めて引き続き調べるしかない。
余談であるが、ゼンの姉セリナ・ディールがギルドマスター代理なのもギルド本部の意向である。彼女が優秀なのは誰の目から見ても明らかなのだが、ギルドマスターはAランク以上という制約があるせいで任命できないらしい。ゼンによると、彼女の冒険者としてのランクはCランクだそうだ。
そして、問題の馬小屋の謎だが、結局何もわからなかった。本当に馬小屋が目的なのかと思えるほど、それ以外の目的になりそうな話がない。
隣の宿を経営しているの商人は、宿屋だけを経営しているわけではない。武器屋や道具屋、飲食店、果ては綺麗な女性が時間制限のある夢を売る商売まで取り仕切っている。王都の商人としては、規模的にも歴史的にも老舗と言える。商業ギルドにおける発言力も高い。
商業ギルドは名前の通り商人たちで結成されたギルドで、街ごとの組織である。商業ギルドは存在しない街も多く、その役割も街ごとに違う。
サニエの商業ギルドの役割は、王国から依頼される仕事をどの商人に割り振るかを決めることで、ぶっちゃけると公共事業の談合をする組織である。無論、商業ギルドに入っていないと商売できないというわけではなく、公共事業に参入できないだけである。
もっとも、現代日本の公共事業と違って利権はほとんどない。それなりの旨味はあるが、それを差し引いても面倒さが勝つ。官僚や貴族の横槍があちこちから入るので、率先してやりたがる商人は滅多にいない。強いて利点を挙げれば、名前が売れて評判が上がることと、金払いが確実だということぐらいだ。
つまり、何が言いたいかというと、隣の宿を経営している商人は、わざわざ馬小屋を建てなくても、現状のままでも十分な利益を得ることができている、ということだ。荒くれどもを雇い、評判を下げる危険性を押してまで、ロルの宿屋の地上げを敢行する必要があるとは思えない。その馬小屋も、ここでなければならない理由がない。したがって、やはり馬小屋目的というのは怪しい、と結論付けられる。
以上が3日間の成果である。
街の人の口が軽いので、それなりの情報が集まったが、決定打が何一つない。
「でも、できることはするって言っちゃったのよねー」
宿屋の一室で、寝台に寝転んだまま、天井を見上げ、ぽつりと独り呟く。
他人ならば『できない』で終わる話も、この世界のユーリにならばできてしまうことがある。
実際、彼女にはまだできることがあった。
気配を消し、足音を消し、そして夜の闇に紛れ。
冒頭に戻るわけである。
「まぁ、ないものねだりしても仕方ないよねー」
この世界、通信機のような魔法具は、今のところない。
携帯電話等の知識が多少なりともあるユーリならば作れそうなものだが、如何せん複雑すぎて、どういうイメージで作ればよいかわからない。自分を起点に音を飛ばす魔法を使うことはできても、2つの端末それぞれの機能を持たせて繋ぐというのがすでにお手上げである。おまけに、スイッチを入れるためには魔力を流さなければならないのに、遠隔操作でそれができるのかというのも不明である。
それらの困難を克服してたどり着くのが発明なのだが、彼女にそこまでの熱意はない。致命的なほどに魔法具作りに向いていなかった。
「まぁ、盗聴器があっても、早送りできなきゃ意味ないか。」
どんなに呟いたところで、音声遮断の結界を張っているため誰かに聞かれる心配はないが、同時に今の状況も変わらない。
「他人の情事に聞き耳立てる趣味も、覗く趣味もないんだけど」
愚痴らずにはいられないユーリの眼下で行われているのは、いわゆる男女の営みである。
だが、いつまでも『覗き』をしていても仕方がない。
ユーリはため息ひとつで意識を切り替えた。
「ロル、宿屋、ギルドマスターあたりをキーワードにして『音声探知』『範囲拡大』・・・っ!」
途端に頭に渦巻く大量のノイズ。
「相変わらず、これ使うの、ツラいなー」
徐々に治まっていく頭痛。
それと同時に脳裏に響く声。
『ロルの奴も気の毒に。あそこのメシ、美味かったんだけどな』
『最近のサニエのギルドはおかしいぜ。ギルドマスターもいないし』
『ギルドの前のでけぇ宿屋、最近採掘作業員を大量に雇ってるらしいぜ』
などなど。
他愛のない話から意味深な話まで多種多様な話が頭の中に入ってくる。
便利な反面、反動は酷い。
『範囲拡大』はユーリのイメージ次第だが、今回は半径500メートル程度と考えたため、それが反映されている。つまり、広範囲に渡る巨大な盗み聞きである。今いる豪華そうな宿屋の一室から近所の酒場、個人の屋敷まで聞きたい放題だ。
無論、この魔法を使うにあたっては、イメージできることが最低条件であるが、イメージできたとしても普通の魔法使いでは魔力が足らないだろう。
はじめからこの魔法を使えば天井裏に忍び込む必要はなく、他人の情事を覗かねばならないシチュエーションになることもなかったのだが、彼女としてはできれば使いたくない魔法だったのである。
「・・・!!」
抵抗を感じて、すぐに魔法の行使をやめる。同時に移動を開始し、己が泊まっている部屋に戻る。
『隠蔽』の結界を張ったユーリの居場所を察知されるとは思えないが、不法侵入している身としては用心しておくべきだろう。
事実、『魔力探知』が使われていた。
「そういえば、超絶美形毒舌魔法使いのおにーさんってAランクだったっけ」
ありがとうございました。




