01-10-01 趙四 先祖 文子
趙。
その先祖は飛廉と言う。紂王の臣下である。その子が「季勝」、孫が「造父」。造父は周の穆王に仕え、功績から趙の地に封じられた。ここから趙を姓とした。
春秋時代に「趙夙」が晋に仕え、「成子」趙衰、「宣子」趙盾と続く。人は「趙衰は冬の日、趙盾は夏の日。冬の日は愛すべし、夏の日は畏るべし」と語っている。なお成子は晋の文公の流浪生活に付き従った人物だ。「子」とは子爵のことを指す。
宣子の子が趙朔。ただこの時同じく晋に仕えていた「屠岸賈」によって一族が虐殺される。辛くも屠岸賈の手より逃れた趙朔の妻が「文子」趙武を身ごもっていた。屠岸賈は彼女の行方を捜索したが、見つからない。
彼女は趙朔の食客、「程嬰」「公孫杵臼」に匿われていた。やがて公孫杵臼がどこかから赤子を連れ、山に籠もるという。すると程嬰は屠岸賈から千金をせびり取り、趙朔の息子のありか、として公孫杵臼と嬰児の所在を伝え,殺させる。こうして「趙家の遺児を殺した」と誤認させた。
やがて成長した文子は屠岸賈を攻め滅ぼす。それに協力した後、程嬰は「あの世の宣子と公孫杵臼に報告致します」と自殺した。




