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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-06 魯(孔子老子)・衛・鄭・陳

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37/600

01-06-01 魯  周公旦・伯禽

」。

 周公旦しゅうこうたんが封じられるも、周公旦は都に留まって幼い成王せいおうの教育に携わった。魯の運営は息子の「伯禽はくきん」に一任した。

 ちなみに成王の教育に当たり、王に過ちがあると伯禽を鞭打ったという。


 伯禽が魯に向かう時、周公旦は言う。

「私はこれまで周の尊き血を引く者として政務に携わってきた。人材を得るため、ひとたび髪の毛を洗う間にも三度応対に出、一食の間に三度口の中のものを吐き出し、応対に出た。それでもなお賢人を取りこぼしたのではないかと恐れている。あなたも魯にて慎み、驕ることのないように」


 周公旦はせいに封じられた太公望たいこうぼうとともに、魯と斉の政務を比較して言っている。いわく、斉の政務は簡潔、魯の政務は煩瑣。これではいつか魯が斉に遅れを取ることになるであろう、と。一方で斉の「賢人の功労を尊ぶ」スタンスにより、いつか臣下が君主を殺すものがでるだろう、と予言した。

 太公望が魯のスタンスを聞いてくる。周公旦は「賢人を重んじこそするが、親族関係を重んじる」と答えた。太公望は「それでは国運は次第に衰微しましょう」と答えた。


 伯禽から数えること十三代。前 722 年の隠公いんこう就任から、魯の歴史書「春秋しゅんじゅう」の記述は始まる。



蒙求もうぎゅう

周公握髮しゅうこうあくはつ 蔡邕倒屣さいようとうし

『韓詩外伝』に、周公旦は来客があれば、例え洗髪中でも髪を握ったまま応対に出たと書かれている。それだけ人材を逃したくなかったのだ、と。

 一方の蔡邕さいよう後漢ごかん末の文人トップオブトップ。そんな蔡邕がたくさんの人の訪問をさばく中、幼少ながらすでに抜きん出た文才を放っていた「王粲おうさん」の訪問に気付き、下駄を踏み外しながらも駆け寄り、その才を激賞した、と言うもの。王粲は後に曹操そうそう曹丕そうひの元で建安けんあん文学を花開かせる「建安七子」の一人として讃えられる。

 得難い人材のためになりふり構わぬ二人、という感じですね。

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