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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-05 春秋呉・蔡・曹・宋

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01-05-06 宋  三襄六景九康

「宋《そう》」。

 子《し》姓、つまり殷王《いんおう》の血族だ。はじめ紂《ちゅう》の兄である「微子啓《びしけい》」が封じられた。


 前 638 年、「襄公《じょうこう》」が覇者たらんと目し、楚《そ》と戦った。このとき兄の「目夷《もくい》」が楚の隊列が整う前に攻撃すべきと主張する。それを聞き入れずにわざわざ整うまで待ったところ見事敗北した。「宋襄の仁www」と笑いものにされている。えっ五覇?


 前 480 年に火星がさそり座アンタレスの側に来た。当時の宋公「景公《けいこう》」はそれを見て怯えた。火星が災いの象徴、アンタレスが宋の象徴だったためだ。星見役が「災いをよそに移してしまえばいい」と言ったが、景公は「他の者になすりつけるのはよろしくない」と突っぱねた。星見役はそのもの言いに感動。改めて火星を観測すると、何と! アンタレスから一度離れていた。あっはい。


 前 329 年に立った「康王《こうおう》」が再び覇者たらんと野望を燃やし、齊《せい》・楚・魏《ぎ》にケンカを売って三国から敵対視された。加えて暴虐淫乱だったため「桀宋《けつそう》」と呼ばれた。前 286 年に齊・楚・魏連合軍に攻め滅ぼされ、宋の領土は分配された。

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