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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-04 東周(春秋戦国概略)

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01-04-02 周 戦国時代

・第七世代(-440~-386)


 前 440 年、「考王こうおう」が思王しおうを打倒し、即位。前 426 年に「威烈王いれつおう」が立つ。

 前 403 年、しんより「ちょう」「」「かん」が独立、諸侯として認められる。

 この辺りでは、もはや周王しゅうおうの権威が甚だ微弱となっていた。そのため多くのケースでは、晋の分裂を「戦国時代せんごくじだい」の端緒とする。

 前 402 年、「安王あんおう」が立った。

 前 386 年、に「田和でんか」がせいを簒奪。太公望たいこうぼう以来のきょう氏に代わり、斉の王となる。



・第八世代(-385~-331)


 前 375 年に「烈王れつおう」が、前 369 年に「顕王けんおう」が立つ。この頃諸侯は周を差し置き、みな王を自称するようになっていた。



・第九世代(-330~-276)


 前 321 年に「慎靚王しんせいおう」が立ち、前 315 年に「赧王たんおう」が立った。赧王が周の実質最後の王である。



・第十世代(-275~-221)


 この頃にもなると、すでにしん一国が強国となっていた。そこで前 256 年、この情勢を挽回せんと、諸国と結んで秦に攻撃を仕掛ける。しかし却って「昭襄王しょうじょうおう」よりの反撃によって都を攻め落とされ、赧王は秦に連行された。そこで天下の主としての実権を秦に譲り渡すと宣誓。こうして周は滅亡した。それから間もなく、赧王も死んだ。


 37 代 867 年の国運であった。

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