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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-04 東周(春秋戦国概略)

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01-04-01 周 春秋時代

・第一世代(-770~-716)


 幽王《ゆうおう》亡きあと、宜臼《ぎきゅう》が立つ。「平王《へいおう》」だ。ただし西都《せいと》周辺では犬戎《けんじゅう》の攻撃が激しくなってきていたから、東都《とうと》に王城を移した。故にここから「東周《とうしゅう》」と呼ばれる。

 王の存在感が衰退し、代わって諸侯が台頭する。はじめに「斉《せい》」「楚《そ》」「秦《しん》」「晋《しん》」が勢力の拡大を開始した。

 なお前 722 年、「魯《ろ》」では「隱公《いんこう》」が就任。後に「孔子《こうし》」が春秋《しゅんじゅう》として編纂する魯の歴史はここから記録され始める。

 前 719 年、「桓王《かんおう》」が即位した。



・第二世代(-715~-661)


 前 696 年に「僖王《きおう》」が立つ。前 676 年に「恵王《けいおう》」が立つ。

 前 667 年に「斉の桓公《かんこう》」を覇者として認定をする。



・第三世代(-660~-606)


 前 652 年に「襄王《じょうおう》」が立つ。前 635 年に「晋の文公《ぶんこう》」を覇者として認定。前 618 年に「頃王《けいおう》」が、前 612 年に「匡王《きょうおう》」が、前 606 年に「定王《ていおう》」が立った。

 同年、「楚の荘王《そうおう》」が大挙して北上。周の鼎《かなえ》(=王としての権威)の重さがいかほどのものだ、と迫る。「王孫満《おうそんまん》」が交渉し、なんとかそれを退ける。



・第四世代(-605~-551)


 前 586 年に「簡王《かんおう》」が立つ。前 585 年には「呉《ご》」が勢力を伸ばしてきた。前 572 年に「霊王《れいおう》」が立つ。

 また前 551 年、孔子が誕生した。



・第五世代(-550~-496)


 前 545 年に「景王《けいおう》」が、前 520 年に「悼王《とうおう》」が立つ。が、悼王は甥の「姫朝《きちょう》」に殺害された。この事態を受けて晋が動き、姫朝を討伐。前 519 年、「敬王《けいおう》」が立てられた。



・第六世代(-495~-441)


 前 479 年に孔子が死亡。

 前 476 年に「元王《げんおう》」が、前 469 年に「貞定王《ていじょうおう》」が、前 441 年に「哀王《あいおう》」が立つ。

 しかし哀王は即位後すぐ「思王《しおう》」に殺されてしまう。



蒙求《もうぎゅう》:


杜后生齒《とこうせいし》 靈王出髭《れいおうしゅつし》

 杜皇后は東晋《とうしん》成帝《せいてい》の皇后。あの杜預《とよ》の曾孫だ。美人だったが歯がなかったため、結婚ができなかった。しかし成帝との成婚が決まると歯が生えてきたという。

 また前 601 年に「周にヒゲの王が生まれる。彼は国をよく治めるだろう」と予言が下された。そして約三十年ほどして生まれた霊王は生まれながらにしてヒゲを蓄えていた。実際に彼の治世は比較的安定したものになったという。

 政治の中枢に立ち、栄えたふたりの霊異譚ですね。

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