02-01-09 秦一 陳勝呉広の乱
胡亥の乱世に苦しむ人々の中から立ち上がったのが「陳勝」である。日雇い農夫出身の彼は、時折「俺が偉くなっても、お前たちのことは忘れないぞ」などと言っていた。周りの人間は笑ってまともに取り合おうともしなかった。ここで陳勝が洩らした言葉こそが「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんか」である。小鳥がどうして大鳥の想いを拾えようか、という意味だ。
世が乱れゆくと、陳勝は「呉広」とともに決起を決める。それはふたりが「漁陽」の地に守備隊長として徴集を受けたとき、大雨が降って道が通れなくなっていたことに端を発する。
ふさがった道を前に、陳勝は言う。
「もはやあなた方は期限までには漁陽に間に合わぬ。知っての通り、遅参は斬罪相当とされる。壮士たちよ、死なぬのであればそれはそれで良い、しかしどうせ死ぬのであれば決起し、名を上げようではないか。王侯将相に寧んぞ種あらんか、だ!」
この言葉に人々は従った。
陳勝は扶蘇の名を騙り、呉広は楚で最後まで秦に抵抗した名将「項燕」の名を騙った。勢力はどんどんと拡大、やがて「大楚」を国号として自称。ここに「張耳」「陳余」が合流。国号も「張楚」と改めた。彼らの元には各地で圧政に苦しんでいた者たちが次々と土地の長官を殺害の上合流した。
陳勝呉広の乱は急速に拡大していったが、同時にその統制が失われるのも速かった。陳勝が「武臣」を将軍に任命、趙を攻撃させた。武臣は趙を攻略すると張耳や陳余のそそのかしにより自立、王を名乗った。その武臣が配下将の「韓廣」を燕攻略に派兵させたところ、韓廣は燕の地で自立。王を名乗った。
もと斉の王族「田儋」が自立、斉王を名乗った。
楚出身の将「周市」が、魏で旧魏の王族「魏咎」を魏王として擁立した。
こうした中、まず呉広が配下に殺害された。次いで陳勝も殺され、残党は秦に投降。しかし乱は既に彼らの手を離れて、激化の一途を辿っていた。
これらの動きに対し、秦は「章邯」を派遣。魏を攻撃させた。斉と楚が救援に当たるも、田儋、魏咎、周市はみな敗死した。
また武臣は配下に殺された。張耳と陳余は「趙歇」を王に迎えた。




