02-01-07 秦一 胡亥・子嬰
「二世皇帝」、名は嬴胡亥。即位すると全土を巡幸して回るのだが、同道した趙高には「吾は耳目の楽しみをことごとくして死にたいものだ」と語っていた。
では、と趙高は言う。
「陛下におかれましては厳罰を旨として法整備をなし、先帝の臣下を排除され、信頼の置ける者をお側に置けば、枕を高くしてお休みになれましょう」
こうして法律が苛烈なものに変わり、多くの貴人大臣が処刑された。
圧政に苦しむ中、「陳勝」「呉広」が決起。急速に勢力を伸ばす。謀反の勃発をひとりの使者が胡亥に報告。すると胡亥は「余をあたら不安にさせるつもりか!」と激怒、牢獄送りとした。続いてやって来た使者は「群盗はネズミや犬の如きこそ泥です、ご心配召されるな」と報告。胡亥はこの報告に喜んだ。
しかし、乱はやがて「劉邦」「項羽」の決起をも招き、秦の勢力はどんどんと削られる。趙高はこの御に及んでもなお胡亥に賊は大したことがないと言い続けていたが、その嘘が胡亥に漏れることを恐れ、ついには殺害。胡亥の兄の子である「嬴子嬰」を皇帝に立てる。すると嬴子嬰、趙高とその一族を皆殺しとした。
そしてついに劉邦が秦軍を破って函谷関を突破、咸陽に迫った。嬴子嬰は白木の馬車を白い馬に引かせ、首には天子の印綬を掛けて咸陽を出、降伏を宣言した。始皇帝が天下統一をなしてから、わずか十五年後のことだった。




