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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
02巻 秦 1 始皇帝

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02-01-06 秦一 始皇帝 下

 始皇帝《しこうてい》、咸陽《かんよう》に人が多いにもかかわらず,これまでの宮殿が小さいものであったため、朝宮を渭水《いすい》の南、上林苑《じょうりんえん》の中に作った。先に前殿の阿房宮《あぼうきゅう》が造営される。東西に五百步、南北五十丈、一万人を収容し、巨大な旗を立てられるほどのものだった。宮殿の周りには桟橋が組まれ、宮殿からそのまま南の山に登ることができる。山の頂上には展望台を構えた。また阿房宮の北からは渭水を越えて宮殿にいたる橋が掛けられた。完成後には改めて宮殿に相応しい名がつけられる予定であったが、建造途中で始皇帝が死んだため、そのまま阿房宮と呼ばれた。


 始皇帝は剛直そのもの、自負心が非常に強く、政は大小となくすべて自身で決裁した。ついには秤を持ち出し、書類の重さを量って「ここまでこなさねば休憩はしない」とまで言い出した。その権勢欲はこれほどであった。

 紀元前 210 年、始皇帝が王位について 37 年。始皇帝は李斯《りし》、少子の「胡亥《こがい》」、宦者の「趙高《ちょうこう》」を引き連れての全国巡幸に出るさなか、沙丘《さきゅう》で死んだ。その死は伏され、偽の詔勅で胡亥が後継者とされ、本来の後継者であったはずの扶蘇《ふそ》には死がもたらされた。

 帰り際の車の中で始皇帝の死体は腐臭を発し始める。そこで臭気の強い干し魚を一緒に積むことで臭気を誤魔化し、咸陽に帰還した。


 そして胡亥が、二世皇帝として即位した。

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