■月星暦一五三四年九月② 紫雷立つ(レオン)
「紫雷立つ」
言われた通りにアンバルの街門で伝えると、検問官が目を瞠ったのが判った。
「新月の備えは万全です」
レオンは聞かされていなかったが、返答なのだろう。
紫はタビスにだけ着用が許されている禁色である。
新月に隠れるの女神の代行者であるタビスの決起を意味する暗号なのだろうが、安直すぎると当のレオンは内心苦笑した。
検問官に連れられて向かったのは、二の郭に通じる門前広場にある中央神殿だった。
位置的には、王城のある丘の真下にあたる。
アンバルの中央、高台の頂きの一ノ郭には、王城と王立セレス神殿のみが建つ。
丘の中腹に広がるニノ郭は所謂『貴族街』となる。
この区画の立ち入りは専用の通行証を必要とし、二つを合わせて内郭と呼ばれていた。
中央神殿で出迎えた、五十歳絡みの男性神官は、レオンを見るや一瞬呆けた。
青い帯の色から、神官長だと判る。
神官長は思い出したようにその足元にひざまづいた。
「刻印を、お、おしるしを見せていただけますか?」
レオンディールは黙って袖を捲り上げ、右腕を差し出した。
「触れても?」
「どうぞ」
神官長は震える指先で痣をなぞり、恭しく手を取ると、そこに口づけをする。
「話は聞いているな?」
「はい。ご案内します」
鍵の束と灯りを手に、神官長自ら一行を奥へと促した。
聖堂の奥、神官長が開いた木戸の先は上への階段だった。
登っていくと、木製の階段は、いつしか岩盤を直接削ったものへと変化する。
「ここは?」
「この場所は、この街で最古の建造物なのです。月星人が拓く前から、人は岩をくり抜き、空間を作り、家具に至るまでを削り出して生活空間としました。その時代、遠くから木材を運ぶよりも楽だったのでしょう」
神官長は息を切らしながらも説明を続けた。
「後には、修行を兼ねて、神職者が更に部屋を削り出して住居としたそうです」
何十年も続くうちに中は非常に入り組み、正確な地図はもう描けないという。
細い階段は何度も曲がり、途中別の階層と繋がる広場を抜ける。
「レオン様?」
前を進む神官に聞こえないように配慮しながら、アインが振り返った。
かなりの段数を登ってきたとはいえ、日頃鍛えて、時には戦場を駆るレオンが遅れがちなのを訝しんだのだろう。
「もしや、あの情報は⋯⋯」
「事実だ」
乱れた息をどうにか整え、レオンは答えた。
肩の毒の痛みが、体力を容赦なく奪っていた。
「だから、この作戦は失敗できない。出来うる限り、迅速に行わねばならない」
「——判りました」
何段登り、何回曲がったかも分からなくなった頃、階段の先に木戸が現れた。
解錠した扉の先には、ここ迄の荒削りで質素な空間とはうって変わって豪奢な廊下が続いていた。
鮮やかな青い絨毯が敷かれた廊下に、細やかな彫刻が施された石柱。
ずっしりとした、絨毯と同色のカーテンには銀糸で刺繍がなされ、等間隔に置かれた白磁の花瓶には立派な薔薇が生けてある。
扉を廊下側から見ると、周りと同様の色に塗られた扉で、とてもそんな階段に通じているようには見えない。
廊下の、向かって左側は窓のみが規則的に続き、塀越しに王城の尖塔が伺えた。
「もう、王立セレス神殿の中です」
神官長が振り返った。
彼が息を乱しているのは、単純に年齢のせいだろう。
レオンを見たアインの顔が翳った。顔色も悪いのだろう。
アインがそっと自身の身体で、息を切らしているレオンが神官長の視界に入らないように取り計らった。
「丘の中を通ってきたのですね」
レオンの代わりにアインが応じた。
丘の上の一の郭へは、通行証を提示しながら二の郭を抜けて来なければならないのだ。
「はい。歴代のタビス様が、お忍びで街に出る時に使用していた通路だそうです」
中央神殿神官長はどこか誇らしげに説明すると、玄関ホールを横断し大神官室にレオンを案内した。
「王立セレス神殿に、タビス様をお迎え出来たこと、光栄に思います」
大神官はリーデルと名乗り、涙ぐみながら歓びを露わにした。
しかし、刻印を晒しながらも、レオンは警戒を解かない。
大神殿は、王城に寄り添い、神事や祭事だけでなく、戦地の軍の補給をも担ってきた。
今王城を占拠しているアンブル派とは、切っても切れない関係のはずである。
「俺がしようとしていることは、判っているのだろう?」
「勿論です。女神の代弁者たる貴方様に、我ら女神信徒が従わないということがございましょうか」
リーデルはレオンに再び頭を垂れながら声を潜めた。
「——アンブルの王アセルスはもはや駄目です。我ら一同、貴方様の決起を心待ちにしておりました」




