異世界と科学(後編)
研究小屋の裏手には、森を切り開いて造られた小さな実験場があった。
周囲を石壁で囲み、誤って魔導が飛び出さないよう幾重もの防護結界が張られている。
華やかな演習場ではない。
地面には過去の爆発でできた穴がいくつも残り、焦げ跡の付いた標的が無造作に立てられていた。
アルフレッドは辺りを見回しながら感心する。
「かなり本格的な設備ですね。」
「昔は弟子も何人かおったからな。」
エゼキエルは懐かしそうに答えた。
「もっとも、皆宮廷へ行ってしまった。」
「先生は誘われなかったのですか。」
「何度もな。」
老人は肩をすくめる。
「だが、命令されながら研究する気にはなれん。」
そう言って標的から二十歩ほど離れた場所で立ち止まる。
「今日は威力を見る実験ではない。」
「現象を見る実験だ。」
アルフレッドはノートを開き、羽ペンを構えた。
「準備できました。」
老人は右手を掲げる。
空気中の魔素が集まり、拳ほどの火球が生まれる。
しかし、それをすぐには放たない。
「よく見ろ。」
アルフレッドは魔力視に集中した。
火球の周囲では、大気中の魔素が一定の流れを保ちながら術式へ吸い込まれている。
さらに、その内側には細かな揺らぎが存在した。
「……揺れています。」
「どこが。」
「火そのものではありません。火球の周囲です。」
老人は満足そうに笑う。
「わしにもそう見える。」
アルフレッドは目を凝らす。
炎ではない。
炎を包み込むように、目に見えない薄い膜のようなものが存在していた。
それは魔力視を使って初めて認識できる、ごく弱い魔力の流れだった。
「先生。」
「何だ。」
「炎の外側に、何かあります。」
「あるな。」
「術式でしょうか。」
「まだ断定するな。」
老人は火球を静かに浮かせたまま続ける。
「別の可能性もある。」
今度は左手を掲げ、小さな風魔導を発動した。
風は火球へ向かって吹き付ける。
普通なら炎は激しく揺れる。
しかし火球はほとんど形を崩さなかった。
炎だけがわずかに揺らぎ、その外側の膜のようなものは形を保っている。
アルフレッドは息を呑んだ。
「……支えている。」
「何が。」
「炎ではありません。」
「外側の何かが、炎を維持しています。」
老人は火球を消した。
「仮説としては悪くない。」
アルフレッドは急いでノートへ書き込む。
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観察結果
・火球の周囲に魔力の薄い層が存在する。
・風魔導ではその層は崩れにくい。
・炎だけが揺らぐ。
仮説
・火魔導は炎そのものではなく、炎を維持する魔力構造を持つ可能性がある。
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書き終えたアルフレッドは顔を上げた。
「先生。」
「何だ。」
「もし、この仮説が正しいなら。」
「火を消す方法は変わります。」
老人は口元を緩めた。
「続けろ。」
「これまでは、水をぶつける。風で吹き飛ばす。土で遮る。」
「そうした方法しかありませんでした。」
「ですが。」
アルフレッドは少し興奮した様子で続ける。
「炎ではなく、この魔力構造を壊せば。」
「火魔導そのものを維持できなくなるかもしれません。」
老人は静かに頷いた。
「そこまでは考えたか。」
「ですが、方法が分かりません。」
「それでいい。」
老人は即答した。
「方法はこれから考える。今は結論を急ぐな。」
アルフレッドは深呼吸した。
確かにその通りだった。
今得られたのは可能性だけである。
証明には、さらに多くの実験が必要だ。
老人は空を見上げた。
夕焼けが森を赤く染めている。
「アルフレッド。」
「はい。」
「今日、お前は一つ大きな勘違いをしなかった。」
「勘違い?」
「『前の世界ではこうだったから、この世界も同じだ』とは言わなかった。」
アルフレッドは少し考えてから答えた。
「先生が何度も言われましたから。」
「世界が違えば、法則も違う。」
「だから、同じ現象に見えても調べなければ分からない、と。」
老人は満足そうに笑う。
「その姿勢を忘れるな。」
「科学を真似するのではない。」
「科学の考え方を学ぶのだ。」
「そして。」
老人は足元の土を軽く踏む。
「この世界には、この世界だけの答えがある。」
アルフレッドは静かに頷いた。
この世界の法則は地球とは違う。
だから、地球の科学をそのまま持ち込むことはできない。
しかし、現象を観察し、仮説を立て、検証するという姿勢は、どの世界でも変わらない。
それこそが、エゼキエルから受け継ぐべき最も重要な知識なのだと、アルフレッドは理解し始めていた。
その夜、研究日誌の最後のページに、アルフレッドは新たな一文を書き加えた。
> 現象を見よ。常識ではなく、証拠によって語れ。
その一文は、やがて二人が築き上げる新たな学問の基本理念となっていく。




