二人の研究室(前編)
秋が深まり始めた頃。
アルフレッドが研究小屋へ通い始めてから、三か月が過ぎていた。
最初の頃は毎日のように驚かされていた研究室も、今ではすっかり馴染みの場所となっている。
朝、貴族院で講義を受ける。
昼過ぎには森へ向かう。夜まで研究し、公爵邸へ戻る。
そんな生活が自然と日課になっていた。
もっとも、公爵家では快く思われてはいなかった。
「またあの老人のところか。」
朝食の席で父、公爵レオンハルト・フォン・アルヴェインが静かに問いかける。
責める口調ではない。
だが、その声音には心配が滲んでいた。
「はい。」
アルフレッドは短く答えた。
「貴族院の教授方から苦情が来ている。」
「……存じています。」
「『偏屈老人に取り憑かれた』『卒業研究も放り出している』とな。」
アルフレッドは少しだけ苦笑した。
教授たちはエゼキエルを快く思っていない。
理由は単純だった。
彼は権威を嫌い、既存の理論を平然と疑う。
何十年も前に学会から距離を置いた今でも、「問題児」として語られている。
「父上。」
「何だ。」
「私は卒業研究を放り出してはいません。」
「むしろ、ようやく研究らしい研究を始めました。」
公爵は黙って息子を見つめる。
幼い頃から知っている。
この子は嘘をつかない。
そして一度決めたことは決して曲げない。
「……好きにしろ。」
「ただし、公爵家の名だけは汚すな。」
「はい。」
それだけ言うとアルフレッドは席を立った。
父は最後まで反対しなかった。
息子が魔導を使えないことを、誰よりも悔やんでいたのは父自身だったからである。
研究小屋へ着くと、エゼキエルは庭で土を掘っていた。
「先生。」
「遅い。」
「今日は畑仕事ですか。」
「違う。」
老人は地面から握り拳ほどの石を取り出した。
灰色の鉱石だった。
「これは何に見える。」
「鉄鉱石でしょうか。」
「違う。」
老人は石を布で磨く。
すると内部から淡い青色が現れた。
「魔石の原石だ。」
アルフレッドは驚く。
「こんな浅い場所で採れるのですか。」
「小さいものならな。」
二人は研究室へ戻る。
老人は原石を机へ置いた。
「今日は魔石を調べる。」
「術式ではなく?」
「術式の前に材料を知らねばならん。」
アルフレッドは頷いた。
確かにその通りだった。
これまで自分は、魔石を当然の存在として扱ってきた。
魔素を蓄える石。それ以上でも以下でもない。
「では質問だ。」
老人が原石を指差す。
「なぜ魔石は魔素を蓄えられる。」
アルフレッドは答えようとして止まった。
文献では「そういう性質だから」としか説明されていない。
「……分かりません。」
「よし。」
老人は満足そうに頷く。
「その『分からない』が研究の始まりだ。」
彼は棚から三種類の鉱石を取り出した。
一つは魔石。
一つは鉄鉱石。
もう一つは水晶だった。
「同じ条件で魔素へ晒す。」
「その後、残留量を測定する。」
「比較実験ですね。」
「そうだ。」
老人は三つの鉱石を並べ、簡単な魔導陣を描く。
周囲の魔素を一定時間集めるだけの、ごく基本的な術式だった。
一時間後。
測定を終えたアルフレッドは驚いた。
「魔石だけではありません。」
「水晶にも僅かに残っています。」
「鉄は?」
「ほとんどありません。」
老人は満足そうに笑った。
「つまり。」
アルフレッドは考え込む。
「魔石だけが特別なのではない。」
「魔素を保持しやすい物質と、そうでない物質がある。」
「良い。」
老人は紙へ表を書き始める。
物質ごとの残留量。時間経過。魔素の減衰速度。
数値を書き並べていく。
「研究とは記録だ。」
「記憶ではない。」
アルフレッドもすぐに別の紙へ同じ表を書き写す。
同じ実験を、別の研究者が再現できるように。
それが記録の役目だった。
夕方になり、老人はもう一つ実験を提案した。
「今度は魔石へ魔力を流す。」
「発動実験ですか。」
「違う。」
老人は首を振る。
「流した後、放置する。」
「……?」
アルフレッドには意図が読めなかった。
しかし、この数か月で一つ学んでいる。
老人の実験に無駄はない。
必ず何かを確かめようとしている。
彼は黙って魔石へ魔力を流し込んだ。
すると魔石は淡く青白く輝き始めた。
「このまま待つ。」
「何を観察するのでしょう。」
「魔素は、本当にそこへ留まるのか。」
アルフレッドは息を呑む。
確かに誰も調べたことがない。
魔石へ蓄えられた魔素は、永遠にそこにあるのか。
それとも少しずつ失われるのか。
当たり前すぎて、誰も疑わなかった問いだった。
だが、その答えは、後に二人が世界を変える発明へ繋がる最初の鍵となるのである。




