異世界と科学(中編)
翌日から、二人は火魔導の研究に取りかかった。
だが、それは派手な実験ではなかった。
まず始めたのは、既存の文献を徹底的に読み直すことだった。
王立貴族院の図書塔。
アルフレッドは火属性魔導に関する論文や実験記録を机いっぱいに並べていた。
魔導士たちが残した研究は数百年分に及ぶ。
しかし、その大半は術式の改良や威力の向上に関するものだった。
「やはり……。」
アルフレッドはため息をつく。
「先生の言う通りです。」
夕方、研究小屋へ戻ると、彼は積み上げた資料を机へ置いた。
「どうだった。」
「火魔導が何なのかを書いた論文は、一つもありませんでした。」
老人は苦笑する。
「予想通りだ。」
「炎の色を変える方法。」
「燃費を改善する方法。」
「飛距離を延ばす方法。」
「どれも実用研究ばかりです。」
アルフレッドは一冊の論文を開いた。
「この論文など、術式を二重化して燃焼時間を一割延ばしたとあります。」
「それは立派な研究だ。」
「ですが、『なぜ延びたのか』は考察されていません。」
老人は頷いた。
「技術者としては優秀だ。だが学者ではない。」
アルフレッドはページを閉じる。
これまで尊敬してきた論文が、違って見え始めていた。
改良はしている。
しかし原理を理解しているわけではない。
それは経験則の積み重ねに過ぎなかった。
老人は棚から一つの魔石を取り出した。
「実験をしよう。」
透明な魔石を木製の台へ固定する。
「これは?」
「記録用魔石だ。周囲の魔素の流れを短時間だけ記録できる。」
アルフレッドは目を見開いた。
「そんな道具が。」
「昔作った。」
老人はさらりと言う。
「精度は悪い。」
「だが、無いよりはましだ。」
老人は右手を掲げ、小さな火球を生み出した。
炎は拳ほどの大きさで静かに燃えている。
「よく見ろ。」
アルフレッドは集中する。
魔力視を使える者なら誰でも見える、魔素の流れ。
火球の周囲では、空気中の魔素が絶えず流れ込み続けていた。
「……供給されています。」
「そうだ。」
「術式が魔素を取り込んでいる。」
「では供給を止めたら?」
老人は魔力の流れを遮断した。
火球は一瞬揺らぎ、そのまま消える。
アルフレッドは眉をひそめた。
「木材はまだ燃えていません。」
「普通の火なら、すぐには消えません。」
「その通り。」
老人は新しい薪へ火をつける。
今度は普通に燃え始めた。
術式は使わない。
火打石だけだ。魔力を止めても当然燃え続ける。
アルフレッドは二つの炎を見比べた。
同じ炎に見える。
しかし振る舞いは明らかに違う。
老人は静かに言う。
「見た目が同じだから、同じ現象とは限らない。」
「……はい。」
アルフレッドはノートへ書き込む。
観察結果
・火魔導は魔力供給停止と同時に消滅する。
・通常の燃焼は燃料が残る限り継続する。
・両者は外見が似ていても維持機構が異なる可能性が高い。
書き終えると、老人が満足そうに頷いた。
「良い。結論を書かなかったな。」
「証拠が足りません。」
「その通りだ。」
老人は笑う。
「研究者は『分からない』と言える人間でなければならん。」
アルフレッドは少し照れくさそうに笑った。
貴族院では逆だった。
知らないと答えれば減点される。
だから皆、推測でも断言する。
しかし、この研究室では違う。
証明できないことは、証明できないと書く。
それが当たり前だった。
老人は窓の外を見た。
夕暮れの森を風が吹き抜ける。
「もう一つ実験をしよう。」
「何でしょう。」
「魔導同士をぶつける。」
アルフレッドは驚いた。
「衝突実験ですか。」
「ああ。」
「火魔導は何に支えられて存在しているのか。」
「その手掛かりが見つかるかもしれん。」
老人は立ち上がり、庭へ向かった。
アルフレッドも急いでノートを抱え、その後を追う。
この実験が、後に「科導」誕生へ繋がる最初の重要な発見となることを、二人はまだ知らなかった。




