異世界と科学(前編)
共同研究を始めてから七日目。
アルフレッドが研究小屋へ着くと、机の上には見慣れない道具が並べられていた。
ガラス製の球。細い金属の棒。磨き上げられた鏡。黒く塗られた板。木製の箱。
どれにも魔導陣は刻まれていない。
「先生、これは?」
エゼキエルは窓際で湯を沸かしながら振り返った。
「今日は魔導ではなく、観察の話をする。」
「観察……ですか。」
「研究者にとって一番重要な仕事だ。」
アルフレッドは席に着く。
老人は熱い茶を二人分淹れ、静かに語り始めた。
「前の世界では、魔導が存在しなかった。」
「その代わり、人は現象を細かく観察した。」
「火が燃える。」「水が沸く。」「金属が熱くなる。」「物が落ちる。」
「そうした当たり前を、何百年も観察し続けた。」
アルフレッドは頷いた。
「ですが、それだけで文明は発展したのですか。」
「それだけではない。」
老人は黒い板を取り上げた。
「観察した後、必ず理由を考えた。」
「理由……。」
「そして予想を立てる。」
「その予想が正しいか確かめる。」
「違えば修正する。」「また確かめる。」
老人は黒板代わりの板へ四つの言葉を書いた。
観察
仮説
検証
修正
「この繰り返しだ。」
アルフレッドは文字を見つめる。
貴族院では「先人の理論を学ぶ」ことが研究だった。
しかし老人の言う研究は違う。
理論を疑い、作り直すことが研究なのだ。
「今日は一つ例を出そう。」
老人は暖炉へ薪をくべた。炎が立ち上る。
「熱いですね。」
「ああ。」
老人は暖炉から少し離れた場所へ立つ。
「ここでも暖かい。」
「はい。」
さらに離れる。
「ここではどうだ。」
「少し暖かい程度です。」
「では質問だ。」
老人は真剣な表情になる。
「なぜ暖かさは届く。」
「空気が温められるからでしょう。」
「それだけか。」
「……他にも?」
老人は黙って頷く。
「前の世界では、空気がなくても熱は届くことが分かっていた。」
「え?」
アルフレッドは思わず立ち上がる。
「空気がなければ熱は伝わらないのでは?」
「そう考えられていた時代もあった。」
老人は鏡を持ち上げた。
「だが違った。」「熱には別の伝わり方がある。」
「これを熱放射と呼んだ。」
アルフレッドは眉をひそめる。
「……想像できません。」
「当然だ。」
老人は笑う。
「向こうでも証明されるまで何百年も議論された。」
老人は紙へ太陽と人間の絵を描く。
「太陽は非常に遠い。」
「はい。」
「その間には、ほとんど何も存在しない空間がある。」
「それでも地面は暖かくなる。」
アルフレッドは考え込む。
もし本当なら、熱は空気だけで伝わるわけではない。
「ですが先生。」
「何だ。」
「それをこの世界へ持ち込む意味があるのでしょうか。」
老人は嬉しそうに笑った。
「良い質問だ。答えは、『分からない』だ。」
「……え?」
「火魔導が同じ仕組みとは限らない。」
「魔素がある以上、全く別の現象かもしれん。」
「だから調べる。」
アルフレッドはそこでようやく理解した。
老人は答えを教えているのではない。
新しい研究課題を与えているのだ。
「つまり。火魔導の熱が、普通の火と同じかどうか。それを調べる必要があります。」
「その通り。」
老人は満足そうに頷いた。
「これから先、お前は何度も勘違いする。」
「わしも勘違いする。」
「大切なのは、思い込みで結論を出さないことだ。」
アルフレッドは机の上のノートを開いた。
新しいページの一行目へ書き込む。
研究課題一火魔導は通常の燃焼と同一現象なのか。
その下へ大きく丸を描く。
そして、
未証明
と書き添えた。
老人はその文字を見て静かに笑った。
「研究者らしいノートになってきたな。」
アルフレッドも微笑む。
これまでのノートは答えばかりを書き写していた。
しかし今は違う。分からないことを書くためのノートになっていた。
それこそが研究の第一歩だったのである。




