社会を知る(中編)
冒険者ギルドの依頼掲示板には、大小さまざまな依頼書が並んでいた。
魔物討伐。護衛。採集。運搬。建築補助。水路清掃。薬草採取。
貴族院で研究に没頭していたアルフレッドにとって、そのどれもが新鮮だった。
彼は依頼を一枚ずつ読み始める。
魔物討伐は危険度が高い。
護衛は経験者向け。
採集には植物の知識が必要。
運搬は力仕事。
どの依頼にも、それぞれ必要な技能が書かれている。
受付嬢が近づいてきた。
「何か気になる依頼はありますか?」
アルフレッドは正直に答えた。
「全部です。」
「え?」
「全部、社会が必要としている仕事です。」
受付嬢は一瞬きょとんとしたあと、小さく笑った。
「そういう返事をした人は初めてです。」
アルフレッドは依頼書を見比べる。
最初に目を留めたのは、薬草採取だった。
王都近郊の森で傷薬の材料となる薬草を集める仕事。
報酬は決して高くない。
しかし期限は長く、危険度も低い。
「これを受けます。」
受付嬢は確認する。
「薬草の見分け方はご存じですか?」
「本で読みました。」
「実物は?」
アルフレッドは少し黙る。
「……見たことはありません。」
受付嬢は苦笑した。
「では、この本を持っていってください。」
彼女は簡単な植物図鑑を差し出した。
「返却不要です。新人さんにはさしあげています。」
アルフレッドは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
翌朝。王都近郊の森。
アルフレッドは図鑑を片手に歩いていた。
目的の薬草は葉が三枚。
茎は赤紫色。
白い小さな花を咲かせる。
本にはそう書かれていた。
「……これか?」
見つけた植物を図鑑と見比べる。
よく似ている。だが葉脈が違う。
毒草だった。
「危ない。」
アルフレッドは慎重に図鑑を読み直す。
本では簡単に見えた違いも、現物では驚くほど分かりにくい。
午前中いっぱいかけて、ようやく十株ほど採取した。
疲労よりも驚きが大きかった。
「知識だけでは足りない。」
図鑑を読むことと、実物を見分けることは全く別だった。
帰り道。森の中から助けを呼ぶ声が聞こえた。
「誰か!助けてくれ!」
アルフレッドは駆け寄る。
そこには荷車がぬかるみにはまり、立ち往生している老人がいた。
「大丈夫ですか?」
「車輪が抜けんのじゃ。」
荷車には薬草や木材が積まれている。
アルフレッドは周囲を見回した。
車輪の下だけが深く沈んでいる。
無理に押しても動かない。
彼は少し考えた。
近くに転がっていた丸太を持ってくる。
車輪の前へ差し込み、てこの原理で荷車を持ち上げる。
老人が押す。アルフレッドも力を貸す。
荷車はゆっくりとぬかるみから抜け出した。
「助かった!」
老人は何度も頭を下げる。
「ありがとうございます。」
アルフレッドも礼を返す。
老人は不思議そうに尋ねた。
「冒険者か?」
「はい。まだ新人ですが。」
老人は笑った。
「新人には見えん。」
「魔導を使わなかった。」
アルフレッドは少し照れた。
「道具と地形を使っただけです。」
「それで十分じゃ。」
老人は荷車を叩く。
「現場じゃ。魔導より役に立つ知恵もある。」
その言葉は、アルフレッドの胸へ深く残った。
夕方。
ギルドへ戻る。
薬草を提出する。
受付嬢は一株ずつ確認していく。
「……八株が合格です。」
「二株は別種ですね。」
アルフレッドは苦笑した。
「まだまだです。」
「でも初めてなら十分ですよ。」
受付嬢は報酬を渡した。
銀貨数枚。公爵家の令息にとっては決して大金ではない。
しかし。
自分の力で得た最初の報酬だった。
その重みは、これまで受け取ったどんな小遣いよりも大きかった。
ギルドを出る頃には日が暮れていた。
アルフレッドは銀貨を見つめながら呟く。
「研究だけでは分からないことばかりだ。」
薬草を見分ける難しさ。
現場で求められる判断。
道具のありがたさ。
人を助ける喜び。
どれも本には書かれていなかった。
その夜、研究室へ戻ると、エゼキエルは何も聞かなかった。
ただ机の上に新しい研究ノートを置いていた。
表紙には一言だけ書かれている。
『現場観察録』
アルフレッドは微笑み、そのノートを静かに開いた。




