知の決闘(中編)
アルフレッドは壁際へ向かって駆けた。
観客席から見れば、自ら退路を断ったようにしか見えない。
「追い詰められた!」
「終わりだ!」
そんな声が上がる。
しかし、エゼキエルだけは静かに首を振った。
「違う。」
「あれは最初から狙っていた場所だ。」
演習場北側。
外壁と資材置き場の間には、人一人が通れるほどの狭い通路がある。
訓練用の障害物を運び込むための搬入口であり、普段はほとんど使われない。
アルフレッドは下見の際、その存在に気付いていた。
通路は狭い。だからこそ、多方向からの攻撃を受けにくい。
レオンハルトの火球は包囲を前提としている。
包囲できない場所へ入れば、その利点は半減する。
アルフレッドは迷わず通路へ飛び込んだ。
左右から迫っていた火球は壁に遮られ、軌道を変えざるを得なくなる。
追尾術式は働いている。
しかし急角度の旋回はできない。
そのわずかな時間が生まれた。
レオンハルトは表情を変えない。
だが内心では感心していた。
――やはり地形を使う。
公開実験後の資料を読み返したときから予想していた。
アルフレッドは真正面から勝負する相手ではない。
環境そのものを戦力へ変える。
ならば。
彼も準備してきていた。
レオンハルトは火球を追わせるのをやめた。
代わりに右手を高く掲げる。
四つ。五つ。六つ。
新しい火球が次々と生まれる。
しかし今回は飛ばさない。
それぞれを演習場の異なる位置へ配置していく。
教授が思わず呟いた。
「陣地形成……。」
火球は攻撃ではない。障害物だった。
アルフレッドが出られそうな場所を、一つずつ封鎖していく。
通路の中。
アルフレッドは測定器を取り出した。
数値を見る。火球同士の魔素場が重なり始めている。
「囲い込みか。」
彼は静かに分析する。
火球は自分を狙っているのではない。
逃げ道を消している。
正面突破を強いる布陣だった。
その時、通路の入口へ一本の炎が走る。
爆発はしない。ただ炎の壁が現れる。
出口を塞ぐためだけの魔導だった。
「……なるほど。」
アルフレッドは苦笑する。
「完全に研究されている。」
公開実験では、自分は火球だけを相手にした。
だからレオンハルトは火球だけに頼らない。
次々と新しい術式を織り交ぜてくる。
その柔軟さは、まさしく優秀な魔導士だった。
観客席では、教師たちが議論を始めていた。
「レオンハルトが優勢だ。」
「いや。」
「まだ分からん。」
「アルフレッドは一度も干渉結界を使っていない。」
エゼキエルも腕を組んだまま見守っている。
アルフレッドは慌てていない。
それだけで十分だった。
通路の奥。アルフレッドは壁へ手を当てた。
石造り。厚さはおよそ一メートル。
演習場の構造は頭へ入っている。
その瞬間。
彼は一つのことに気付いた。
火球の配置が偏っている。
北側へ集中しすぎていた。
「先生なら。」
小さく呟く。
「ここを突く。」
レオンハルトは火球を分散させた。
だが均等ではない。
自分を閉じ込めることを優先した結果、西側の防御が薄くなっている。
アルフレッドは演習場の模型を思い出した。
西側には太い柱が三本。
そこまで到達できれば、再び遮蔽物を利用できる。
問題は。どうやって出るか。
彼は腰の科導具へ手を伸ばした。
干渉結界ではない。もう一つの試作品。
研究中の水科導だった。
まだ完成していない。
攻撃にも使えない。
だが、一つだけ確認済みの現象がある。
水魔導ではなく、水科導によって生成した水は、極めて短時間で大量の蒸気を発生させられる。
研究中に偶然見つけた副作用だった。
アルフレッドは深く息を吸う。
「使うか。」
実戦投入は初めて。成功する保証はない。
だが、ここで動かなければ負ける。
彼は試作科導具を静かに起動した。
魔石が淡く青白く輝く。
それを見たエゼキエルは、観客席で目を細めた。
「あれを使う気か。」
まだ完成していない理論。まだ発表していない技術。
だが、弟子は迷っていなかった。
研究とは、必要な時に仮説を試す勇気でもあることを知っていたからだ。




