知の決闘(前編)
模擬戦当日。
王立貴族院第一演習場は、これまでにないほどの人で埋め尽くされていた。
観客席には学生だけではない。
教授陣、王立魔導研究所の研究者、王国魔導騎士団の教官、さらには公爵家や侯爵家の関係者まで姿を見せている。
誰もが、この戦いをただの学生同士の模擬戦とは思っていなかった。
「魔力至上主義」と「科導」。
二つの思想が初めて真正面からぶつかる戦いだった。
開始十分前。
アルフレッドは演習場の隅で科導具を点検していた。
腰には三つの科導具。
一つは干渉結界発生器。
一つは魔素流量測定器。
そしてもう一つは、自身の魔経絡を補助し、大気中の魔素を制御するための科導具である。
魔力を持たない彼は、この補助具がなければ術式を発動できない。
それでも科導具へ魔力を込める最初の起動だけは、自らの魔経絡が担う。
生まれつき魔力が極めて少ない彼でも、それだけは可能だった。
エゼキエルが近づく。
「確認する。」
「はい。」
「干渉結界。」
「正常。」
「測定器。」
「正常。」
「補助科導具。」
「正常。」
老人は頷いた。
「なら。後は頭を使え。」
「はい。」
一方。反対側の控え室。
レオンハルトも準備を終えていた。
彼の腰には魔導杖。
予備の魔石。
拘束魔導用の触媒。
必要最低限しか持たない。
取り巻きの一人が尋ねる。
「本当に火属性だけで戦うのですか。」
「いや。」
レオンハルトは首を振る。
「火は主力。」
「だが。勝負を決めるのは火ではない。」
彼は術式書を閉じる。
「相手は火を研究した。」
「なら。私は人を研究する。」
開始の鐘が鳴る。
二人が演習場中央へ歩み寄る。
教授が確認する。
「模擬戦規則を再確認します。」
「致命傷を与える攻撃は禁止。」
「降参、または戦闘不能で終了。」
「異議は。」
「ありません。」
二人が同時に答える。
「では。」
「開始。」
鐘が高らかに鳴り響いた。
開始直後。
レオンハルトは動かなかった。
火球も作らない。
観客席がざわめく。
「先手を取らない?」
アルフレッドも動かない。
互いに相手を見つめるだけ。
三十秒が過ぎた。
静寂。
エゼキエルは小さく笑う。
「始まっている。」
教授も頷いた。
「探り合いですね。」
レオンハルトは相手の歩幅、姿勢、視線を観察している。
アルフレッドは相手の重心、利き手、魔力の流れを見ている。
まだ術式は一つも使われていない。
しかし情報戦は始まっていた。
最初に動いたのはレオンハルトだった。
火球を一つだけ作る。
公開実験で使われたものとほぼ同じ大きさ。
だが放たない。そのまま空中へ浮かべる。
アルフレッドは眉をひそめた。
――誘いだ。
自分へ干渉結界を使わせたい。
位置を知られたくない。
アルフレッドは動かない。
今度は二つ目。三つ目。
火球が三角形を描くように配置される。
どれも距離を保ったまま浮かんでいる。
観客席の教師が呟く。
「包囲する気か。」
その瞬間。三つの火球が同時に飛んだ。
一直線ではない。
左右へ大きく広がりながらアルフレッドを挟み込む軌道。
アルフレッドはすぐに横へ跳ぶ。
一つ目を回避。
二つ目は柱を盾にして防ぐ。
三つ目だけが追尾してくる。
「追尾術式。」
アルフレッドは心の中で呟く。
公開実験では見せなかった術式だ。
レオンハルトはすでに対策を始めている。
アルフレッドは走る。
柱を回り込む。火球も追う。
しかし柱へ衝突する寸前。火球は自ら消滅した。
「……なるほど。」
アルフレッドは理解する。
障害物へ当たる前に消える安全術式。
暴走防止機能まで組み込まれている。
レオンハルトは決して力任せではない。
細部まで設計している。
アルフレッドは少し笑った。
面白い。本当に面白い相手だ。
レオンハルトはアルフレッドの動きを見ながら考える。
干渉結界をまだ使わない。
予想通りだった。位置を悟られたくないのだ。
ならば。次は火球ではない。
レオンハルトは右手を地面へ向けた。
術式が光る。地面から赤い魔法陣が浮かび上がった。
アルフレッドの足元である。
「拘束魔導。」
地面から炎ではなく、赤く光る魔力の鎖が伸びる。
アルフレッドは即座に後方へ飛び退いた。
だが、その動きを待っていたかのように。
左右から新たな火球が迫る。
逃げ場を制限し、進路を誘導する。
まさに研究の成果だった。
アルフレッドは一瞬で状況を分析する。
正面は拘束。左右は火球。後方は壁。
選択肢は一つしかない。
彼は壁へ向かって走り出した。
観客席がどよめく。
「追い詰められた!」
しかしアルフレッドの視線は壁ではなく、その先にある細い通路を見据えていた。
演習場を何度も下見した成果だった。
レオンハルトが知らない「死角」が、そこに存在していた。




