貴族院公開実験(後編)
演習場には再び静寂が訪れていた。
先ほどまでのざわめきは消えている。
誰もがアルフレッドの手元を見つめていた。
彼が持つ科導具は、先ほどの試作品と見た目はほとんど変わらない。
違うのは内部だけだった。
術式の一角へ、新たに追加された補助術式。
火魔導から返る魔素の揺らぎを逃がすための、わずかな改良である。
アルフレッドは深く息を吸った。
「第二回実験を開始します。」
教授が頷く。演習担当の教師が火魔導を発動した。
直径一メートルを超える火球。
赤橙色の炎が唸るような音を立てながら空中へ浮かぶ。
周囲の空気が揺らぎ、熱気が観客席まで伝わってきた。
アルフレッドは科導具へ魔力を流す。
一度だけ。それで十分だった。
魔石は周囲の魔素を取り込み、術式が起動する。
淡い光が彼の足元へ広がった。
今度は火花も出ない。測定器の針がゆっくり動き始める。
アルフレッドは一歩ずつ火球へ近付いた。
十歩。
八歩。
五歩。
火球は揺れない。だが測定器だけが反応している。
「魔素場が変化しています。」
記録係の教授が声を上げる。
観客席の学者たちも身を乗り出した。
アルフレッドはさらに距離を詰める。
三歩。
二歩。
一歩。
火球の表面がかすかに揺らいだ。
炎そのものではない。
炎を包む見えない構造が震えている。
エゼキエルは静かに呟く。
「始まった。」
アルフレッドは科導具の出力を少しだけ上げた。
干渉を強める。炎が大きく揺れる。
しかし消えない。まだ足りない。
彼は測定器へ目を向けた。
魔素場の揺らぎは一定だった。
ならば。出力ではない。
干渉する位置だ。
アルフレッドは火球の真正面から少し横へ移動する。
老人との研究で分かったことが一つある。
火魔導は均一な構造ではない。
術式ごとに魔素の流れには偏りがある。
強く維持される部分。
弱く維持される部分。
その弱点を探す。
ゆっくりと歩きながら測定器を見る。
そして。ある一点で数値が急激に変化した。
「……ここだ。」
科導具をその位置へ向ける。
干渉結界を維持する。
一秒。
二秒。
三秒。
火球が突然、大きく歪んだ。
観客席がどよめく。
炎は爆発しない。散らない。
ただ形を保てなくなり、渦を巻くように崩れ始める。
そして。
ふっ。
音もなく消えた。
演習場から熱気が消える。
一瞬、誰も言葉を発せなかった。
静寂。
その静寂を破ったのは、老学者の一人だった。
「……消えた。」
誰かが呟く。
「水を使っていない。」
「風でもない。」
「相殺術式でもない。」
教授は測定器を確認する。
記録を書き終えると、ゆっくり顔を上げた。
「火魔導は。」熱を奪われたのではありません。」
「維持していた魔素構造が崩壊しています。」
その言葉に、会場全体がざわめいた。
アルフレッドは一歩前へ出る。
「現時点では。火魔導そのものを消したとは考えていません。」
「火魔導を維持する魔素構造へ干渉し、その構造が維持できなくなった結果、現象が消滅した。」
「これが我々の解釈です。」
老学者が尋ねる。
「再現できるか。」
アルフレッドは迷わず答えた。
「はい。」
「ただし。術式の種類によって最適な干渉位置は異なります。」
「今後さらに研究が必要です。」
エゼキエルはその答えを聞き、満足そうに目を閉じた。
完成したと言わない。未知を認める。
研究者として最も大切な姿勢を、アルフレッドはすでに身につけていた。
教授が高らかに宣言する。
「本公開実験において、新たな魔導干渉理論には再現可能な現象が確認されました。」
「なお理論の妥当性については今後の追試を待ちます。」
拍手が起こる。
最初はまばらだった。
やがて演習場全体へ広がっていく。
その拍手は、勝者を称えるものではない。
未知へ挑み、証拠を積み重ねた研究者たちへ贈られる敬意だった。
演習場を出る途中、エゼキエルが小さく笑った。
「どうだった。」
アルフレッドも笑い返す。
「失敗して良かったです。」
「最初の暴走がなければ。」
「補助術式は思いつきませんでした。」
老人は満足そうに頷いた。
「研究とは。失敗を減らす仕事ではない。」
「失敗から学ぶ仕事だ。」
二人は夕暮れの貴族院を後にした。
しかし、その実験を遠くから無言で見つめる一団がいた。
侯爵家の紋章を胸に付けた学生たちである。
その中心に立つ青年は、燃え尽きた演習場を見つめながら静かに呟いた。
「面白い。だが。」
「次は実戦で試してやる。」
その青年――侯爵家の嫡男レオンハルト・フォン・ヴァイスは、まだ知らない。
この日の公開実験が、自らの誇りを揺るがす戦いの序章であったことを。




