表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/60

新たな理論(後編)

新しい革表紙のノートが机の中央に置かれた。


これまでの研究日誌とは違う。

観察結果や実験記録を書くためのものではない。

積み重ねた知見を一つの理論として整理するためのノートだった。


エゼキエルは羽ペンを手に取ることなく、アルフレッドを見た。


「書くのはお前だ。」


「私がですか。」


「理論を構築したのはお前だ。」


「わしは発想を示したに過ぎん。」


アルフレッドは首を横に振る。


「いいえ。先生がいなければ、この理論には辿り着けませんでした。」


「それは違う。」


老人は静かな口調で言う。


「わしは『こんな現象があった』と話しただけだ。」

「熱が遠くまで伝わることも。」

「圧力という考え方も。」

「波という概念も。」

「すべて前の世界では知られていた現象だ。」


「だが、それを魔素で説明したのはお前だ。」


アルフレッドは反論しようとした。

しかし老人は続ける。


「もしわしが一人なら。」

「ただの思い付きで終わっていた。」

「逆に、お前一人なら。」

「既存の魔導学から抜け出せなかった。」

「だから共同研究なのだ。」


その言葉にアルフレッドは黙り込んだ。

確かにその通りだった。

どちらか一人では、この研究は成立しない。


老人は未知の発想を持ち込む。

自分はそれを異世界の法則へ落とし込む。

役割は違うが、欠けてはならない。


アルフレッドは新しいノートを開いた。

最初のページへ、ゆっくりと書き始める。


---


第一章魔素現象論

一、魔力は現象そのものではなく、魔素へ命令を伝達する制御信号である。

二、魔経絡は魔力を伝達し、術式を構成するための生体器官である。

三、魔素は術式に従って現象を形成する実体である。

四、術式は魔素の状態を制御する命令体系である。


---


書き終えると、老人は内容を読み返した。

そして、一か所だけ訂正を入れる。


「制御信号」の横に、小さく一文を書き加えた。


> 現時点では最も妥当と思われる仮説であり、将来の研究によって修正される可能性がある。


アルフレッドはその一文を見て微笑んだ。


「先生らしいですね。」


「学問に完成はない。」


老人は即答した。


「百年後の研究者が笑うかもしれん。」

「『初期理論は間違っていた』とな。」

「それでいい。」

「正しく修正されるなら、それは進歩だ。」


アルフレッドは深く頷いた。

この一文は、理論を弱くするものではない。

むしろ、学問として誠実である証だった。


夕暮れ。


二人は研究小屋の外へ出た。

魔導灯が少しずつ街を照らし始めていた。

老人はその光景を眺めながら呟く。


「名前が必要だな。」


「名前?」


「新しい学問には、新しい名が要る。」


今の魔導学とは違う。

単なる術式の改良ではない。

現象を観察し、仮説を立て、実験で検証し、理論を築く。

その方法論そのものが違う。


「魔導……ではありません。」


アルフレッドが静かに言う。


「魔導を否定する学問でもない。」


「そうだ。」


「魔導を理解し直す学問です。」


二人はしばらく黙って考えた。

やがてアルフレッドが小さく口を開く。


「先生。」


「何だ。」


「前の世界には、『科学』という学問がありましたね。」


「ああ。」


「ですが、そのまま名乗るべきではありません。」


「もちろんだ。」


「この世界の法則は違います。」


「地球の科学ではありません。」


アルフレッドはノートを開き、新しい文字を書いた。


『科導』


老人はその二文字を見つめる。


「意味は。」


「『科』は、現象を分類し、観察し、理論化する学問。」

「『導』は、魔素を導き、現象を制御する技術。」


「科学ではない。」「魔導でもない。」

「両者をつなぐ、新しい学問です。」


老人はしばらく何も言わなかった。


そして、ゆっくりと頷いた。


「……良い名だ。」


「ありがとうございます。」


「勘違いする者も出るだろう。」

「『科学を真似しただけだ』とな。」


アルフレッドは首を横に振る。


「違います。」


「科学から学ぶのは、考え方だけです。」

「答えは、この世界で見つけます。」


老人は満足そうに笑った。


「その言葉を忘れるな。」


夕日が沈み、空が群青色へ変わっていく。

アルフレッドはノートの最後に、今日の日付を書き記した。

そして、その下へ。


> 本日、新たな学問体系『科導』の名称を定める。


その一文は、後に王国歴史学会によって「科導学宣言」と呼ばれることになる。

しかし、この時の二人にそんな大げさな自覚はなかった。

老人は新しい問いを探し。青年はその問いに答えようとする。

ただ、それだけだった。

だが、その積み重ねこそが、後に世界の文明を大きく変えていく最初の一歩となるのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ