新たな理論(中編)
「理論はできた。」
エゼキエルは机の上の紙を軽く叩いた。
「だが、理論だけでは学問とは呼べん。」
アルフレッドは頷く。
「証明、ですね。」
「そうだ。」
老人は紙を一枚取り出し、大きく二つの欄を書いた。
左には「仮説」。右には「検証」。
「学者が最もやってはいけないことがある。」
「何でしょう。」
「理論に実験を合わせることだ。」
アルフレッドは少し考えた。
「普通は逆なのですか。」
「逆だ。」
老人は即答した。
「実験結果に理論を合わせる。」
「理論が間違っていたら、理論を捨てる。」
老人は少し笑った。
「人間は、自分の考えを信じたくなる。」
「だから都合の悪い結果を無視する。」
「それを始めた瞬間、研究ではなく信仰になる。」
その言葉はアルフレッドの胸に深く刻まれた。
二人はまず、自分たちの理論が間違っている可能性を探し始めた。
「魔力は命令であり、魔素が現象を構成する。」
もし本当にそうなら、魔力そのものには熱も冷気も存在しないはずである。
アルフレッドは実験台に魔石を置いた。
老人が魔力だけを流す。術式は起動しない。もちろん火も出ない。
手で触れる。
「温度変化はありません。」
老人も確認する。
「魔力そのものは熱を持たない。」
次に術式だけを起動する。
魔石内部で魔素が動き始める。
しかし現象を起こす術式ではないため、やはり何も起きない。
「これも変化なし。」
老人は静かに記録する。
そして最後に、火を生み出す術式を刻んだ魔石へ魔力を流した。
炎が生まれる。周囲の空気が熱を帯びた。
アルフレッドは火球の周囲へ測定用の水晶板を置く。
魔素の流れを観察する。
「……やはり。」
老人が呟く。
炎が発生した瞬間だけ、魔素の流れが大きく変化している。
魔力は最初に命令を伝えただけだ。
その後、現象を維持しているのは周囲から集まり続ける魔素だった。
「少なくとも。」
アルフレッドは記録を書く。
「我々の仮説を否定する証拠は見つかりません。」
老人は頷いた。
「否定できない。」
「それだけで十分だ。」
数日後。
研究日誌はついに百冊を超えた。
棚には日付順に並べられた革表紙のノートが積み重なっている。
アルフレッドは一冊を手に取った。
最初の頃の自分の字は、どこか焦りが見える。
結果ばかりを書き、理由を書いていない。
しかし最近の記録は違う。
必ず「なぜそう考えたか」を書いている。
老人はその変化に気付いていた。
「良い研究日誌になった。」
「先生のおかげです。」
「違う。」
老人は首を振る。
「書いたのはお前だ。」
アルフレッドは少し照れ笑いを浮かべる。
そのときだった。
老人が一冊の古びた本を取り出した。
表紙には見慣れない文字が刻まれている。
「これは前の世界の本ですか。」
「ああ。」
老人は本を開いた。
もちろんアルフレッドには読めない文字だった。
「この本には、学問という言葉が何度も出てくる。」
「学問……。」
「知識を集めることではない。」
「現象を説明できる理論を築き、それを次の世代へ渡すこと。」
老人は本を閉じた。
「一人の天才では文明は変わらん。」
「知識を受け継ぐ仕組みが文明を育てる。」
アルフレッドはその言葉を聞きながら、自分の研究日誌を見つめた。
もし自分が途中で死んでも。
誰かが続きを読めば、研究は続く。
そう考えると、一冊一冊の重みが違って見えた。
老人は机へ新しいノートを置く。
表紙は真っ白だった。
「今日からこれは別冊だ。」
「何を書くのですか。」
「実験ではない。」
「理論だけを書く。」
アルフレッドはゆっくり頷いた。
数百回の実験。
数千回の観察。
それらを一つの体系へまとめる時が来たのである。




