50.フルカス
「……ったく、喋る暇があったら、とっとと逃げろっての」
双葉と雛山が逃げたのを確認して、俺は溜息を吐いた。……双葉はアガレスのバアルだ。アガレスは元力天使で、公爵の位を持つ。だが、眼前の相手は、元熾天使の大いなる王だ。双葉では絶対に勝てない。
「お前……天草だよな? ―――悪いな、俺のせいで」
今対峙しているバアルは、天草だと一目で分かった。下半身は蜘蛛に変わり、上半身の隣には猫と蛙の頭を持った首が生えている。臍から上は未だに人間のままだが、それもいつまで持つか……天草は今、バアルになりつつあるのだ。
「俺と同じ大元になるってことは、俺の因子を受けたんだろ?」
天草がバアルになったのは俺の責任だと、すぐに分かった。……俺がまだバアルだった頃、俺は無差別に人間を襲った。その際に撒き散らした因子が、天草の中に入り込んでいたのだろう。この気配は、確かに俺自身のものだ。だから分かる。俺が、こいつの人生を滅茶苦茶にしたのだと。
「そんな姿になったのも、全部俺のせいだ」
蜘蛛の体に人間、猫、蛙の頭が生えたその姿は、ソロモンの序列一位、バアル―――バアルという呼び名の由来となった、大元バアルだ。そして、俺の本来の姿でもある。
「……ったく、戦いにくいったらないな」
自己陶酔から醒めた俺は、手にした鉄パイプを放り捨てた。こいつには、ロンギヌスくらいでは傷をつけられないからな。
「とりあえず、双葉たちが逃げられるまで耐えればいいんだが……」
眼前の脅威は、未だに沈黙を貫いている。だが、闇に落ちたその表情は、こちらを嘲っているようだった。……とはいえ、今はそれがありがたい。向こうが静観していればいるほど、俺は時間稼ぎをしやすくなる。
「まあ、何とかするしかないか。……あっちは俺の劣化コピーだ。何とでもなるだろ」
かつての自分と向き合うために、俺は目の前にいるバアルと戦うのだった。
……その頃、ウルスラと双葉は。
「っ……! まさか、お兄ちゃんの分身が現れるなんて……しかも、その依り代がしーたんって、悪い冗談だよ」
私は双葉ちゃんに抱えられ、屋外訓練場の外まで来ていた。私の手足に掛けられた手錠はどうやっても外せなくて、そのせいでまともに抵抗が出来なかったのだ。
「とにかく、誰か呼ばないと……! 今のお兄ちゃん一人で、あの分身は倒せない……!」
双葉ちゃんは珍しく困惑したように、校舎のほうまで戻ってきていた。私が彼女に抱えられたままだからか、周囲の目線が集まるけど、私も双葉ちゃんもそんなことを気にしていられる心境ではなかった。……早く戻らないと。天草さんが、大変なのに……!
「あら、双葉さん。どうしたんですか? 雛山さんを抱えて」
「あっ、如月先生……!」
そんな私たちの前に、如月先生が現れた。私たちの状況を見て、不思議そうに首を傾げている。
「大変なの……! お兄ちゃんとしーたんがっ……!」
「織部君がどうしたんですか?」
双葉ちゃんの切羽詰った言葉に、如月先生が真剣な表情になる。そこで双葉ちゃんは、さっき起こったことを先生に話し始める。
「しーたんがお兄ちゃんの因子でっ、お兄ちゃんの分身になっちゃったの……!」
「なんですって……!? 天草さんが、彼の依り代に……!?」
私にはその内容は理解できなかったけど、如月先生は飛び上がりそうなほどに驚いて、すぐにどこかへ電話を掛けた。
「もしもし如月です……! 今、双葉さんから報告があって―――そちらでも把握してるんですか……!? ……はい、はい。分かりました。すぐに手配します」
電話を終えて、如月先生はこちらに振り返って、こう言った。
「二人とも、教室に戻っていてください……今日の慰霊祭は中止です」
「くっ……!」
辺りに響き渡る遠吠えと、放たれる灼熱の烈火。……俺が時間稼ぎに徹していると看破したのか、バアルが攻撃を開始した。蛙の頭が炎を吐いて、猫の頭が遠吠えを放って、それぞれが俺を追い詰めていく。
「ったく、面倒な奴だな……!」
自分自身がここまで厄介だったとは……こいつは元熾天使、天使としては最上位だったから、ロンギヌスが効かない。正教で特に有名な武器が使えないとなると、対抗手段はかなり限定されてしまう。普通のエクソシストならば異教殺しで対処できるのだが、普通の方術が扱えない自分の境遇を―――いや、こんな事態を引き起こした自分の存在自体を呪った。
「……やはり、双葉に残ってもらうべきだったか?」
俺が苦戦している最大の理由は、対応できる武器がないからだ。俺の能力は双葉と違い、使う武器そのものは自分で用意する必要がある。けれども、双葉の能力を使えば、武器そのものは用意できたかもしれない。あいつの武器を俺が扱えて、かつ俺の能力を付与できる前提だが。
「とはいえ、こんな奴の相手はさせられないか……」
だが、双葉に元熾天使の相手は務まらない。あいつは元力天使だから、熾天使クラスのバアルには絶対に勝てない。俺があの炎を受けても多少のダメージで済むが、あいつならば致命傷は避けられないだろう。さすがに危険すぎる。
「織部君……!」
すると、そこへ援軍が。風の槍が炎を掻き消し、バアルの脚へと突き刺さる。
「大丈夫か……!?」
「あんたか……」
現れたのは生徒会長。手にはボーガンを握っている。ということは、今の攻撃は「神の爪」だろう。異教殺しであれば、真性の悪魔である大元バアルにダメージを与えられる。
「行くわよ、真理亜……!」
「分かっているわ、安奈……!」
その直後、俺たちの隣を、女子生徒二人が駆け抜けた。女川姉妹が、片手剣を構えながらバアルに突進していったのだ。
「織部君……!」
「だ、大丈夫……!?」
更には、副会長と庶務の大村まで。雛山を除く生徒会メンバーがここに揃っていた。
「話は後だ……! 今すぐ離脱するぞ……!」
「……ああ」
今一状況が飲み込めていないが、要するに生徒会メンバーは援軍なのだろう。大方、双葉辺りが寄越したのか、それとも学園側もこの事態に気づいたのか。どちらにしろ、今の俺には好都合だった。
「足止めは任せた……!」
「了解……!」
「は、はい……!」
他のメンバーにこの場を任せて、俺は生徒会長と共に離脱した。




