36.ストラス
◇
「……そろそろ、戻ったほうがいいかもしれませんね」
それからもバアルと戦い続けた俺たち。だが、いい加減日が傾いてきたし、合宿を終了しようという空気になった。
「ったく、この糞っ垂れな合宿も、ようやく終わりか」
これで、この面倒な山からも帰れる。雛山には絡まれるし、散々だったからな。これで清々する。
「……ん?」
「どうしたの?」
だが、物事はそう順調には進んでいかない。……俺たちの前方に、何かが気配を見せ始めた。それは、強力なバアルの気配。新たなバアルが出現する、予兆であった。
「……おい」
「ええ……」
それを察していたのは、如月も同じだった。いや、生徒会長を含め、生徒会メンバーも全員、気づいていた。気づいていないのは雛山くらいだろう。こいつ、意外と鈍いみたいだし。
「ちょっとこれは、まずいんじゃないかな……?」
「というか、私たちに対処できるのか……?」
生徒会長たちの懸念は当然だった。この気配は、普段相手にしているバアルよりも遥かに強大だ。ただでさえ、ここのバアルは北欧神話系で、俺や如月以外は対処が難しいのだ。他の面子にとっては、かなり厳しい状況だろう。
「来る……!」
そして、とうとうバアルが出現した。……巨大な体躯は、巨人のバアルと同じくらい。右手に掴むのは、柄の短いハンマー―――あれこそが、本物のミョルニルだろう。つまり、あれはトールのバアルだ。アース神族で、主神オーディンの子。これは、今までのバアルとは桁違いだな。
「……織部君、このバアルに対応できますか?」
「……きついな。相手は雷神トール。かつてはオーディンと同格で、最強の戦神だぜ? 対処する手段も限られている」
トールは最強の神。勿論無敵ではないし、実際にヨルムンガンドによって殺されているが、それでも倒すのは困難だ。そのヨルムンガンドだって、トールとは相打ちだったのだから、その凄さは考えたくもない。
「私も、これはきついです。……正直、逃げるために戦うべきでしょうね」
「だな。こんなのとは、まともに戦いたくない」
実のところ、俺が頑張れば倒せなくはない。だが、それはかなり消耗するし、危険でもある。ここは大人しく退くべきだろう。かといって、素直に逃がしてくれる雰囲気でもない。背を向けて一目散に逃げ出しても、後方から攻撃されるだろう。
「織部君……!」
「っ……!?」
そんなことを考えている間に、向こうが先に動いた。トールのバアルは右手のミョルニルを振り翳し、こちらへ投げつけてくる。
「ミョルニル……!」
俺は咄嗟に、ポケットから取り出した金槌をミョルニルにして投げつけた。同じ名を冠する武器である以上、これで相殺できるはずだ。
「……っ」
実際、俺の目論見通り、二つのミョルニルはぶつかりあって、それぞれ跳ね返される。……問題だったのは、俺のミョルニルはそのまま地面に落ちたのに対して、向こうのミョルニルはトールの手へと戻ったことだ。こちらはただ同じ名前の武器だが、向こうは正真正銘のミョルニル。投げたら戻ってくるところまで同じだった。
「……おい、生徒会長。こいつら全員連れてとっとと逃げろ」
「織部君、何を言っているんだ?」
「いいから早く。このままだと全員死ぬぞ」
状況は、思った以上に悪かった。相手は神族クラスのバアルで、俺の装備は槍とロープ、金槌一つだけ。如月のほうも、対抗する方術は持ち合わせていないのだろう。でなければ、あれを俺に倒せるかなどと聞いてくるはずがない。
「俺は弱いが、この程度では死なない。俺が食い止めてやるから、今すぐ下山しろ」
「織部君、それ、死亡フラグ」
だからこそと、生徒会長には撤退を先導するように言ったのだが―――雛山が唐突に、俺の隣までやって来た。
「おい、下がらないとほんとに死ぬぞ……!」
「でも、織部君を置いて逃げられない」
俺は雛山を後退させようとするが、それでも雛山は動こうとしない。……こいつ、トールに対抗できる方術もないってのに、何をしようっていうんだ?
「来るよ」
「ちっ……!」
しかも、トールがまたもやミョルニルを投擲しようとしていた。俺は仕方なく、残り一つの金槌を取り出そうと―――
「……雷切」
だが、その必要はなかった。如月がどこからともなく刀を取り出し、無造作に振るう。ただそれだけではあったが、トールは動きを止めていた。
「この子を使う羽目になるなんて……用意しておいて良かったです」
如月が構えているのは、刃渡りの短い脇差。しかも、見た感じでは明らかに樹脂製で、連結の跡もある。恐らくは、複数のパーツに分解した上で仕舞っていた模造刀なのだろう。
「そいつは、まさか……」
「ええ、織部君の力を真似てみました。雷神トールには、雷を切るこの刀が有効なはずです」
どうやら如月は、俺の能力を方術で再現したらしい。……雷神を切り伏せたとして有名な雷切であれば、確かにトールへも一定の効果があるだろう。さっきは、刀を振った際の衝撃波でトールを牽制したのか。
「ここは私が防ぎますから、あなたたちは速やかに下山してください」
「いや、そんな紛い物ではそこまで持たないだろ」
俺たちを逃がす時間稼ぎ役を買って出た如月。だが、こいつにそこまでの時間が稼げるとは思えない。……俺の能力であれば、一度発動すればいいだけで、維持は楽だ。しかし、こいつのは方術だ。それを維持したまま戦うのは、少なくない消耗を強いられる。まして、俺の能力を再現した方術など、かなりの集中力が必要なはず。それを維持したまま戦うのは、いくら相性がいいとはいえ、困難を極めるはずだ。
「つーかお前、ここで死ぬつもりじゃないだろうな?」
「……」
俺の指摘に、如月は言葉を返さない。……こいつは兄をこの山で亡くしているし、自分の人生にも迷っている節がある。ここで格好良く散りそうな感じだ。
「……ったく。グングニール」
だから俺は、槍を取り出して、グングニールの名を与えた。……元々は最強の神であるトールだが、後にオーディンの息子という立場まで落とされている。それならば、オーディンの槍で多少は対抗できるだろう。
「時間稼ぎ役は多いほうがいいだろ。……倒せる自信はあまりないがな」
「皆無じゃない時点で大したものだと思いますけど」
俺の言葉に、如月は笑みと共にそう返してくる。……ったく、こういうのは俺のキャラじゃないんだがな。
「生徒会長、そいつら連れてとっとと逃げろ。あんたらで対抗できる相手じゃない」
「雛山さんはどうするんだ?」
「知らん、放っておけ。死んだら自己責任だ」
雛山は、一度決めたらてこでも動かない。ならば、ここで死ぬ覚悟をしてもらうしかないだろう。一応、俺も護衛くらいはしてやるが……トールと戦いながらでは、安全は保障できない。尤も、それは俺たち全員一緒だが。
「……分かった。くれぐれも気をつけて―――無事に帰ってきてくれ」
生徒会長はそう言うと、他のメンバーを連れて撤退する。……雛山の頑固さは分かっているし、北欧神話に疎い自分たちでは何も出来ないのも自覚しているのか、思いの他すんなり退いてくれたな。
「さてと……行くぜ」
仕方ない。俺もたまには真面目にやるか。




