33.ガープ
「それはいいとして……どうして君は、北欧神話なんて知っているんだ?」
俺が北欧神話について説明しようとしたとき、生徒会長がそんなことを言い出した。……言われるとは思ったが、どうしてそんな細かいことばかり気にするんだか。普段はあんな感じなのに。
「別に不思議じゃないだろ。というか、如月のほうが詳しいはずだ」
「あら、私ですか?」
とりあえず、ここは如月を使って誤魔化しておこう。それに、言いたいこともあったし。
「それに、あんたならあれがネフィリムでないことくらい分かっただろ? どうして黙ってたんだ?」
「いえ、私も確証はなかったのですが……そこが明確でなかった以上、下手に異教の神話を話すのは躊躇われましたから」
俺の問いに、如月はそう答えた。……つまり、生徒への危険よりも、エクソシストとしての体面のほうが大事だったわけか。まあ、いざとなったら自分が何とかするつもりだったんだろうから、別にいいが。
「じゃあ、霜の巨人について説明してくれ」
「はい」
俺がそう言うと、如月が解説を始める。
「霜の巨人は、北欧神話に登場する種族です。北欧神話の巨人といえば、原始の巨人ユミルが有名ですが、霜の巨人はその子孫です。神々の宿敵であり人間にとっては脅威ですが、同時に神々と頻繁に交流している存在です。その姿には諸説ありますが、人間とほぼ同等の背丈だったり、或いは人型ですらないなど様々です」
巨人ユミルは、北欧神話において最初の生命といえる存在だ。その子孫である霜の巨人は、自然発生した種族ともいえる。対してネフィリムは人間と堕天使の子であり、その点でも根本的に異なる。
「同じ巨人である以上、ネフィリムに有効な方術は霜の巨人にも有効ですが、その代わり減衰が激しいです。対ネフィリム用の方術でも、単に異教殺しの方術をぶつけるだけでは厳しいでしょうね」
「違う神話なのに、異教殺しの方術が通用しないんですか?」
「北欧神話は、特にこの日本では正教並みにメジャーですから。異教殺しは、正教の教義で異教と定義しづらい場合や、大きな勢力を持った神話や宗教には効果が薄いんです。ネフィリムを洗い流したノアの箱舟伝承に基づいた方術ならまだしも、単に水属性を利用しただけの方術や、そもそも別の属性を用いた方術では難しいかもしれません」
異教殺しは、正教の教義で説明できる異教にしか効果がない。しかも、相手が強大であればあるほど、その効力は薄くなる。「正教の教義で説明できない=異教」とみなしても、相手の力が強すぎれば、その分減衰してしまう。便利な条件設定な分、威力には難があるのだ。
「じゃあ、霜の巨人対策の方術を使わないといけないんですか?」
「そうなりますね。ただ、皆さんにそれを教える暇はないでしょうし、私にはその権限もありません。……申し訳ありませんが、皆さんには、既存の方術だけで戦ってもらうことになるでしょう」
副会長の質問に、如月はそう答える。エクソシストは正教の戦士。故に、異教の内容を知るにもそれなりの手順を踏む必要がある。とはいえ、別に異教を完全隔離しているわけではないし、北欧神話ならゲームやラノベでも時々出てくるから、そこから断片的な情報を集めて方術を組むことも不可能ではないはず。まあ、それが出来るほどの実力者は、エクソシストの中でも極僅かだろうな。
「現実的なのは、対ネフィリム特化の方術で戦うことですね。減衰が大きくても、元々の効力が大きければその分威力が大きくなりますから」
「結局、そこは変わらないのか……」
長ったらしい前置きの割に、やることは何一つ変化していない。精々、対ネフィリム特化の方術でも、減衰して効き難いってことが分かっただけだ。……つーか、ここのバアルが強いって言われてるのは、単純に北欧神話について知らなかったからじゃないのか? さっきの巨人にしたって、俺がミョルニルを出さなければ、もっと苦戦していただろうし。
「……それでは、今から十分ほど休憩にします。いつバアルが出現するかも分かりませんし、小型のバアルが出現する可能性もあります。私のほうでも警戒しておきますが、万が一遭遇した場合は一人で対処せず応援を呼ぶこと。この広場からは出ないこと。以上を守ってくださいね」
如月の指示で、その場は一旦解散。一時休息となった。
「……何してんだ?」
「あら、織部君」
休憩になって。俺は如月に話し掛けていた。というのも、如月が地面に何かを置いていたのだ。
「これは……そうですね。お供え物です」
如月が置いていたのは、洋酒の瓶。酒の銘柄には詳しくないので何かまでは分からないが、少なくともこの変態教師が好むようには思えなかった。……供え物ということは、ここで死んだ誰かのために用意したのだろう。
「……お前、ここの出身か何かか?」
「いいえ、違いますよ。……ただ、この山には兄が眠ってますから」
俺の問いに、如月はそう答えた。ここの出身でなく、しかし身内がここで死んだ。考えられる可能性は、一つしかなかった。
「兄は自衛官でしたから。……尤も、亡くなったときは兵士でしたが」
「……なるほど」
如月の言葉は予想通りで、俺はようやく合点がいった。……この恵那山に出現したバアル。その討伐のために軍を派遣した当時の政府を、こいつがやたらと貶していたのは、そういう理由だったのか。
「兄は、国や国民を守るために、自衛官になったんです。……ですが、当時の政府は、誰も守る気はありませんでした。エクソシストが協力すると表明していたのに、当時の政府はそれを突っぱねました。自分たちの体面を守ることに固執し、徒に兵士を犠牲にし、そのせいで兄も死にました。……本来なら、バアルに勝てないと分かった時点ですぐにでもエクソシストに協力要請するべきだったのに、躍起になった政府によって、予備戦力だった兄もここへ派遣されたんです」
無能で自分勝手な政治により身内が死ぬ。当時の政府を毛嫌いしているだけでなく、彼女自身がエクソシストになったのも、その辺に理由がありそうだな。
「だが、保身のために多くを犠牲にするのは、エクソシストだって同じだろ?」
「はい……この恵那山だって、北欧神話のバアルが出現すると分かっていれば、それほど手強い場所ではないんです。ですが、上の意向でそれを伝えられない。正直、織部君が言ってくれて助かりました。去年は偶然強い子がいてくれましたけど、今年のメンバーは北欧神話と相性の悪い子達が多いですから」
命は尊い。それが人間の常套句だが、実際は違う。命なんて、ティッシュペーパーのように浪費されるのが当然。それは、政府だろうと、宗教だろうと変わらない。それも、体面という、下らない理由で。まあ、金儲けということもあるが。
「……私、向いてないんでしょうか?」
「少なくとも、教師には向いてないな。……いい機会だから、今後の身の振り方でも考えて置いたらどうだ?」
「そう、ですね……この合宿中に、自分を見つめ直すべきでしょうね」
俺の適当な言葉に、如月はそう頷いた。……例えこいつがどんな道を選ぼうと、それはこいつの意思だ。俺には興味のないことなのだが、出来るだけ俺に迷惑を掛けない道を選んで欲しいと思った。




