32.アスモデウス
◇
……数十分後。
「……みんな、止まってくれ」
舗装のされていない獣道のような山道を歩いていたとき、生徒会長がそう言って皆を止めた。……なるほど、来たようだな。
「来るね……」
「準備はいいかしら? 真理亜」
「問題ないわ。安奈」
「はぅ……」
それに伴い、他の生徒会メンバーもそれぞれ構える。副会長は聖書を、女川姉妹は片手剣を取り出していた。……まあ、庶務の大村は相変わらず震えていて、今は如月に縋り付いているが。
「おい」
「分かった」
俺は雛山の手を振り解くと、背中に仕舞っていた槍を取り出す。雛山も腰に下げていた木刀を取り出して構えた。……その直後、周囲の空気が激しく振動し始めた。
「……来ましたね」
如月の呟きの直後、前方に黒い影が現れた。空間をすり抜けるようにふらりと現れた影は、その全長が四メートルほど。その巨大な人型は、恐らくネフィリムのバアルだろう。放っている禍々しい気配から、それほど強力な個体ではなさそうだが、少なくとも普段戦っているソロモンのバアルよりは強いだろう。
「女川姉妹と織部君、雛山さんは前衛へ! 特に織部君は雛山さんの援護も頼む!」
「勿論よ。ねぇ、真理亜」
「当然よ。ねぇ、安奈」
生徒会長の指示に、女川姉妹が先陣を切る。俺と雛山もその後に続いた。
「ロンギヌス」
俺は槍をロンギヌスにすると、既に攻撃を開始していた女川姉妹の援護に入る。二人はネフィリムの足に斬撃を当てていた。二人の動きは見事に連携が取れており、片方が切り掛かって、それにネフィリムが反応した途端にもう片方が別方向から切り掛かる、というのを繰り返していた。有効打とは言い難いが、それでも確実にダメージを与えている。
「向こうが右足を狙っているから、俺たちは左足を攻撃するぞ」
「うん」
俺も雛山と共に攻撃を開始する。ロンギヌスでネフィリムの足を切りつけるが―――
「……ん?」
しかし、俺はその一撃に違和感を覚えた。……ロンギヌスの効力が弱すぎる。ロンギヌス自体が天使の階級を迂回した方法でバアルを攻撃しているから、減衰するのは当然ではあるが。しかし、ネフィリムは堕天使の子で、天使から堕ちた者の子孫であるが故に、守護天使と対応しているだけのソロモンのバアルよりはダメージを与えられて然るべきなのだ。けれども、思った以上のダメージがない。正直、殆ど効いていない。
「はっ……!」
一方、雛山の「神の血」はそれなりの効力を発揮している。対ネフィリム用の方術なのだから、通用するのは当たり前だが、こちらも本来の威力ではない気がする。……雛山がバアルと戦うのはこれが初めてだから、多少うまく扱えないのは仕方ないのだが、あいつの方術は俺も受けてその完成度を確かめている。やはり、何かがおかしいのだ。
「石は神の肉に、水は神の血に、風は神の爪に。言霊の如く放て、「神の爪」」
生徒会長が「神の爪」を放ち、ネフィリムの動きを牽制する。だが、それもあまり通じていない様子。……生徒会長の方術は特異で迂遠だが、完成度は高かった。それが通じていないということは、相手があまりに強いのか、それとも別の要因があるのか。
「……まさか」
俺は一つの可能性に思い至り、そしてその場合の対策も即座に思いついた。……可能性は高いし、例え間違っていても有効な手段だ。試す価値はある。
「全員離れろ……!」
俺はそう叫びながら、自らもネフィリムから―――いや、巨人から距離を取る。そして、ポケットから金槌を取り出し、能力を使った。
「ミョルニル」
俺は金槌に名前を与えると、巨人の頭部目掛けて全力で投げつける。ミョルニルとなった金槌は綺麗な弧を描きながら、吸い込まれるように巨人の頭部に到達した。
「なっ……!」
そして、巨人の頭が一瞬で吹き飛んだ。……金槌が四メートル以上の巨人に大きなダメージを与えたのだ。遠目から見ていた生徒会長も、さすがに驚いたらしい。いや、もしかしたら金槌が見えなくて、突然巨人の頭が消し飛んだように見えたのかもしれないが。
「……」
頭部を失った巨人は、崩れるように倒れ込み、しかしその体が地面に触れる前に、跡形もなく消失した。……どうにか、無事に倒せたようだな。
「……織部君、今のは?」
その光景に、雛山が首を傾げていた。……この場合、こいつ以外にも、俺の能力を説明しないといけないんだろうか? 如月がいるからうまくはぐらかしてくれそうだが、また面倒なことになったな。
◇
……とりあえずそのままではあれなので、一旦落ち着ける場所に移動して。
「それで、どういうことなんだ? さっきの戦闘は」
先程の場所から程近い、広場のように開けたところに着いて。手頃な岩に腰を下ろした生徒会長が、そんなことを言った。
「結論から言う。あれはネフィリムじゃない」
その答えとして、俺は先程立てた仮説を披露する。……そう、あの巨人はネフィリムではなかった。それが、俺の結論だ。
「だが、あれほどの巨大な個体など、ネフィリム以外に何がいるというんだ?」
「ネフィリムは本来、十メートルを超えている巨体だ。だが、あれは精々四メートルだろ」
生徒会長の質問に、俺はそう答えた。……まず最初に気になったのはそれだった。ネフィリムの全長は推定十メートル以上。聖書の時代にそれほど正確な長さの単位があったとは思えないが、少なくともこれは信頼性のある仮説だし、そもそもあれが本当にネフィリムのバアルであるなら、「ネフィリムとはこういうもの」というイメージから大きく外れることはないはずだ。
「だけど織部君、もしあれがネフィリムじゃないなら、何だったんだい?」
副会長もそう尋ねてくるが、その口振りから察するに、こいつらの頭には「巨人=ネフィリム」という等式でも成り立っているらしい。それでは確かに、苦戦して当然だろう。
「俺が使ったのは、ミョルニルの方術だ」
その前に、俺が使った能力について話す必要がある。そのことについてどう説明するか迷ったが、結局、俺の能力は方術ということにしておいた。見た目では似たようなものだし、今はもっと気になる点があるだろうから、別に突っ込まれはしないだろう。
「ミョルニル……?」
案の定、庶務の大村が頭の上に疑問符を浮かべている。……正教の方術を扱うこいつらは、他の宗教や神話にはとことん疎いらしいな。予想通りだが。
「北欧神話に登場する、雷神トールの持つ魔槌だ。丈夫で、投げても手元に戻るハンマー。同神話に登場する霜の巨人を打ち砕いたとされる」
「北欧神話だって……?」
俺の説明に、生徒会長はかなり驚いているようだった。エクソシストは正教に所属しているから、他の神話や宗教については、学校でもあまり教えてないはずだ。故に、そうなるのも仕方ないか。とはいえ、ミョルニルはかなりメジャーなほうだが。ラノベでも名前くらいは出てくるし。
「ともかく、作戦の練り直しだな」
こうなった以上、まずはこいつらに北欧神話の説明からだな。




