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31.フォラス


  ◇



 ……二人が「楠木の湯」から上がって。


「ふぅ……少しのぼせたか?」

 雛山の万力地獄から解放された俺は、湯に浸かりすぎて火照った体を冷ますため、外に出ていた。近くに他の建物もないため、辺りはすっかり真っ暗で、星がとても綺麗だった。……だが、その幻想的な光景をぶち壊す存在がある。それが、すぐそこに聳え立つ恵那山だ。今は夜の闇で紛れてぼんやりとしか見えないが、その存在自体が俺を威圧してくる。

「織部君」

「如月か……」

 そんな俺に、如月が近づいてきた。……そういや、こいつのせいで酷い目に遭ったんだよな。主に俺の腕が。

「お前、雛山に方術を使っただろ?」

 だから俺は、何の前置きもなくそう言った。……雛山の様子は明らかにおかしかった。恐らくは、夢魔による催淫の方術辺りだろう。性的興奮を煽り、理性の箍を外す方術で、雛山を狂わせたんだろう。そんなことが出来るのは、この如月くらいだ。

「あら、よく気づきましたね」

「気づかないとでも思ったのか?」

「まさか。分かっててやったことですから」

 如月は案外あっさりと白状した。……こいつのことだから、どうせ面白半分で仕掛けたんだろう。

「雛山さんの精神が不安定でしたから、落ち着けるためにはこれくらいの無茶が必要だったんです。ああいう風に迫れば、織部君でも断れないですよね?」

「そりゃまあ、あまり強くは言えなかったが……」

「雛山さんの心を癒すためには、織部君の協力が必須です。となれば、織部君が拒否できないような状況に持っていくのがベストでしょう。実際、織部君も普段よりずっと優しかったですし」

「……おい待て。お前、まさかとは思うが、覗いていたのか?」

 しかしながら、如月の言葉には一定の合理性も含まれていて、納得しかけた俺だったが。一部引っ掛かる点から、俺はそんなことを尋ねていた。……こいつ、どうして風呂場での俺の様子を知っているんだ?

「覗いていただなんて人聞きの悪い。あそこは混浴なんですから、堂々と入りました」

「やっぱり自分が楽しむためじゃねぇか!」

 真相は、覗きではないものの、やはり覗き見はしていたようだ。……こいつ、本性が色々と残念すぎる。教師としての自覚も糞もないな。

「一応、焚き付けた以上はちゃんと見届けないとですから。教師としての責任です」

「責任感があるなら、最初から焚き付けるなよ……」

 最早、こいつに常識を説くのが無駄な気がしてきた。……つーか、常識外れな奴らが多すぎるだろ。俺に常識云々言われている時点で、もう人間として終わりすぎてるし。

「それはそうと、この恵那山、織部君はどう感じましたか?」

 俺が呆れて物が言えない状態なのを幸いに、如月が話題を変えてきた。……これ以上この話を続けても不毛だし、ここは乗ってやるか。

「どうもこうも……嫌な感じしかしないな。さすがは、かの悪名高い恵那山だ」

「この山自体は地元のシンボルでしかなくて、バアルが山の集落を襲ったのと、当時の政府が対応を誤ったから、悪い噂が立っているだけですけどね」

 俺の感想に、如月はどこかずれた答えを返す。……そういえばこいつ、「恵那山事変」当時の日本政府に不満を持っていたな。そのせいか?

「……そういえば、望月がやらかしたぞ」

「はい?」

 俺は恵那山の感想を述べようとしたのだが、そこで重大なことを思い出した。……望月の奴が、重大機密を漏らしたのだ。先程雛山の話をしていたため、それを思い出した。

「雛山に、「バアルの因子」について教えやがった」

「……あらあら、それは困りましたね」

 俺の報告に、如月は珍しく表情を硬くした。……望月の口が軽いのはいつものことだが、それにしたって、今回の件は洒落にならない。それをこいつも分かっているのだろう。

「まあ、あの人は機密とか、そういうのを漏らすタイプですけど……これは少しまずいですね」

「一応、雛山には口止めしておいたが、今後は気をつけてくれ。場合によっては、俺の学園生活も壊滅するからな」

「そうですね。私も雛山さんと織部君のラブコメ展開が楽しみなので、それが壊れないように努めます」

「……なんか引っ掛かる言い方だが、まあいいか」

 如月への報告を終え、俺は宿のほうへと足を向けた。

「織部君……明日から、気をつけてくださいね」

「誰に言ってるんだよ?」

 俺の背中に如月が話しかけてくるが、俺は振り返らずにこう返した。

「俺は、「一番」だからな」

「そうでした。無用な心配でしたね」

 それで会話は終わったと判断し、俺は今度こそ宿に戻った。



  ◇



 ……翌日。


「さあ、みんな。出発するぞ」

 朝。生徒会長以下生徒会メンバーは、引率の如月と共に、恵那山へと出発した。山の入り口は徒歩数分程度の距離で、そこから専用ゲートを潜り、恵那山へと入る。ゲートには警備のエクソシストが常駐しており、宿に控えている者と交代で、この入り口を管理しているらしい。

「……やはり、ここは何度来ても好きになれないな」

 恵那山に入ると、あの生徒会長ですら身震いしてしまった。……当然だろう。ここは日本で一番バアルが出現する場所。エクソシストとしての本能が、辺りの危険を察知しているのだろう。ある意味、虎子のいない虎穴だからな。

「うん……相変わらずというか、前より嫌な気配が強くなっているね」

「手を繋ぎましょう? ねぇ、真理亜」

「ええ、私もそうしたかったの。ねぇ、安奈」

「うぅ……こ、怖いよ~」

 他の生徒会メンバーも同様に、この恵那山に恐怖を覚えている様子。庶務の大村なんか、今にも小便をちびりそうな勢いだ。

「あらあら、皆さん大丈夫ですよ。私がついてますから」

 さすがに如月は余裕だが、周囲への警戒は片時も怠っていない。これでもベテランエクソシストだからな。

「……織部君」

 そんな中、雛山が俺の右手を握ってきた。……こいつ、昨日のあれがまだ残ってるのか? それとも、あれを切欠に、遠慮するのを止めたのか?

「何だよ?」

「ちょっとだけ、怖いから……こうしてていい?」

 相変わらずの無表情で、けれどどこか不安を感じさせる様子で、そう言う雛山。……そんな彼女に、俺は溜息混じりにこう返した。

「ったく……バアルが出たら離せよ」

「うん、分かった」

 正直、利き手は出来るだけ空けておきたいから、誰かと手を繋ぐなんて御免なんだが……それでも了承してしまうのは、俺もこいつに絆されたということか。

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