30.フォルネウス
……その頃、ウルスラは。
「……っ」
織部君から「大嫌い」と言われて。私は旅館の奥、倉庫と思しき場所まで来ていた。……自分でも、どうしてこんなことしたのか、分からない。けれど、彼に「大嫌い」と言われたとき、胸に何かが突き刺さったような、鋭い痛みを感じたのだ。
「……織部君、どうして?」
どうして彼はそんなことを言い出したのか……ううん、そうじゃない。彼が私を邪険にしていたのは前から分かっていた。なのに、私は―――
「雛山さん、大丈夫ですか?」
「……」
そんな私の元に、如月先生がやって来た。……どうしてこの場所に来たのかは気になるけど、今はそんなことを問うほどの余裕もない。
「……安心してください」
「ぁ……」
けれど、如月先生はそんなことお構いなしで、私のことを抱き締めた。……その温もり、暖かさは、今まで張り詰めていた私の心を包み込むようだった。
「織部君はあんなことを言いましたけど、決してあなたを嫌っていません。ただ少し、雛山さんのアプローチが強引過ぎただけで、だからついあんなことを口走ってしまったんです」
そして如月先生は、そうやって優しく私に語りかけた。……正直、その言葉は気休めでしかなかったけど、如月先生が言うとどこか安心できた。その包容力は、自分の母親よりも「お母さん」って感じがして、とても心地良かった。
「ですから、一度下がった好感度はまた上げればいいんです。幸い、雛山さんは可愛らしい女の子ですから、いくらでも方法はあります」
如月先生は私を解放すると、そんなことを言い出した。……織部君の好感度を上げる。その言葉に、私はかつてないほどの魅力を感じていた。彼に方術を習おうと思ったときとも違う、まるで生理的欲求のような、抗い難い誘惑を。
「例えばですね……今、織部君は「楠木の湯」にいるはずです。あそこは混浴ですから、合法的に、一緒にお風呂出来ますよ。そうすれば、織部君だって嫌がったりしないはずです」
織部君と混浴……私はそう聞かされて、自分の中で何かが突き動かされた。とても不思議な、けれど決して嫌じゃない、そんな感覚。
「場所は分かりますか?」
「……はい」
「そうですか。では、頑張ってくださいね」
如月先生に見送られながら、私は湧き上がる衝動のまま、「楠木の湯」へと向かった。
◇
「……ったく、どうして俺が」
如月と別れて、俺は「楠木の湯」へとやって来ていた。ここはいわゆる混浴で、正直入りたくなかったのだが、如月に逆らえば本当に殺されかねないので、選択肢はなかった。今はまだ誰もいないが、その内雛山がやって来るのだろう。そう思うと憂鬱だ。
「……あいつの台詞からして、雛山をここに入れるつもりなんだよな。……はぁ」
混浴イベントというのは、ラノベではたまにあるシチュエーションだ。だがその場合、主人公が無事でいられることはあまり多くない。少なくとも、主人公が何の被害も受けなかったのは、俺が読んだ限りでは「シスコン兄貴奮闘記」だけだ。しかも、その作品の場合は相手が幼児退行した妹だったからで、今回は全く参考にならない。……まあ、自分から混浴をせがむ奴だから、暴力に発展することはないと思うが。しかしながら、別の方面で問題が起こりそうで怖い。
「……織部君」
すると、噂をすれば何とやら。俺の背後から、雛山の声が聞こえてきた。だが、俺は反応してやらない。振り返ろうものなら、あられもない雛山の姿があって、そのまま面倒な感じになるのは目に見えている。どうせ放っておいても雛山から近づいてくるのは分かりきっているが、態々自分から破滅を選ぶこともないだろう。湯に浸かったまま、沈黙を貫く。
「……」
俺がシカトを続けていると、雛山が無言で湯に入ってきた。そして俺の隣にやって来ると、そのまま体をくっつけてきた。
「……織部君。私、何か嫌われるようなこと、した?」
雛山の質問に、俺は「本気で言ってるのかこの阿呆が」という台詞を飲み込んだ。……こいつを怒らせれば冗談抜きで危ないし、それが如月の耳にでも入れば本当に死ぬ。ここは穏便に済ませるべきだろう。
「……さっきのは、俺も少し言い過ぎた」
「え……?」
だから俺は柄にもなく、謝罪の言葉を口にしていた。……これは単に後々の面倒を嫌ったからで、湯に紛れて伝わってくる雛山の体温に惑わされたとか、そういうことでは断じてない。
「だが、お前も少しは自重しろ。最近、しつこいことが多いぞ」
「うん……ごめん」
俺の苦言に、雛山は珍しく心から反省しているようだった。……こんなにしおらしい雛山は滅多に見れない。いや、初めてかもしれない。俺の言葉がそれだけ堪えたということか?
「織部君……お願い。私のこと、嫌いにならないで」
「それは今後のお前次第だな」
あの傍若無人な雛山が切なげな声で懇願してくるので、俺はついそんなことを言ってしまった。
「……」
「……おい」
すると、今まで腕の辺りに感じていた熱が強くなった。どうやら、雛山が抱きついてきたらしい。
「織部君……私」
今までずっと外していた視線を彼女に向けてみれば、そこには当然ながら、一糸纏わぬ雛山の姿が。俺の腕にしがみつく雛山は、いつもの無表情ではなく、妙に艶っぽい顔をしていた。熱っぽい吐息を俺の腕に浴びせ、その体の温かさと柔らかさを伝えようと、抱きつく力を強めていく……のだが、力が強すぎて少し、いやかなり痛い。
「私、織部君ともっと一緒にいたい。ずっと、ずっと一緒にいたいの。……駄目?」
普段は他人のことなど省みない我侭女の、男に媚びるようなその台詞。俺は、まるで夢でも見ているような、そんな感覚に囚われる。
「駄目とまでは言わないが……出来るなら程々にして欲しい」
それが原因なのかは定かではないが、俺は何故かそんな風に妥協案を出していた。……普段の俺なら、こんなのは精々建前で、本音ではあり得ない。だが、今の俺は、少しくらいならいいかというように思っていた。
「ん、分かった」
俺の提案に、雛山はこくりと頷き、腕の力を強めた。……い、痛い痛い折れる折れる!
「ちょ、離せよ……」
「程々にするから……今だけは、一緒にいさせて」
いじらしく縋り付いてくる雛山に、俺は不覚にも可愛ささえ感じていたが……腕に掛かる物理的負荷にはどうしようもなかった。
「うぉ……!」
俺は結局、雛山が満足するまで腕を締め上げられるのだった。




