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第3話: 舐められ者の余裕

 朝のギルドは暇だった。


 俺は掲示板の前であくびを噛み殺す。


 薪の煙と昨夜の酒。低い天井の下に、饐えた匂いが淀んでいる。


 技を喰らうには条件がひとつある。


 技が振るわれる瞬間をこの目で見る。それだけだ。


 簡単そうに聞こえるだろ。俺も最初はそう思ってた。


 でも朝のギルドってのは平和なんだよ。


 誰も剣を抜かない。技も使わない。


 夜通し飲んだ連中が卓に突っ伏していびきをかいている。


 床にこぼれた酒。割れた木杯のかけら。


 それでも癖で目は動く。


 酒場の隅で、傭兵くずれが短剣をくるくる回している。ただの手遊びだ。技じゃない。


 その向かいで、若い斥候が弓の弦を張り直している。これも技じゃない。


 ……見れば見るほど腹が減る。


 技を使う瞬間ってのは、案外そこらに転がってない。


 人が本気になるのは、たいてい命のやり取りのときだ。


 腹を空かせて市場に来たのに、どの店も閉まってる。


 今朝の俺は、そんな気分だった。


 俺の力は、要するに「待つ」力だ。


 誰かが本気を出すまで、皿は空っぽのままだ。


 ……最強のくせに、地味な弱点だな。




 掲示板の隅に、Fランク向けの依頼が数枚。


 薬草採り。溝さらい。壁際の柵の直し。


 どれも心が躍らない。


 いちばん端の一枚に手を伸ばしかけた、そのときだ。


 横からでかい手が伸びてきて、その札をぺしっと弾いた。


「よお。昨日の無判定の坊やじゃねえか」


 振り返るまでもない。ザングだ。


 朝からしっかり酒くさい。


 こういうのが絡んでくるのは、まあお約束だ。


「札なんか見て、どうする気だ。お前に取れる依頼は、犬の散歩くらいだろ」


「犬の散歩。いいっすね。平和で」


「聞いたかよ。無能が平和ときやがった」


 ザングが仲間を振り返って肩を揺らす。


 卓のほうから、寝ぼけ半分の笑いが返ってきた。


 俺にじゃない。ザングの絡みが、朝いちばんの余興なんだ。


「なあ坊や。お前、なんでまだこの街にいる」


「気に入ってるんすよ。飯がうまくて」


「食えてんのか、無能のくせに」


「おかげさまで。今朝はまだ空きっ腹っすけど」


「はっ。宿代にも困ってやがるか」


「田舎に帰る足代のほうが、高くつくんで。歩くと足が痛くて」


「なら働け。荷物持ちの口を紹介してやるっつってんだろ」


「昨日も聞きました。給金、上がりました?」


「上がるわけあるか」


「じゃあ、やっぱり遠慮しときます」


「足も口も、無駄によく動く坊やだ」


「その減らず口、外でも叩けんのか」


「外は寒いんすよ。ここで勘弁してもらえます?」


「言うじゃねえか。気に入らねえ」


 太い手が伸びてきて俺の胸ぐらをつかんだ。


 そのまま片手で軽々と持ち上げられる。


 つま先が床から離れた。


 軽い体がさらに軽くなる。皮一枚ぶん、こわかった。


「どこ見て笑ってんだ坊や」


 宙づりのままぼんやり思う。


 力のない体ってのは、こんなに簡単に浮くらしい。


 昔の俺もこうだった。何も持たず、誰も守れなかった。


 前の世界でも同じだ。何も産めない手のひらは、いつだって軽い。


 ……まあ、昔の話だ。


 今の俺は、浮いてるふりがちょっとうまくなっただけだ。


 正直に言おう。このとき俺は期待していた。


 この大男がCランクの技をひとつでも見せてくれないか。


 見せてくれたら喰う。それで朝飯代くらいにはなる。


 でも、こいつはただの力自慢だった。


 胸ぐらをつかむ。持ち上げる。技でもなんでもない。


 喰えるものがどこにもない。


 ……ちぇ。品切れはまだ続くらしい。




「気に入らねえ面だ。ちょっと飛んでみるか」


 ザングが俺を横ざまに放り投げた。


 いや——投げようとした。


 その一瞬。俺の目は相手の体を読んでいた。


 右肩が落ちる。腰がひねられる。放る先は左の卓の上。


 放られる前に、全部見えていた。


 喰う力とは関係ない。ただ見えるんだ。


 他人の動きを見るのだけは昔から得意でね。


 だから逆らわない。


 放られる力に、自分の体を少しだけ足してやる。


 ふわりと投げ出されて、空中でくるりと回る。


 猫みたいにぺたんと床に着地する。


 手のひらに板張りの冷たさが走った。


 心の中で、この動きに名前をつける。


 《受け流し・猫足くずし》。


 ……いや。ダサいな。誰にも言わないでおこう。


 一方、力いっぱい振り回したザングはたまらない。


 抜けた空振りってのは、思ってるより体にこたえる。


 大男がたたらを踏んで、卓の角に膝をぶつけた。


「——っ、づっ!?」


 ごつ、と鈍い音がした。膝の骨と、卓の角だ。


 俺はあやうく噴き出しかけた。


 でも、無能の坊やがここで笑っちゃ台無しだ。ぐっとこらえる。


 しん、と静かになった。


 それからどっと笑いが起きた。今度はザングにだ。


「ザングさんが坊やに転ばされてやんの!」


「見たか今の。坊やがふわっと飛んで、ぺたっと」


「朝からCランクが台無しだなあ」


「大方、腰でも痛めたんだろ。年だ、年」


「うるせえ!」


「ちげえ! こいつが勝手にうまいこと逃げただけだ!」


「すみません。腰が抜けちゃって。うまいこと、そっち転がりました」


 俺は尻を払ってへらっと笑う。


 まぐれです、という顔で。


 実際は、まぐれじゃない。


 でも、それは俺だけが知ってればいい。




 ザングの顔が赤くなった。


 笑われるのが、いちばん効く男らしい。


 太い手が腰の剣の柄にかかった。


 お——と、俺の眠い目が少しだけ開く。


 抜け。抜いてくれ。


 Cランクの得物なら、技のひとつくらい乗ってる。それをいただく。


 喉から手が出そうになった。そのときだ。


「ザングさん! ギルドの中で得物抜いたら、一発で減点です!」


 受付からネルの声が飛んできた。


 ザングの手が柄の上で止まる。


 減点、という言葉には弱いらしい。


 舌打ちをひとつ。


「……次は、外でやってやる」


 捨て台詞を残して、大男は酒場のほうへ消えていく。


 ……ちぇ。


 もう少しで朝飯にありつけたのにな。


 柄に手がかかった時点で、俺、半分は期待してたんだけど。




「レンさん。あなた、ほんとに大丈夫な人ですか」


「おかげさまで。無傷だよ」


「無傷って……いま、投げ飛ばされてましたよね」


「あれは投げられたんじゃない。自分から飛んだんだ」


「言い訳が、いちいち変ですね」


 ネルが呆れ顔で笑う。眉は下がって、口の端は上がっている。


「あのですね。Fランクの新人がCランクに絡まれて無傷。こんなの初めて見ました」


「絡まれてないよ。転んだだけだ。二人とも」


「片方は自分から飛んだんじゃないんですか」


「よく覚えてるなあ、そういうとこだけ」


「変な人だっていうのは、昨日から知ってます」


「光栄だよ。覚えててくれて」


「痛くないんですか、ほんとに。投げられて」


「痛いよ。ここが」


 俺は胸のあたりを軽く叩いてみせる。


「無能って呼ばれるの、地味にこたえるんだ」


「そこはこたえるんですね」


「一番やわいとこだ。無能の心は」


 ネルが羽根ペンの尻で、こつんと台を叩いた。


 受付に寄りながら、少し考える。


 結局、今日も何も喰えなかった。


 目の前にCランクの大男がいたのに、だ。


 喰らうには、相手が技を振るってくれないと始まらない。


 振るってくれるまで、俺はただの逃げ足の速い坊やだ。


 ……これ、けっこう危ういぞ。


 たとえば、さっきの宙づり。あの一瞬だ。


 もしザングが力自慢じゃなく、初手から本気の技を打つ奴だったら。


 俺は喰う前に、まず一発もらってた。あの足のつかない高さでだ。


 最強の力にも、順番ってものがあるらしい。


 まあいい。


 振るわせて、見て、喰う。順番どおりにやればいい。


 そのために相手を怒らせるのも、案外悪くない手だ。


「そうだ、レンさん。ちょうどいい依頼がありますよ」


 ネルが一枚の紙を台に滑らせてきた。


「壁の外、東の薬草地。薬草を摘んでくるだけです。Fランクでも取れますよ」


「摘むだけ? それのどこが依頼なんだ」


「摘むだけが、意外と難しいんですよ。根を残さないと、来年生えないので」


「へえ。じゃあ、根は残しとく」


「壁の外? Fは壁の中だけって、昨日……」


「東の薬草地は柵のすぐ外。門番の目が届く範囲なんで、規則上は"壁の中扱い"なんです」


 そこでネルが少しだけ声を落とす。


「……ただ。最近あのへんで、魔物の影を見たって話があって」


「魔物、ね」


「たぶん、はぐれの小物です。でも一応。……無理はしないでくださいね」


 魔物。はぐれの小物。


 俺はその紙を手に取った。


 ……悪くない。むしろ、いい。


 喰わせてくれるなら、小物でも大物でも文句はない。


 今朝から空っぽの皿だ。そろそろ埋めたい。


「この依頼、もらうよ」


「あ、はい。気をつけて」


「善処する」


 紙を折って懐にしまう。




 外に出ると、朝の光はまだ低い。


 露店がぼちぼち店を開けはじめている。


 壁の外に魔物。はぐれの小物。


 東の空を見上げた。


 手袋の中で、俺は指を一度、握り込んだ。理由は、自分でもうまく言葉にできない。


 空っぽの皿を抱えたまま、壁の外へ歩き出す。


 今日こそ一品くらい、喰わせてもらおうか。



覇王樹さぼてんです。三話まで来てくださって、ありがとうございます。


 今回は、レンの力のちょっと不便なところを見せる回でした。なんでも喰らって作り替える最強の異能なのに、相手が本気を出してくれないと、何も喰えない。これ、書いていて自分でも面白い縛りだなと思っています。最強なのに、待ちぼうけ。皿だけ持って立ってるレンが、なんだか可愛くないですか。


 派手な技は、次回に取っておきました。ザングを転ばせたあの着地に、レンがこっそり寒い名前をつけてしまうところ、いちばん楽しく書きました。ああいう、誰も聞いてないところで一人でふざける主人公が、僕はどうにも好きなんですよね。


 ひとつだけ。宙づりにされたレンが、ほんの一瞬だけ昔を思い出す場面があります。あの軽さの裏に、この物語のいちばん重たいものが眠っています。今はまだ、覗かせません。


 次回、いよいよ壁の外へ。空っぽの皿を抱えたレンが、はぐれの小物とやらに出くわします。さて、今度こそ、まともな一品にありつけるのか。よろしければ、次もお付き合いください。

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