第2話: 辺境都市オルゼン
辺境都市オルゼン。その名を初めて見たのは傾いた道標だった。
王都を出て三日。歩きどおしだ。
街道の土は途中から轍でぐちゃぐちゃになっていた。
人と馬車が、それだけ通ってるってことだ。辺境のわりに。
やがて門が見えてきた。石を積んだだけの無骨なやつだ。
「……お。着いたな」
俺は足を速めた。荒くれと魔物が集まる街。要するに、技の見本市だ。
喰い甲斐がありそうじゃないか。
その門の上に、弩を構えた見張りが立っていた。外に向けて。
「……物騒だなあ」
思わず呟く。
王都の門番は入ってくる奴を睨んでいた。ここの見張りは外に出るものを警戒してる。
つまり壁の外だ。いつ湧いてもおかしくない何かがいる。魔物だ。
交易で栄えて、魔物が近い。荒っぽい連中が集まるわけだ。
門をくぐると匂いが変わった。
香辛料。獣の脂。安い酒。そこに鉄と血の匂いがうっすら混じっている。
露店が道の両側にひしめいていた。
干し肉を吊るした店。魔物の素材を並べた店。値切る声が飛び交っている。
道を行くのは剣を背負った男。革鎧の女。腕に古傷を刻んだ連中ばかりだ。
誰もすれ違う俺を気にしない。
いい街だ。俺みたいなのが紛れ込むにはちょうどいい。
「さて。まずは看板のところだな」
冒険者ギルド。その大支部が、この街の目当てだった。
技を喰らうには、技を振るう連中の近くにいるのが早い。ギルドってのは、その塊みたいな場所だ。
喰い放題の食卓に、自分から歩いていくようなもんである。
ギルドはすぐに見つかった。
一番でかくて、一番うるさい建物だったからだ。
両開きの扉を押すと、熱気がぶつかってきた。
昼間から酒の匂い。武具のぶつかる音。誰かの笑い声と、誰かの怒鳴り声。
壁の一面が依頼の貼り紙で埋まっている。
その前に、荒くれた冒険者たちが群れていた。
俺は人をかき分けて、奥の受付へ向かう。
受付には若い女がひとり座っていた。
書類の山に埋もれて、羽根ペンを走らせている。俺が近づいても顔を上げない。
「新規登録、いいですか」
「はい、いらっしゃいませー」
顔を上げないまま、女が答えた。声だけはやたら滑らかだ。
「登録料は銀貨一枚。それと、才能の儀のカードを出してくださいねー。……はい、そこに置いて」
俺は外套の内から一枚のカードを出して、台に置いた。
『スキルなし』。
王都を出るとき、いちおう発行してもらった、俺の値札だ。
女の羽根ペンが止まった。
ようやく顔が上がる。
そばかすの散った若い顔だった。目だけが妙に鋭い。
「……えっと。ネル、っていいます。この支部の受付」
「レン。なんか、ごめんな。変なもん見せて」
「いえいえ。見慣れて……はないですけど」
ネルと名乗った受付嬢が、カードと俺の顔を二度見比べた。
「『スキルなし』の登録、あたし初めてなんですよねー。えーと、規則、規則」
書類の束をめくり始める。
「あー、ありました。特別な才能を持たぬ者も、冒険者として登録できる。……できるんだ。へえ」
「できないと思ってた?」
「思ってました。正直」
「はっきり言うなあ」
「取り繕っても、しょうがないので」
悪びれもせずに言う。妙に正直な受付だ。
「でも、規則にはちゃんとあるんで。登録します。得意な武器は?」
「無し、で。腕っぷしも才能も、無しの無しだ」
「……ほんとに、なんにも?」
「なんにも。強いて言うなら、丈夫なのだけが取り柄だ」
「それ、才能じゃなくて体質ですよね」
「バレたか」
「……本当に、大丈夫です?」
「大丈夫。逃げ足だけは、そこそこ速い」
「それ、冒険者に一番いらない才能ですよ」
「よく言われる。でも、死なずにはいられる」
「死なないだけの冒険者って、もう置物ですよ」
「手厳しいなあ、受付さん」
ネルが呆れたように、羽根ペンの尻で額をかいた。
その、台に置いた俺のカードを、後ろから覗き込んだ奴がいた。
「おいおい、見ろよ。『スキルなし』だってさ」
振り向くと大男が立っていた。頭ふたつ分は背が高い。剣の柄に手を置いて、にやついている。
俺の目は癖でそいつを舐めた。肩。腰。重心。
……剣は飾りだな。喰える技は乗ってない。
残念、と胸のうちで舌打ちする。
そいつが仲間らしい連中を振り返って、声を張った。
「なあ聞いたか。無判定の坊やが、うちのギルドに来たとよ」
どっと笑いが起きた。
「無判定ってお前、ゼロってことか?」
「聞いたことねえぞ、そんな坊主」
「勇者様んとこにいたっつう、荷物持ちだろ」
まあ、そうなるよな。むしろ、こうでなくちゃ困る。
「才能なしが冒険者ぉ? 坊や、荷物持ちの口なら紹介してやるぞ」
「荷物持ち。日当、いいやつっすか」
「あぁ?」
「無能なりに、宿代くらいは稼がないと」
「はっ。頭は空っぽのくせに、算盤だけは回るのか」
「そこだけは、無能じゃないもんで」
「口の減らねえ坊主だ。喧嘩なら、いつでも買うぜ」
「遠慮しときます。財布も腕っぷしも軽いんで」
大男が俺の肩をどついた。
軽くのつもりだろうが、まあまあ痛い。ここは痛がるのが正解だ。無能は無能らしく。
「……どうも。考えとくよ」
俺は肩をさすって、へらっと笑ってやった。
男がつまらなそうに鼻を鳴らす。
「なんだ、噛みつきもしねえのか。骨のねえ坊やだ」
「骨なら、あるとこにはあるんすけどね」
「あぁ?」
「いや。こっちの話っす」
ザング、と誰かがその男を呼んだ。行くぞ、と。
大男は最後にもう一度、俺のカードを鼻で笑った。それから仲間と奥の酒場へ消えていく。
いい判断だよ、ザングさん。
どのみち今のあんたからは、一皿も喰えなかった。
なんて、心の中でだけ言っておく。表の俺はまだへらへら笑っている。
「あの……大丈夫でした?」
ネルが書類越しに、小声で聞いてきた。
「ザングさん、態度でかいですけど。腕は、そこそこなんで」
「へえ。あの人、有名なんだ」
「Cランク。この支部だと、上のほうです」
ネルが木の札を一枚、台に滑らせてきた。
一番下の、ざらついた札だ。錆びた鉄みたいな色をしている。
「はい、登録完了ー。あなたは今日から、Fランク。一番下です」
「ちょうどいいな。下から見上げるの、嫌いじゃないんだ」
「変な人ですね」
ネルが少しだけ笑った。それから声を落とす。
「Fランクは薬草採りや溝さらい。壁の外に出ない依頼からですよ。……無理はしないほうがいいです」
「溝さらいか。荷物持ちの次は、溝さらい。ずいぶんな出世コースだな」
「拗ねてます?」
「まさか。ちゃんとした階段だろ、これは。一段ずつ上がるやつ」
「一段目が、溝の底なんですけど」
「底があるなら、あとは上がるだけだろ。悪くない」
「変な人ですね、やっぱり」
ネルが今度はちゃんと笑った。それから、また声を落とす。
「まあ……頑張ってください、レンさん。Fランクの新人、けっこうすぐ辞めちゃうんで」
言いながら、書類の角をとんとんと揃えて、丁寧に閉じた。慣れた手つきだ。この受付で、辞めていく新人を何人も見送ってきたんだろう。
「辞めないよ。ここ、居心地よさそうだ」
「こんな、うるさいギルドがですか?」
「うるさいのは嫌いじゃない。誰が本気で誰がへらへらしてるのか、よく見えるからな」
「……なんですか、それ」
「さあ。世間話だよ」
「レンさん、絶対なにか隠してますよね」
「隠すも何も。見てのとおりの無能だぞ」
「その"見てのとおり"が、いちばん怪しいんですけど」
「鋭いなあ、受付さん」
「やっぱり、変な人」
ネルがまた笑った。
忠告も、笑顔も、ありがたく受け取っておく。
俺は札を握って、受付を離れた。
この街でじっくり、無能の顔をして喰わせてもらう。焦る必要はない。
このでかい食卓は、逃げやしないんだから。
安い宿は、すぐに見つかった。
「一部屋。いちばん安いので頼む」
「屋根裏でよけりゃ、銅貨三枚。先払いだよ」
「上等だ」
銅貨を三枚置いて、俺は宿を出た。
鍵はもらったが、部屋に入る前に、少し街を見ておきたかった。
路地に折れると、表通りの喧騒が少し遠くなる。
細い道に、饐えた匂いが溜まっていた。
その奥から、荷車を引く人影が来た。
ボロを頭からかぶった痩せた誰かだ。男か女かも分からない。
車輪が、轍にはまるたびに軋んだ。ぎい、ぎい、と。
梶棒を握る手だけが、ボロの裾から覗いている。骨の浮いた、細い手だった。
荷車には蓋をした桶が積まれていた。中身までは見えない。
蓋の隙間から、饐えたのとは違う匂いが細く漏れていた。甘くて、どこか錆びたような。
何の匂いかは、分からなかった。
その人影が表通りへ出ようとした、そのときだ。
露店の店主が箒を振り上げた。
「しっ、しっ。こっち来んな。ネズミめ」
ネズミ。
……その一言に、俺の足が半拍だけ遅れた。
言いかけた冗談を、舌の上で握りつぶす。
ボロの人影は何も言わなかった。ただ頭を下げて、荷車ごと路地の暗がりへ引っ込んでいく。
軋みが、ぎい、ぎい、と遠ざかった。
店主は、汚いものを見た顔で地面に唾を吐いた。
「まったく。日の高いうちから、湧いてきやがる」
湧く、か。
人に使う言葉じゃない。
俺は店主の顔を、少しだけ見た。
悪気なんて、これっぽっちもない顔だ。当たり前のことを言った、って顔をしてる。
四十がらみの、恰幅のいい男だった。並べた干し肉はどれも艶がいい。今日も明日も真っ当に店を開けて、真っ当に稼いでいくんだろう。その真っ当な顔で、さっきの一言を吐いたわけだ。
……ああ、この顔。この線の引き方。
前の世界でも、飽きるほど見た。役に立つ側と、立たない側。値札の高い人間と、安い人間。人を二つに仕分ける、あの何気ない手つきだ。
所変われど、やることは変わらないらしい。
「……そういうのが、いちばん質が悪いんだよな」
誰にも聞こえないくらいの声で、俺は呟いた。
右の手袋の下で、古い傷がちりっと疼いた気がした。
その疼きの奥で、ずっと蓋をしてきた重たい何かが、ゆっくり頭をもたげかける。
……いや。気のせいだ。
俺は蓋を閉めなおすみたいに、右手を握った。
聞かなかったことにして、歩き出す。
今の俺は、ただの通りすがりのFランクだ。よその街の路地の話に、首を突っ込む余裕はない。
……ないんだ。今は。
宿に戻って、俺は屋根裏の一室に上がった。
窓は木の板を立てかけただけ。隙間から街のざわめきが入ってくる。
俺は寝台に転がって、天井を見上げた。
オルゼン。荒くれと、魔物と、それから「ネズミ」と呼ばれる誰か。
あれが何なのか、俺はまだ知らない。
知らないまま、他人事の顔で、路地の暗がりを思い返している。
どこの街にもある話だ。俺には関係ない。……そのはずだ。
目を閉じる。まぶたの裏で、ボロの背中がなかなか消えてくれなかった。
まあいい。今日はもう寝る。
明日は掲示板の前に立つ。最初の依頼を取って、この街で名を上げていく。
「無能」の看板を掲げたまま、片っ端から技を喰らって。
……そういえば。
あのカードを鼻で笑ったCランク殿は、明日もあそこにいるんだろうか。
いたら、いいな。
無能の坊やがどれだけ無能か、ゆっくり見せてやる時間も、そのうち取れそうだ。
俺は口の端を上げて、目を閉じた。
辺境の夜が、ゆっくり更けていく。
覇王樹です。二話まで来てくださって、ありがとうございます。
今回は、いわゆる「街に着いてギルドに登録する回」でした。派手な必殺技は、ほぼ出てきません。無双ものの二話目としては、正直じみな回です。
でも、俺はこの手の「助走の回」が、けっこう好きなんですよね。主人公が一発かます回は、この地味な回があるからこそ気持ちよくなる。わざと肩を殴られて痛がっているレンが、次にどう化けるか——それを想像しながら書いていました。
ひとつだけ。今回、路地でちらっと出てきた言葉があります。あれを、レンがどんな顔で聞き流したか。そのへんに、この物語のいちばん重たい部分が埋まっています。今はまだ、通りすがりの他人事の顔で。いつか、そうじゃなくなります。
次回、レンがギルドで最初の一幕を演じます。無能の坊やの、底の浅い……いや、底なしのところを、ちょっとだけ。よかったら、次もお付き合いください。




