第4話: 初依頼、完食
草の海がふいに静かになった。
虫の音が消えている。
……お。
薬草を摘んでいた俺の手が止まった。
東の薬草地は腰まで草が伸びた、だだっ広い野原だ。
柵のすぐ外。振り返ればオルゼンの門と、見張りの小さな影が見える。
規則の上ではここは「壁の中」。門番の目が届くから、Fランクの俺でも来ていい。
そういうぬるい場所のはずだった。
なのに虫が鳴きやんだ。
草地で音が消えるってのは、たいてい、でかい何かが近づいてる合図だ。
「おーい、坊や。手ぇ止まってんぞ」
少し離れた草むらからしゃがれた声が飛んできた。
モーク。今朝この薬草地で一緒になった、先客のおっさんだ。
背中に籠を負って、腰を折って草を掻き分けている。
「摘み方、教えてやったろうが。根を残せ、根を。抜いたら来年生えねえぞ」
「へえ。じゃあ、来年また来ますね」
「Fランクの新人が、来年まで冒険者やってるかね」
モークがけけっと笑った。
悪気はない。この街じゃ、無能を心配するってのはこういう笑い方をするものらしい。
「モークさん」
「あん?」
「静かにしてもらえます? ちょっと」
「なんだよ、急に」
俺は答えず草の先を目で追った。
風がこっちへ流れてくる。
その風に獣の匂いが混じっていた。
脂と湿った土と、金気の匂い。
薬草の甘い匂いをぐいと押しのけてくる。
「モークさん。門、近いですよね」
「そりゃ、目と鼻の先だ」
「はぐれの小物が出るって、聞きました?」
「聞いた聞いた。だからここは安全なんだよ。門番が弩構えてんだから、でかいのは近寄らねえ」
でかいのは、近寄らない。
その言葉が終わらないうちに草の向こうが盛り上がった。
地面が揺れる。
どすん、と重い足音がひとつ。
「……モークさん」
「お、おい。なんだ、ありゃ」
草を割って出てきたのは、小物なんかじゃなかった。
俺の背丈の、倍。
猪の形をした黒い巨体。
背中いっぱいに鉄みたいに黒光りする棘がびっしり生えている。
鉄棘猪。上位個体だ。
「聞いてた話と、ずいぶん違うな」
俺はへらっと笑おうとして、少しだけ失敗した。
小物じゃない。門番の弩がどうこうって図体じゃない。
こいつは、はぐれた末にうっかり門のそばまで迷い込んじまったってやつだ。
運が悪い。俺たちも、こいつも。
「モークさん、下がって。ゆっくり」
「む、無理言うな。腰が」
鉄棘猪がぶるっと背を震わせた。
その瞬間、俺の目が勝手に開く。
棘が、逆立った。一斉に。
来る。
鉄棘猪の背中から、黒い棘が雨みたいに撃ち出された。
狙いは俺じゃない。
腰の抜けたモークのほうだ。
その一瞬、俺の中で二つの声がぶつかった。
喰え、と一つが言う。今の技、見えてる。喰える。
もう一つが、言う。喰うより先に、やることがあるだろ。
……ああ、うるさい。答えなんか、とっくに出てる。
俺は地を蹴った。
喰う手前で腹の中の風を引きずり出す。
牙鴉から喰って作り替えた、俺の風。
「颶風牙」
横薙ぎに風の刃を放つ。
飛んできた棘の群れが、風に叩かれてあらぬ方へ弾け飛んだ。
全部は間に合わない。
一本がモークの肩をかすめて、籠を突き破る。
「うおっ、ぐ……!」
「生きてます?」
「い、生きてる。生きてるが、籠が……薬草がぁ!」
「そっちかよ」
俺はモークの襟をつかんで後ろへ引き倒した。
肩から血が滲んでいる。かすり傷だ。深くはない。
間に合った。
……今日は、間に合った。
誰にも言わない。ただ、それだけを、俺は胸の中で確かめる。
昔、間に合わなかった背中が、一つだけある。
あの日から、俺は間に合うために喰ってきた。
まあ——今は、目の前のでかいのが先だ。
鉄棘猪が鼻を鳴らした。
棘がもう一度逆立ちはじめる。
二の矢だ。さっきより深く背を沈め、力を溜めている。
さっきのが小手調べなら、次は本気の一撃だ。
結構。
本気の技ほど、喰い応えがある。
俺はモークの前に立った。
「モークさん。目、閉じてていいすよ」
「なに言って——」
「見せもんじゃないんで。ちょっと恥ずかしい台詞を言うんで」
鉄棘猪の背が限界まで反り返った。
黒い棘が、鏃みたいに全部こっちを向く。
放たれる。その一瞬。
俺の目がそいつを丸ごと呑み込んだ。
喰った。
腹の底がぐっと引かれる。
喰った技が、皮膚の裏を這って染みてくる。
「悪いな。その棘、しっかり見せてもらった」
撃ち出された無数の棘。その一本ずつが俺の目にはちゃんと見えていた。動きを読むのは昔から得意なんだ。
喰った技を頭の中で組み替える。
こいつのやり方は、「散らす」だ。広く、浅く、数で押す。
なら、俺は逆をやる。
喰った棘を、腹の中の風でぐるりと巻く。
巻きが締まるほど、握った拳がみしりと軋む。
散らばるはずの数百本を、一本に。
細く鋭く、螺旋に束ねて。
「散らすのがお前の芸なら」
握った拳の先に風をまとった一本の錐が生まれる。
「俺は、一点に束ねる」
空へ向けて、俺はそれを掲げた。
「喰らえ——
【万象・螺旋穿棘】」
草地に、一条の風が唸った。
風をまとった棘の錐が、鉄棘猪の眉間をまっすぐ撃ち抜いた。
どう、と。
でかい図体が、地響きを立てて、草の中に沈んだ。
棘の一本も、二度と逆立たなかった。
「……散らばる棘より、一本のほうがよく効くだろ」
俺は拳を開いて、詰めていた息を吐いた。
草地に、静けさが戻ってくる。
巻き上がった土埃がゆっくり地に落ちる。
薙ぎ倒された草がまだ小さく揺れている。
鳴りやんでいた虫が、恐る恐るまた鳴きはじめた。
俺は振り返って、尻餅をついたままのモークを見下ろした。
「モークさん。目、開けていいすよ」
「……開けてた」
「あ。開けてたんすか」
「開けてたよ! 全部見てたよ! なんだ今の、おい、なんだ今のは!」
モークが腰の痛みも忘れて俺の袖をつかんでくる。
「棘だ! あいつの棘が、風になって、一本に……」
そこでモークの言葉が途切れた。
見えないものを探すみたいに、目がふらりと泳ぐ。
「……お前、無判定の坊やじゃなかったのか!」
「無判定っすよ。ほら、これ」
俺は外套の内からあの『スキルなし』のカードを出して見せた。
「ちゃんと、無能って書いてあるでしょ」
「書いてあるが! 書いてあるけども! 無能が鉄棘猪を一撃で……そんな無能があるか!」
「いや待て。風の魔法か? お前、魔法使いだったのか」
「魔法ってほどのもんじゃ。ちょっとしたこつっすよ」
「こつで猪が沈むか!」
「沈みましたね。現に」
「屁理屈こねてんじゃねえ!」
「あー……今のは、あれです。運です。あいつが勝手に棘を撃ってきて、風に当たって、いい感じに」
「風なんか、吹いてなかったろうが!」
「ほら。細かいこと気にすると、薬草採りに響きますよ」
「響くわ! こっちは肩、刺されてんだ!」
「肩、見せてください。血くらいは止められるんで」
「器用だな。無能のくせに」
「無能は器用貧乏って、相場が決まってるんすよ」
「そんな相場あるか」
モークが真っ赤な顔で怒鳴った。
怒鳴りながら、その顔は半分笑っている。
命拾いした人間の笑い方だ。
……まあ、こうなるよな。
派手にやりすぎた。無能を装う身としては、点が辛い。
でも、あの棘をモークに全部浴びせるよりは、ずっといい。
そっちのほうが後味が悪い。
モークの肩を、手持ちの布で縛ってやった。
深くない。歩いて帰れる。
「坊や……いや、レン、だったな」
「はい」
「お前、なんでこんなとこで薬草なんか摘んでる」
モークが真面目な顔で聞いてきた。
「そんな力があんなら、もっと上のランクの依頼をいくらでも取れるだろうが」
いい質問だ。答えづらいだけで。
「目立ちたくないんすよ。俺、下から見上げるのが好きで」
「意味が分からん」
「ですよね。俺も、たまに分からなくなります」
俺は倒れた鉄棘猪のほうへ歩いた。
背中の棘は、丈夫な矢尻や針に化ける。素材として、そこそこの値がつく。
根元から何本か抜いて、革袋に詰める。
「モークさん。これ、半分持ってってください」
「い、いいのか。こいつ、鉄棘猪の上物だぞ。矢尻にすりゃ、しばらく食うに困らねえ」
「じゃあ、なおさら半分どうぞ。俺一人じゃ運べないんで」
「手間賃ってことか」
「そういうことで」
本当は、運べる。喰った風で浮かせりゃいい。
でも、それを言うとまた質問が増える。
だから、半分やる。
モークが棘を抱えて、しみじみと俺を見た。
「レン。俺は今日のこと、ギルドで話すぞ」
お。
「あー……できれば、内緒に」
「無理だ。こんなおもしれえ話、黙ってられるか」
モークがけけっとまた笑った。
今度は、朝の侮った笑いとは違う音だった。
「はぐれの鉄棘猪を、Fランクの新人が一撃だ。ネルのやつ、腰抜かすぞ」
……仕方ない。
こういう手応えは、こっちが望まなくても勝手についてくる。
あのけけっという笑いが、これから酒場で何度も繰り返される。
名前ってのは、たぶん、こういう小さいところから売れていくんだろう。
狙って売るより、案外、その方が早いのかもしれない。
門をくぐって、街へ戻る。
肩を縛ったモークが、隣で興奮冷めやらぬ様子で喋り続けている。
あの棘がどうの、風がどうの。半分は聞き流した。
「なあ。あれ、どうやったんだ。棘が急にくるっと一本にまとまって」
「さあ。俺にもよく分かってないんすよ」
「分かってないやつが、あんな真似できるか!」
「勢いって大事っすよ。勢いでなんとかなるもんです」
「なるかぁ!」
俺は革袋の中の棘に、そっと指で触れる。
喰った直後のあの感覚が、まだ腹の底に残っていた。
技を喰らうと、ほんの少し内側が重くなる。
温いような澱のような、うまく言えない感じ。
毎度のことだ。すぐ消える。……たぶん。
まあ、いい。今は、それより。
初依頼、薬草。おまけに、はぐれの上位個体。
空腹の朝から始まった今日は、締めにずいぶんな一品にありついた。
「なあレン。お前、ほんとに何者なんだ」
モークがふと、真顔で聞いてきた。
俺は、門の上の見張りを一度だけ見上げた。
無能の坊やが、格上を一撃で沈めた。その話が、これから街を回る。
悪くない。悪くないが——ちょっと、早いな。
「ただの、逃げ足の速いFランクっすよ」
「どこがだ」
「足も口も、そこそこ回る。それだけです」
俺はへらっと笑って革袋を担ぎ直した。
噂が広まれば、面倒な連中も、そのうち嗅ぎつけてくるだろう。
……まあ、そのときは、そのときだ。
喰わせてくれる奴が増えるなら、面倒くらい、全然安いもんだ。
覇王樹です。四話まで来てくださって、ありがとうございます。
お待たせしました。無双回です。三話でレンにさんざん待ちぼうけを喰わせた分、今回は思いっきり派手にやらせました。喰って、作り替えて、技名を叫んで一撃。あの気持ちよさのために、この物語を書いていると言っても過言ではありません。書いていて、僕がいちばん楽しかったです。
新技の《螺旋穿棘》。あいつの「散らす」技を、レンが「束ねる」技に作り替える——ここに、この主人公のこだわりを込めました。ただの物真似じゃない。喰ったものを、自分の一手に変える。この「作り替える」が、ずっと先で、とんでもなく効いてきます。今はまだ、ただの必殺技の顔をしていますが。
それから一つだけ。棘の雨から、レンが真っ先にしたことを、覚えておいてください。喰うより先に、庇う。腹の中で二つの声がぶつかって、答えはとっくに出ていた、というあの一瞬。あそこに、レンがなぜ喰い続けているのか、その理由の半分が眠っています。残り半分は、もう少し先で。
次回、無能なのに妙に強い新人の噂が、ギルドを回りはじめます。よろしければ、次もお付き合いください。評価やブックマークをいただけると、次を書く手が、鉄棘猪より速くなります。




