第9話 代償
第七研究施設・中央会議室。
壁一面のモニタに、
二つの生体データが投影されていた。
Case-07
神代朔真
神経接続適合率:93.2%
人工神経同期:安定
生体拒絶反応:低
自律神経異常:進行中
Case-09
御堂澪
灰域適応率:測定不能
異常代謝活性:継続
細胞崩壊抑制成功
神経負荷:危険域固定
室内は静かだった。
だが空気は重い。
参加者は十数名。
軍医。
技術士官。
生体研究員。
監査官。
そして中央席には、
白峰零士が座っている。
「では経過報告を」
白峰が静かに言った。
若い研究員が立ち上がる。
緊張していた。
「Case-07、神代朔真について」
モニタが切り替わる。
脊椎神経マップ。
人工神経ライン。
異常な融合率。
「人工神経系が生体側へ完全定着を始めています」
会議室がざわつく。
「……完全定着?」
「はい。本来、神経接続端子は長期使用で炎症・壊死・拒絶反応を起こします。しかしCase-07では逆に神経側が人工ラインへ順応しています」
「あり得ない」
誰かが呟く。
研究員は唾を飲み込んだ。
「ただし問題があります」
モニタへ脳波が映る。
異常に鋭い反応曲線。
「神経負荷が増大しています」
「具体的には」
「感覚境界異常です」
別モニタ。
記録映像。
朔真がリハビリ室で突然立ち止まる。
『……冷却音がうるさい』
だがその時、
彼はシェルを装着していない。
会議室が静まる。
「幻聴か」
「いえ」
研究員は首を振った。
「脳が“存在しないシェル感覚”を処理しています」
別の研究員が口を開く。
「幻肢痛の逆です」
「逆?」
「身体ではなく、“機械側”を脳が身体として認識し始めています」
橘医師の顔色が悪くなる。
彼女は既に何度も診ていた。
朔真は時々、
自分の脈拍とシェル駆動音を混同する。
眠っている時でさえ。
「定期的な神経メンテナンスが必要になります」
研究員が続ける。
「放置した場合、感覚混線が進行。最終的には人格崩壊の可能性があります」
「寿命予測は?」
軍医が聞く。
沈黙。
「……不明です」
「推定値を」
研究員は少し迷った。
「十年持てば長い方かと」
橘の指先が震える。
十六歳の子供へ、
余命十年未満を当然みたいに語る。
だが。
白峰は穏やかだった。
「素晴らしい」
誰かが顔をしかめる。
白峰は気づかない。
あるいは気にしていない。
「人工神経義肢技術は飛躍する」
白峰は静かに言った。
「脊椎損傷患者も歩けるようになる」
「……」
「神経疾患も克服できる」
「主任」
橘が低く言う。
「彼は人間です」
「当然だ」
「人体実験でしょう」
「医療研究だ」
即答。
「進歩には代償が必要だ」
白峰の目は真剣だった。
演技ではない。
本気で信じている。
「次」
モニタが切り替わる。
澪。
体温曲線。
異常代謝グラフ。
細胞活性。
「Case-09について」
担当研究員の声が少し掠れていた。
「代謝暴走状態が継続しています」
「薬剤依存か」
「はい」
モニタへ薬剤一覧。
黒い薬液。
複数の抑制剤。
「現在、一日三回の安定化投与が必要です」
「切れた場合は?」
「……全身性代謝暴走」
会議室が静まる。
研究員は続きを言いづらそうだった。
「筋組織自己崩壊」
「高熱化」
「臓器負荷増大」
「最終的には」
言葉が止まる。
白峰が代わりに言った。
「全身焼損に近い状態になる」
橘は目を閉じた。
あの高熱。
あれは病気じゃない。
“変化”だ。
澪の身体は、
灰域環境へ適応しようとしている。
だから通常代謝を維持できない。
常に暴走しかけている。
「寿命予測」
軍医がまた聞く。
今度は誰もすぐ答えなかった。
「……五年から十年」
橘が絞り出すように言った。
「長期生存は難しいと思われます」
静寂。
監査官が眉を寄せる。
「それでは兵器運用に向かない」
その瞬間。
橘の中で何かが切れた。
「兵器じゃない!!」
会議室が止まる。
橘は立ち上がっていた。
「この子達は患者です!」
「橘医師」
白峰の声は静かだった。
「感情論は不要だ」
「感情論……?」
橘は笑いそうになった。
「十六ですよ……?」
「知っている」
「記憶まで消して!」
「必要だった」
「本当に?」
白峰は沈黙した。
橘は息を荒げる。
「この子達は、普通に生きてたんですよ」
灰色の街で。
恋をして。
笑って。
未来を話して。
それを。
「……私達が壊した」
白峰はしばらく黙っていた。
やがて。
「違う」
静かに言った。
「世界が壊した」
その声は、
妙に疲れていた。
「環境は戻らない」
「灰域は広がる」
「通常人類はいずれ生存できなくなる」
白峰はモニタを見る。
朔真。
澪。
「なら適応が必要だ」
「だから子供を犠牲に?」
「犠牲ではない」
白峰は穏やかに言った。
「先駆者だ」
橘は理解した。
この男は止まらない。
狂っている。
だが。
同時に、
間違いとも言い切れない。
それが一番恐ろしい。
会議終了後。
白峰は一人、
観察室へ向かった。
ガラス越し。
朔真が歩行訓練をしている。
澪は椅子に座り、
ぼんやり窓を見ていた。
二人とも、
自分が何者だったのか、
ほとんど覚えていない。
なのに。
朔真がふらついた瞬間、
澪が無意識に立ち上がる。
澪が高熱で苦しそうに息をした瞬間、
朔真が振り返る。
記憶は消えた。
だが。
身体のどこかが、
互いを覚えている。
白峰は静かに呟く。
「興味深い」
その目は、
研究者そのものだった。
まるで新しい物理現象を見つけたみたいに。




