第6話 第七研究施設
目を開けると、白だった。
白い天井。
白い照明。
白い壁。
薬品臭。
消毒液。
低く鳴り続ける機械音。
神代朔真は、自分がどこにいるのか分からなかった。
身体が動かない。
いや、違う。
動かそうとしても、
感覚が薄い。
腕が重い。
指先が痺れている。
「……起きたか」
男の声。
朔真はゆっくり視線を向けた。
白衣の男が立っていた。
三十代後半くらい。
痩せている。
銀縁眼鏡。
穏やかな目。
だが、その奥が異様に静かだった。
「……澪は」
男は少しだけ目を細めた。
「起きて最初にそれを聞くか」
「……どこだ」
「安心しろ。まだ生きている」
“まだ”。
その言葉に、
朔真の胸がざわつく。
「ここは?」
「第七研究施設」
男は淡々と言った。
「政府中央管理機構直属。灰域適応研究機関」
朔真の背筋が冷える。
噂は聞いたことがあった。
消える難民。
回収される子供。
人体実験。
都市伝説みたいな話。
でも今、
自分はそこにいる。
「……帰してくれ」
「無理だ」
即答だった。
男は感情を乗せない。
「君は非常に貴重だ」
「は?」
「第二世代シェルで神経接続を成立させた」
男の目が、
初めて熱を帯びた。
「しかも高同期状態で戦闘機動まで行っている。信じ難い」
朔真は眉を寄せた。
「……お前誰だ」
「白峰零士」
男は軽く頭を下げた。
「主任研究員だ」
主任。
つまり、
ここで一番偉い側の人間。
「澪を返せ」
「無理だ」
また即答。
「彼女は既に処置段階へ入っている」
朔真はベッドから起き上がろうとした。
だが身体が動かない。
腕に何本も管が刺さっている。
「っ……!」
「無理をするな。神経焼損一歩手前だ」
白峰は端末を操作する。
壁面モニタへ、
朔真の脳波が映し出される。
異常な乱高下。
「通常兵士なら廃人になっている」
「……」
「だが君は耐えた」
白峰は静かに笑った。
その笑顔に、
朔真は本能的な嫌悪感を覚える。
優しい。
なのに怖い。
まるで、
壊れた機械を見つけて喜ぶ整備士みたいだった。
「……澪をどうする気だ」
白峰は少しだけ沈黙した。
それから。
「助ける」
「本当にか」
「少なくとも私はそのつもりだ」
その言葉だけは、
嘘に聞こえなかった。
だが。
「ただし、“普通の人間”として助かる保証はない」
朔真の喉が詰まる。
「腹部損傷が深い。内臓壊死も始まっていた」
モニタが切り替わる。
手術映像。
赤。
血。
開かれた身体。
朔真は顔を歪めた。
「やめろ……!」
白峰は映像を止めた。
「現代医療では助からない」
「……」
「だから新技術を使う」
その時。
自動ドアが開いた。
「白峰主任!」
若い女医が入ってくる。
二十代後半。
短髪。
疲れた顔。
「生体強化処置、本当にやるんですか?」
「当然だ」
「まだ十六ですよ!」
女医は声を荒げた。
「適合試験すら終わってないんですよ!? 骨格補強も代謝改変も人体臨床前段階でしょう!」
「だから試験を行う」
「人間で!?」
「他に選択肢は?」
白峰は穏やかだった。
穏やかすぎた。
「彼女は死ぬ。何もしなければ確実に」
「それは……」
「なら可能性を試すべきだ」
女医は言葉を失う。
白峰は続ける。
「医学とは、死を否定する技術だ」
「……」
「我々は神ではない。奇跡も起こせない」
白峰は静かにモニタへ触れた。
「だが物理法則は平等だ」
その目が、
異様な熱を帯びる。
「筋繊維は強化できる」
「神経伝達速度は向上可能だ」
「代謝も熱耐性も理論上は改変できる」
まるで祈るように、
白峰は言った。
「アインシュタインは宇宙の法則を示した」
「ニュートンは重力を見出した」
「マクスウェルは電磁気を繋げた」
白峰は笑う。
「彼らは偉大な伝道師だ」
女医が顔をしかめる。
「主任……」
「神はいない」
白峰は断言した。
「だが法則はある」
「……」
「ならば人類は、それに従って進化できる」
静かだった。
狂気なのに。
叫びでも怒声でもない。
ただ、
本気で信じている声。
朔真は理解した。
この男は悪人じゃない。
本当に人類を救おうとしている。
だから怖い。
「……澪を実験体にする気か」
白峰は少しだけ考えた。
「違う」
「じゃあ何だ」
「救命対象だ」
即答。
「結果として研究になるだけだ」
朔真は吐き気を覚えた。
その時。
女医が小さく呟く。
「……こんなの、医療じゃない」
白峰は彼女を見た。
「では見殺しにするか?」
「……っ」
「君は優秀だ、橘医師」
白峰は穏やかに言う。
「だから理解できるはずだ」
「理解なんてしたくありません」
「だが手は動く」
女医――橘は拳を握り締めた。
悔しそうに。
苦しそうに。
それでも否定しきれない顔で。
白峰は踵を返す。
「少年の方は?」
橘が低く聞く。
「神経接続適合試験を行う」
「……軍用ですか」
「医療用でもある」
白峰は扉前で止まる。
「彼は機械側へ進める」
その言葉に、
朔真の背筋が寒くなる。
「君達は興味深い」
白峰は振り返る。
「同じ事件の生存者」
「同じ年齢」
「同じ環境」
「なのに適応方向が真逆だ」
その目は、
研究者の目だった。
人間を見る目じゃない。
「実に美しい」
扉が閉まる。
沈黙。
橘だけが残る。
彼女はしばらく俯いていた。
やがて小さく言う。
「……ごめんね」
朔真は答えなかった。
答えられなかった。
遠くで、
どこかの自動ドアが開く音がした。
そして。
少女の絶叫が、
施設の奥から響いた。




