表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

第2話 道場の少女

翌朝。


 灰の街は、まだ眠っていた。


 いや、正確には違う。


 この街には、“朝”という感覚そのものが薄い。


 空は常に灰色で、太陽は滲んだ光の塊にしか見えない。昼も夜も曖昧で、人々は工場のサイレンと配給時間で一日を判断していた。


 神代朔真は、狭い作業小屋の天井を見上げたまま目を覚ました。


 耳の奥で、まだ駆動音が鳴っている気がした。


 昨日動かした作業用シェルの音だ。


 ギィ、という古い関節音。

 液圧の抜ける低い唸り。


 長時間乗っていると、機械の感覚が身体に残る。


 朔真はゆっくり起き上がった。


 床に散乱する工具。

 剥き出しの配線。

 分解途中のバッテリー。

 壁に立て掛けられた旧式ライフル。


 まともな部屋ではない。


 だが、落ち着く。


「……腹減ったな」


 配給用乾燥バーを齧る。


 味はない。


 粘土みたいな食感だけが口に残る。


 その時。


 外から金属を叩く音がした。


 カン、カン、カン。


「朔真ー!」


 聞き慣れた声。


 朔真はため息をつき、扉を開けた。


 澪が立っていた。


「朝からうるさい」


「三回しか叩いてない」


「十分うるさい」


「起きてたじゃん」


「今起きた」


「じゃあ正解」


 澪は勝ち誇ったように笑った。


 今日は道着ではなく、灰色の作業服姿だった。肩まで伸びた黒髪を後ろで束ね、防塵マスクを首に引っ掛けている。


 その格好でも、妙に目を引く。


 灰色の街の中で、彼女だけが輪郭を持っているみたいだった。


「おじさんが呼んでる」


「玄斎さん?」


「屋根また割れたって」


「また?」


「昨日の振動で」


 朔真は空を見た。


 遠くの工場地帯から、まだ黒煙が上がっている。


 昨夜の爆発。


 あれから一晩経っても、火は消えていないらしい。


「軍、動いてる?」


「朝から検問増えてる」


「面倒だな」


「また変なことする気?」


「しない」


「信用ないなあ」


 澪は呆れたように言った。


 実際、朔真は何度も検問に引っ掛かっている。


 理由の半分は立入禁止区域侵入。


 残り半分は軍用パーツの不法所持だった。


「行くぞ」


「うん」


 二人は並んで歩き出した。


 旧住宅区。


 崩れかけた建物の間を、細い通路が迷路みたいに伸びている。


 道端では、廃材を燃やして暖を取る老人達がいた。


 灰域では夏でも寒暖差が激しい。


 昼は灼熱。

 夜は骨まで冷える。


 子供達がガスマスクをつけたままボールを蹴っている。


 壁には企業連合の配給広告。


 その横には、レジスタンスの落書き。


 “政府は人を捨てた”


 黒い文字が、煤で汚れたコンクリートに書かれていた。


「また増えてる」


 澪が小さく言った。


「何が」


「落書き」


「暇なんだろ」


「そういう問題かな」


 朔真は肩を竦めた。


「戦争なんて今さらだろ」


「……そうだけど」


 澪は少しだけ顔を曇らせた。


 朔真は気づかないふりをした。


 この街では、

戦争は日常だ。


 遠くで砲声が鳴る。


 誰かが死ぬ。


 配給が減る。


 それを繰り返しているだけ。


 今さら恐れることでもない。


 少なくとも朔真は、そう思っていた。


 道場に着くと、玄斎が脚立の上にいた。


「遅い」


「十分早いと思いますけど」


「屋根が落ちる前に直せ」


「それは急ぎですね」


 朔真は工具袋を開いた。


 屋根板は爆発の振動でズレていた。古い建物だから、一度歪むと連鎖的に崩れる。


「支え持ってろ」


「はいはい」


 澪が脚立を押さえる。


 朔真は屋根へ登った。


 灰色の街が見渡せる。


 遠く。


 工場地帯。


 黒煙。


 そして――軍用輸送機。


「……増えてるな」


 昨日より明らかに数が多い。


 輸送機だけじゃない。


 武装ヘリ。

 大型輸送車両。

 シェル運搬コンテナ。


 嫌な動きだった。


「朔真」


 下から澪が呼ぶ。


「落ちるよ」


「落ちない」


「昨日も落ちた」


「あれは床が悪い」


「床のせいにするんだ」


 澪は笑った。


 その時だった。


 遠くでサイレンが鳴った。


 低く長い警報音。


 街の空気が変わる。


 道端を歩いていた人々が足を止めた。


 ざわめき。


「……避難警報?」


 澪が呟く。


 玄斎の表情が険しくなる。


「違う」


「え?」


「軍警戒級だ」


 朔真は屋根から工場地帯を見た。


 煙。


 炎。


 その中で、何かが爆ぜた。


 赤ではない。


 青白い閃光。


 一拍遅れて、轟音。


 地面が揺れた。


 朔真は咄嗟に屋根へ手をつく。


 空気が熱い。


 風向きが変わった。


 そして。


 鼻を刺す臭い。


「……薬品?」


 朔真の顔色が変わる。


 これはただの工場火災じゃない。


 化学プラント事故の臭いだ。


 澪も気づいたらしい。


「まずいよね、これ」


 玄斎が即座に叫ぶ。


「窓閉めろ! フィルター回せ!」


 澪が走る。


 朔真も屋根から飛び降りた。


 その瞬間。


 空が光った。


 轟音。


 工場地帯の一角から、巨大な火柱が立ち上がる。


 誰かが外で叫んだ。


「爆発だ!!」


「灰海側が吹き飛んだ!!」


 街が騒然となる。


 サイレン。


 怒号。


 走る人々。


 そして。


 低空を軍用輸送機が横切った。


 腹部ハッチが開く。


 黒い影が次々落下する。


 軍用シェル部隊。


 朔真は息を呑んだ。


「……なんだよ、これ」


 嫌な予感がした。


 本能的に。


 今までの小競り合いとは違う。


 街全体が、何かに呑まれ始めている。


 その時。


 朔真の端末がノイズを吐いた。


 ザーッという不快音。


 通信障害。


 周囲の照明が一瞬明滅する。


 玄斎が低く呟いた。


「電磁障害……?」


 次の瞬間。


 遠くで、

何か巨大なものが崩れる音がした。


 川崎沿岸の空へ、黒煙が噴き上がる。


 灰色の空が、

さらに暗く染まっていく。


 そして。


 誰もまだ知らなかった。


 この日を境に、

川崎という街そのものが、

灰域へ沈むことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ