第12話 灰海投入
汚染された東京湾を、
戦艦が進んでいた。
海は黒い。
波打つたび、
油膜が鈍く光る。
かつて青かった海は、
今では重金属と化学廃液の泥になっていた。
海面には、
崩れたコンビナートの残骸が浮いている。
沈みかけたタンカー。
折れた高架。
赤錆びた輸送船。
灰色の霧が海上を這い、
遠くでは巨大煙突群が赤熱していた。
その中心。
装甲戦艦。
政府軍灰域制圧艦。
全長三百メートル級。
本来は海上輸送艦だった船を、
無理やり軍用改修した継ぎ接ぎの怪物。
艦体側面には、
シェル射出用カタパルトが並んでいる。
灰域では航空支援が不安定になる。
だから兵士を直接撃ち込む。
原始的で、
狂った運用だった。
艦内ブリーフィングルーム。
鉄臭い空気。
低いエンジン振動。
壁面モニタには、
灰域沿岸部の立体地図が表示されていた。
「作戦区域は旧東京湾第三工業地帯」
士官が淡々と説明する。
「現在、レジスタンス武装勢力が複数確認されている」
映像切替。
廃工場。
武装集団。
シェル兵。
そして。
企業製兵器。
朔真はそれをぼんやり見ていた。
軍服。
政府軍所属章。
数ヶ月前とは別人だった。
短く切られた髪。
痩せた顔。
首筋の神経接続痕。
そして。
右腕。
灰海襲撃時の重傷で、
半分以上が人工義肢へ置換されていた。
黒い軍用義肢。
人工筋肉の細い繊維が、
皮膚下で脈打っている。
普通なら日常生活も困難な手術。
だが朔真は、
既に違和感なく動かしていた。
むしろ。
生身より自然だった。
「Case-07」
士官が呼ぶ。
朔真は反応しない。
「……神代軍曹」
「……はい」
少し遅れて返事。
士官は眉をひそめたが続ける。
「お前の任務は先行突入だ」
モニタへ小隊編成表示。
第三灰域制圧小隊
通常第三世代シェル兵×4
支援兵×1
神代朔真(Type-17《ムラクモ》)
ざわつく室内。
他兵士達が朔真を見る。
噂は広がっていた。
神経接続適合者。
実験兵。
第二世代で企業軍を倒した化け物。
だが実際に見ると、
ただの若い兵士だった。
少なくとも見た目は。
「レジスタンス拠点を制圧し、データコアを回収する」
士官が続ける。
「企業連合介入の可能性あり」
その言葉で空気が変わる。
企業軍。
実質的な別国家。
政府軍と全面戦争こそ避けているが、
灰域では日常的に衝突している。
「質問は」
沈黙。
誰も何も言わない。
死ぬかもしれない作戦なんて、
今さら珍しくもない。
「では準備へ移行」
兵士達が立ち上がる。
その時。
隣の兵士が小さく話しかけてきた。
「お前、本当に神経接続してんのか?」
朔真は少し考える。
「……多分」
「多分?」
「よく分からない」
本心だった。
最近、
自分が何なのか分からない。
眠っている時、
シェル駆動感覚がある。
義肢を動かす時、
たまに人工筋肉の内部構造まで“感じる”。
人間と機械の境界が、
少しずつ曖昧になっていた。
ハンガーデッキ。
ムラクモが吊られている。
黒い装甲。
細いシルエット。
普通のシェルより明らかに異質。
装甲服というより、
“人型神経機械”。
整備員達が接続確認を行っていた。
「冷却系正常」
「人工筋肉応答良好」
「神経ライン同期待機」
朔真が近づく。
すると。
ムラクモのセンサが自動起動した。
低い駆動音。
周囲の整備兵が顔を見合わせる。
「……また勝手に反応した」
「認証前だろ」
「怖ぇなこの機体」
朔真は無言で装着フレームへ立つ。
背部ロック。
脊椎接続。
首筋端子固定。
《NEURAL LINK》
起動。
瞬間。
世界が変わる。
艦の振動。
空気流。
義肢感覚。
全部が鮮明になる。
ムラクモが、
自分の身体になる。
《SYNC RATE:96.1》
整備主任が顔を引きつらせる。
「……また上がってる」
危険域。
普通なら脳が焼ける。
だが朔真は平然としていた。
いや。
平然に見えるだけだった。
ヘルメット内では、
微かに呼吸が乱れている。
頭痛。
耳鳴り。
感覚混線。
でももう、
それが普通になりつつある。
艦内警報。
《降下作戦開始》
カタパルトデッキが開く。
外。
灰色の海。
黒煙。
毒の霧。
そして。
巨大な灰域都市。
かつて東京と呼ばれた場所。
今はただ、
腐った工業迷宮だった。
小隊が並ぶ。
シェル兵達。
装甲に灰が積もる。
誰も喋らない。
艦外は強風。
汚染粒子が装甲を叩く。
《降下まで三十秒》
朔真は海を見た。
その瞬間。
胸が妙に痛んだ。
黒髪。
白い肌。
泣きそうな目。
一瞬だけ、
誰かの幻が浮かぶ。
だが。
思い出せない。
《十秒前》
カタパルト固定。
磁気ロック接続。
心拍同期。
ムラクモが低く唸る。
《三》
《二》
《一》
《――射出》
轟音。
次の瞬間。
朔真達は、
灰色の空へ撃ち出された。




