8.第一王子から見た男爵令嬢との出会い
弟が俺の処遇改善を進言したらしく、王城での生活は劇的に改善した。三食飯は出るし、側仕え達や使用人も付けられ、身の回りの世話や掃除、給仕も行われるようになった。ただ、あの日以来、厨房に顔を出す事は許されなくなった。
それでも、3年間行っていた狩りはもはや趣味に近い。俺は人目を盗んで王宮の裏に広がる森に通い続けた。
王立学園に通うようになってからもそれは変わらず、学園の裏山に入っては、王家の森よりもレベルが高い魔獣などを狩るようになった。
最終学年に進学したその日も、いつもより早い下校をした後に部屋で準備を済ませて、他の生徒や教師に気付かれないよう魔法で瞬間移動した。
王立学園の裏山は、お貴族様が通う学園に接しているにも関わらず、防犯の為かかなり野生的な森が広がっている。
自作した弓矢と剣を携え、周りに耳を傾けた。
すぐに、いつもと少し様子が違う事に気付く。
獣達が静かなのだ。
前にこんな風になったのは、学園の中でもあまり素行が良くない連中がここに足を踏み入れ、強めの魔獣に狙われている時だった。またおんなじような輩が面白半分に入ったんだろうと、若干の面倒臭さも感じながらも人間の痕跡を探索して進んだ。
予感は当たりだった。慣れない人間の侵入。獲物として狙う魔獣。当たっていなかったのは、狙われているのが素行不良者などではなく、迷い込んでしまったような少女だった点だ。
彼女はかなり奥まで逃げていて、森の奥にある崖の縁でへたり込んでいた。
ピンクブロンドの髪の毛が、青ざめた顔に汗で張り付いている。
判断に使えるのは一瞬だった。
瞬間移動を使い、まず崖から落ちそうな少女を抱えて林縁に運んだ。獲物を奪われた事に気付いた魔獣は、すぐに怒り狂って追いかけて来る。
剣を右手に構え、魔獣の攻撃を捌く。
キマイラと呼ばれるその獣は、鋭い牙と硬い蹄、毒のある尻尾を持つ高位の魔獣だ。
いつもは少し手応えを感じる程度だが、今日は背後に少女がいる。
ひとつも受け損ねる事がないように神経を研ぎ澄ませて応戦しつつ、少女から離れるようジリジリと移動すた。
十分距離が離れた頃、俺はキマイラの上空に瞬間移動する。
剣を腰に納め、弓矢に持ち替えると狙いを定めて矢を放つ。1本ではなく、できるだけ多く。
キマイラは、突然消えた俺が頭上にいる事に、矢を受けて気付いたらしい。
こちらを見上げた魔獣が奇声を上げる。1本の矢が目に刺さっていた。
魔獣は更に唸り声を上げると、そのまま森の中へと走り去って行った。
何とか猛攻を退けた疲労感にふらつきながら、少女の無事を確認しに向かう。
少女は地べたにうずくまって震えていた。近付いた俺の足音に気付いたらしく、大きく肩を揺らす。
彼女が顔を上げると、大きな瞳からとめどなく涙が溢れるのが見えた。
白い肌にはところどころかすり傷と泥が付いており、服も破けてしまっているところがある。
「もうじわけありまぜん…!わだじがごんなどころにいたので、ご迷惑をおがけじまじだ…!!」
嗚咽しながら話すので大変な事になっている。
事情を聞く為にもとりあえず泣き止ませたいが、弟でさえこんなに泣いているところを見た事がない。
やり方が分からず、焦燥感に苛まれていると、ふと昔、乳母が泣いている俺の相手をしてくれたのを思い出した。
手を伸ばして、少女の頭に乗せる。
往復させるとサラサラの髪が手に当たって、逆にこちらが心地良い。
少女を見ると、びっくりした顔をしてこちらを見上げていた。
そこで、はたと、ご令嬢の頭を他人が無闇に撫でるなんて言語道断なのでは?と気付いた。
驚きで涙が止まっていた瞳に、またみるみる内に水の膜が張っていく。
「ちょっと待て、これは、ちが…」
うわぁぁぁぁぁぁぁん!!
少女の泣き声が森に響き渡った。
何とか落ち着いて来たご令嬢と話せるようになったのは、暫く時間が経ってからだった。
彼女は腰が抜けてしまったのに加えて、泣き腫らした顔を隠す為にこちらに背を向けて地面に寝転がっている。
「本当に、すみません…」
「こちらこそ、失礼な事をした。」
「あの、貴方は…?」
そこでようやく、彼女が俺に気付いていない事を知った。
今の俺は、動きやすく体に密着する緑の上下に、急所だけを覆う簡易な鎧と皮のベスト、身を隠す為の毛皮のマントという完全に狩人の格好をしている。
「あー…貴族に見える?」
「いいえ…久しぶりに、平民の方とお話ししました。」
「久しぶり?お貴族様は、平民なんかと話さないんじゃねーの?」
「…私は、平民の出なので。」
彼女をもう一度まじまじと見る。
明らかに手入れの行き届いた見た目と、王立学園の制服。どう見ても貴族にしか見えない。
「こんなとこに来たのもそれが理由なのか?」
「…はい。」
「正面には魔獣注意の警告と柵があったろ。」
「私が入ったところには、見当たりませんでした…。サンルームから食堂を抜けて、テラス席に接したところから入ったので。」
「そういう事か。」
そこは、森に面してはいるが細かい草木で覆われている為、良家の令嬢令息はかき分けて入る事など想像もしないだろう場所だった。
「で、そんなところからどうしてもこの森に入らなきゃいけないなんて、どんな訳があった。」
「それは…。」
「誰かに平民出身だと知られていじめられて追っかけ回されてたのか?」
「追われるなんて事は…!」
少女が勢いでこちらを振り向き、上体を起こす。
顔は赤く、目も少し腫れて痛々しい。
座るだけの体力は回復したみたいで、少し安心する。
「ただ、私が嫌だと感じてお茶会から逃げ出してしまって…。誰にも会いたくなくて、ここに入って来てしまったんです。」
「へえ…自分が嫌だと感じて、か。相手を悪く言わないんだな。」
「…誰かを悪く言っても、状況が良くなる訳じゃないので。」
「何を言われたんだ?」
「…母親を、売春婦だと。」
驚いて彼女の顔をまじまじと見つめる。
彼女は、気まずそうに視線を逸らしていた。
「何故言い返さない。お前もそう思っているのか?」
「決して…決してそんな事思っていません。でも、私は平民出身の男爵家令嬢です。身分を超えて声を上げたところで、何になるんでしょうか?」
…似ている、と思った。立場も出自も何もかも違う。でも、声を上げても無駄だと諦めるその姿に、過去の自分が重なって見えた。




