5.男爵令嬢から見た貴族社会と新生活
馬車の中で男から一方的に聞かされた話によると、母は男爵家に使える使用人だったらしい。
男とその妻の間になかなか子供が産まれない中、男が母に手を出し妊娠。産まれた私を男爵家の子供として育てる為に母から取り上げようとした。寸前で母は逃亡し、私の故郷であるあの街に流れ着いたらしい。
他の女性にも手を出していたようだけど、結局出産まで至ったのは私の母だけだったようで、私を男爵家の後継にするしかなかったと言っていた。
私は何故か自慢げに話す姿に吐き気を覚えながら馬車に揺られた。
男に連れて行かれたのは、男爵家の屋敷だった。
屋敷に入ると、数人の使用人と男の妻だろう女性が出て来た。
男の妻は上から下まで私をよく見た後、使用人の女性に「これをお風呂に入れて着替えさせなさい。」と、命令してどこかに行った。
夫が使用人に産ませた子をどう思うのか。私であれば、悲しみと悔しさを感じると想像してしまう。けれど、彼女は全ての感情が削げ落ちたような無表情で、何を考えているのか全く分からなかった。
私はその日、初めて他人に服を脱がされ、体を洗われ、着替えを手伝われ、全ての支度を手伝われてベッドに入った。
全てに現実味がなくて、その日一日の事をぐるぐる頭の中で考えながら長い間寝付けず、翌朝、使用人に起こされて眠った事を知った。
それから王立学園に入学するまでは、毎日がめまぐるしかった。
起きている間の大半は教育と礼儀作法の指導があり、休みはほとんどなかった。
今まで習った事のない知識を詰め込まれ、慣れない作法を強要され、あまりにも出来が悪いと四肢に鞭を打たれる。跡が残ると大変だからと、日替わりで鞭打たれる場所は変わった。
何より辛かったのは食事だった。男と妻と一緒にとらされたが、その間も常に食事のマナーを監視され、会話は指摘以外なかった。
元々母と、母が亡くなってもおじさんおばさんと一緒に食事をしていた。夕食だったら、その日一日あった事を話したりしながら。食事は楽しいものだと思っていた。だから、楽しくない食事が味のしないものである事を、私はこの家に来て初めて知った。
男は、私の教育の進度を急かし、しかし建設的なアドバイスは何もしないまま、最後には自らの自慢をして去って行く。直接私が教育を受けている部屋に足を踏み入れる事はほぼなかった。
男の妻は、最初の無感情さから何ひとつ変わらなかった。教育を見に来る事もあったけど、進捗などを見ると興味なさげに帰って行った。
屋敷の使用人は、私に対して批判的に感じた。
直接的な暴力や悪口はないけれど、私が言った事に対して使用人同士で目配せしてクスッと笑ったり、聞こえる絶妙な距離で私の事であろう揶揄を口にしている。
私の味方はどこにもいなかった。
それでも逃げ出す事もできず、学園に入れば何か変わるかもしれないと、希望とも呼べない淡い期待だけに縋って何とか毎日を過ごした。
半年と少し経って、15歳の秋に王立学園へと入学した。平民だった私からすれば立派な馬車と服装で通学したのだけれど、周りの人々は更に豪華な装いをしていて格の違いを感じた。
それでも、家格でいえば同じ男爵家やひとつ上の子爵家の同級生もいる筈。必死に自分を鼓舞して足を進めた。
入学の集会が終わると、その日は早くも下校だった。
同じクラスの人々は入学前から交流を持っている人も多いらしく、早くも幾つかのグループに分かれて話をしている。
私は、話し掛ける事も話し掛けられる事もなく、教室を後にした。
正門から外に出る為に中央通路を歩いていると、すれ違った生徒から声を掛けられた。
クラスで友達の一人も作れなかった事に打ちひしがれていたから、驚きと嬉しさですぐに振り返る。
そこには、明らかに高位貴族であろうご令嬢が、優雅に微笑んでいた。
「貴女、お時間さえあればこの後お茶でもいかがかしら?」
話しているご令嬢の周りには3人の令嬢がいて、私を見て扇子で口元を隠しながらお話をしている。直感的に嫌な予感がしたけれど、ここで断る事も怖くて、お話を受ける事にした。
彼女達に連れて行かれたのは食堂に近い、中庭に敷設されたサンルームの一角だった。
用意されていた席に座ると、最初の令嬢が話し掛けてくる。
「お名前をお聞きしてもよろしいかしら?」
「ピコリス=ローナリアと申します。」
「あら、やっぱり!噂のローナリア男爵令嬢ね!」
うきうきした様子で彼女は、こちらに好奇の目を向けて来る。
他の少女達は、私の一挙手一投足を見逃すまいとでもいうように、まるで食事の時の男爵とその妻のように私を見ている。
私は一気に居心地が悪くなって、膝の上で指をもぞもぞ動かした。
マナー講師には、名乗ったら名乗り返すのが礼儀であると習ったが、彼女達に名乗る気はなさそうだった。




